松竹座二月花形より・渡海屋・大物浦
ハ~イ ご豚さっ! ご無沙汰! 皆さまおげんこ?
きれいなだけの未亡人。相変わらず清く正しく(自己評価)生きていますわよ。
観劇記録です。
大阪松竹座二月花形歌舞伎・昼の部
義経千本桜より
渡海屋(とかいや)・大物浦(だいもつのうら)
関西人だからでしょうか、義太夫狂言が好きです。
派手で凝りまくったサウンド。心地よい節回し。ここに役者の巧いセリフが重なる・・う~ん。よろしおすな
歌舞伎って理屈じゃない。自分の脳が気持ちいいかどうかに尽きると思うんです。
義経千本桜は義太夫狂言の中でも三本の指に入る有名な演目です。
中でもこの大物浦における主人公の壮絶な最後は歌舞伎の名場面多しといえども、これまた三本の指に入るのではないかとアタクシ、ひそかに思っています。
5年前、播磨屋・二代目中村吉右衛門丈の碇知盛をこの世で観られただけでもう。満足でございます。
花形歌舞伎にないものねだりをするほど狭量な未亡人ではないつもりです(キリッ)
しかしながら
願わくばこの命のあるうちに迷いのないどっしりとした義太夫狂言をやれる役者さんをもう一人くらい見てみたいものです。
・・・・・・・・・
観客からみた「よい芝居」ってなんでしょう。
単純な答えですが「心を打たれるかどうか」ということです。
歌舞伎の場合、大方の演目について客は話の内容やあらすじ背景を知っています。中には芝居の手順、せりふの一つ一つを知っている者もいます。
だからこそ、「あの場面ではもっと泣かせてほしい」「この場面でこの演技はないでしょ」となります。
期待しているから不寛容になるのですよ。松也さん!
(でた!やっぱり文句いうんや・・)
ということであらすじ紹介です。
壇ノ浦の合戦における平家打倒の立役者、源義経(新悟)は兄頼朝の不信をかいウ~ウォンテッドの身の上。(余談ですが初春歌舞伎で紹介しました「石切梶原」の梶原さんね。あの方が頼朝にあることない事をチクったのですよ)
ここは大物浦・・大物と言えば阪神間の人には、とっても御馴染みの場所。「阪」でもなければ「神」でもない・・。ここはここは・・人情・・あまがさき(釜ヶ崎やったけ?)~~の大物浦にありますのが
回船業。ルー大柴風に言うたら、シップアレジメントショップ「渡海屋」でございます。
ショップのオーナー渡海屋主人銀平(松也)の手配で弁慶(歌昇)をはじめとする義経一行は九州へ逃げる算段であります。
銀平さん実は何を隠そう清盛が四男・平知盛の仮の姿。
女房お柳(壱太郎)は典侍の局(すけのつぼね)という安徳帝の乳母なのです。
お話は壇ノ浦の合戦から3年が経過しているという事になっています。
ちょとちょと待ってね。
安徳帝は二位の尼に抱きかかえられ三種の神器の一つである宝剣とともに海底に沈み、知盛は(平家物語を読むと)甲冑をもう一つ抱えて重りにして海に身を投げた・・・
これが壇ノ浦での平家滅亡・・というのが史実。見てきたわけじゃないけどたぶん・・そゆこと。
お芝居ではその知盛が生きていた。安徳帝もすくすく大きくなっています。こんなところに日本人平家の残党・・という設定です。
歴史が「もしも・・だったら・・」という考えは源平の時代に思いを馳せる庶民のロマンですよね。
怨霊に変装した知盛たちは海上で義経一行に襲い掛かりますがそこはホレ戦の天才義経さんというか「歴史は変えられないので」知盛は追い詰められ平家再興の象徴だった安徳帝も義経に奪い取られます。
もはやここまで。力尽きた知盛はわが身に碇を巻き付け海に身を投げるのでありました。
銀平、花道の登場は立ち姿の見栄えもよく颯爽と、松也さん。上方言葉も頑張ってはったと思います。
実は知盛だったのよと鎧姿の出も結構。やはり体が大きいので見栄えがします。
「錦絵」ならばそれで満点なのですがね。大事なのはお芝居です。
後半の長刀を使った立ち回りですがもっと鬼気迫る勢いで攻めて欲しかったです。客は史実の知盛がすでにこの世の人間ではないことを知っている。舞台上の知盛。あれは本当に幽霊ではないのかと思わせるくらいの妖気や凄みを見せて欲しかった。
アプアプだけなら金魚でもする⇐これ!また憎まれること言ってるよ。
壱太郎。日和見自慢の長せりふも良く聞かせ、この方は「花形メンバー」ではあるけれど四大陸選手権シニアの部に出場してもおかしくない力を十分に持っておられると思います。安心してみていることができます。
注進の相模五郎(種之助)がずば抜けてよかった。まるでゴムまり。短い手足を思いっきり伸ばしたそのキレッキレの動きに目が釘付けです。身体能力の高さや舞踊の安定感は以前から感じていましたが。相模五郎。当たり役だったと思います。
残念なのはこの後の「舞踊・三人形」での奴。もちろん見せてくれましたが、相模五郎との完全なキャラ被りやん。女形も出来る人なので可能性を広げられるチャンスを作ってあげて欲しいです。(会社の方へ)
この2月24歳の誕生日を迎えたばかり、楽しみやわ。
新悟の義経、気品に溢れ良かったです。
最後に知盛最期の演出について。
私の記憶違い(妄想で自分勝手に演出する癖があるので)かもしれないけれど、
今回観たものと吉右衛門の知盛での大きな違い。
(もしご存じの方があれば教えて欲しいのですが)
松也知盛は纜(ともづな)を体にまきつけ大碇を持ち上げてみせます。
そののち碇を抱くようにして入水します。最後に綱がシュルシュル引かれ海の底深く沈んだことを暗示させます。
方や吉右衛門の知盛は私の記憶ではともづなを体に巻き付け大碇を持ち上げ(ここまでは一緒)その碇を海に投げ込みます。
ともづながシュルシュルと引っ張られてゆき、見ているこちらは海の深さを推し量ると同時にこの綱が引っ張られるその先に知盛の身体がありますので、知盛最期があと何秒か先に確実に来ることを知っているわけです。綱の長さは命の長さであるわけです。ああもうすぐなのだと思ったその瞬間。仁王立ちした知盛は綱に引っ張られて海中に落ちます。
私。間違ってる?絶対にそうだったよね。
この「おさらば」があまりに見事で前回は弁慶退場が記憶からすっぽりと抜けています。
今回の舞台ではしっかりとほら貝を吹く弁慶を見ましたけどね。
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2009/9~2013/8 の記事はコチラです⇒http://nurebumi.cocolog-nifty.
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