2016年8月
2016年8月29日 (月)
2016年8月28日 (日)
アクエリアス・Aquarius 輝く星座
「アクエリアス」猛練習中です。
そろそろライブに出ておきましょうかって!もうすっかり歌手ですわ。おほほ。
名声を聞きつけ4人入ってこられました。
そして・・・
即、二人辞めはった・・なんでやろ?
思ってたんとちゃう!って思われたのねきっと・・じゃあ、どう思ってたんやろ・・聞きたい。
うちらのカタカナ英語が気に障ったんならごめんなさい。
これでいっぱいいっぱいですねん。
先生はうちらに英会話レッスンを勧めはりました。
発音に関するちょっとしたアドバイスをしてもらうんです。
え~~そこまでする?別にアメリカに進出する気はないねんし・・
と言っていたらその新入生のうち一人(男性)が35年間英語をしゃべって暮らしていた人で私らの耳にはネイティヴに聞こえるわけ。じゃあこの人に教わったらいいやん。おたまちゃん、又、辞めさせたらあかんで!と言われました。意味わからん。又、ってどういう事やねん。
アクエリアスは1967年初演のミュージカル「ヘアー」の中で歌われます。
今回は1969年フィフスディメンションで大ヒットとなった「輝く星座」Vrです。
この曲を聴いてあの時代がすぐによみがえるア・ナ・タ
お年がわかりますわ。
ヒッピー文化・ロックナンバー・反体制・ベトナム戦争・・
こんなところがキーワード。
サイケデリックなファッション(宇野亜喜良のイラストみたいな)が街にあふれ、若者が何か叫んであれが60年代の最先端だったのかしらね。
歌の内容ですが・・・それがね。
よくわかんないんです。
さっぱり・・それで、仲間のKさんが色々調べてくれました。
この世界は宇宙の意思で動いているですって!
2100年ごとに時代が変わるの。
(うちらイエスキリストと同じ時代を生きているわけ)
で、今は魚座の終わりなんだけど。もうすぐみずがめ座の時代がやってきます。
争いばかり続いた時代から幸福のビジョンの描ける時代がやってくるのよ!あなた!
ようわからんでしょ。スピリチュアルでしょ
今は時代の過渡期だから誤ったモノや悪しきものがあぶり出されている最中なんだって(世紀末)
でもそれらはやがて駆逐されるはず。そしてアクエリアスの時代がやって来るの。
ついにポカリスウェットに勝ったの!
ってそんなはなしでは御座らぬ。
アクエリアスとはみずがめ座のこと。(主に占星術用語)
ヒッピー文化が生み出した名曲ですからね。
我々ドンジャラホイも「あーたたち怪しいハッパでもやってるんじゃない?」と言われれば本望です。
ほぼ、トランス状態で、新しい時代の幕開けを、厳かにそして神々しく歌い上げる所存です。
おお れっと いっと さんしゃいん かもん ですわ。
アクエリアス!みずがめ座! 叫んじゃいますわ
歌詞(和訳)を見つけましたので貼り付けておきます。
~ ~ ~~ ~~
2016年8月27日 (土)
手に余る責務を請け負い・・
「兄になる子の手を引けり鰯雲」 おたま
/
出産予定日を過ぎたのに一向に出てくる気配がない。
しぶといBabyだよ。
いや。おたまの願いを聞いてくれる賢い子といえる。
おかげで、地蔵盆も句会もボーカルレッスンもさくさくと消化。
掲句。句会に出しました。
本来ならば一つの句に生き物が二つも出てくると暑苦しくなるのよね。
この場合は「いわし」と「子」
でも・・これは成功じゃないですか?(自分でいうか)
おたまとグッ坊の後ろ姿。絵になるわ(自分でいうか?)
葬儀屋さんから毎年貰う「暦」(こよみ)によると
(うち、葬儀屋のお得意先です)
おたまの運勢ーーーー
8月・自らの立場と力量を第三者の目で確認し地に足をつけてまい進せよ。
いいのね。いいのね。五十肩が痛い!ってアピールして良かったのよね。
9月・重責でもひるまず取り組む姿に強力な味方の出現の気配大。
結局取り組むのね。
強力な味方ってアチラのご両親かしら(どうだかね)
10月・周囲からの要望や依頼ごとに奔走する。
え~~?なに?それ・・・産婦と嬰児・・やっぱり世話するのか!
どこかに「他人事には手をだすな」って書いてないかしらって探したけど載ってません。
もういいっ
こんな暦破いてやる
11月・難事に挑むは凶
12月・手に余る責務を請け負い四苦八苦
・
・
・
サイテー じゃん。
~ ~ ~~ ~~
2016年8月25日 (木)
地蔵盆・俳句
地蔵盆は京都を中心とする近畿地方では特に盛大で・・・
と歳時記にある。8月24日(陰暦7月24日)の行事である。
俳句の傍題としては
地蔵会(じぞうえ) 地蔵参 地蔵祭 六地蔵祭 地蔵幡
私の歳時記には載っていないが 辻祭 ともいうそうだ。
実家のある大阪府下でも地蔵盆はさかんだったように思う。
お地蔵さんは京子ちゃんのお祖父さんの屋敷の角にあった。
もともとここは尼寺で、廃寺になっていたのを戦前にお祖父さんが買い取られたそうで、その名残か可愛い祠が道路に向けて建っていて、近所のおばさん達が世話をしていた。
毎朝水を替え、花の絶えることがなかった。
「お地蔵さんは子ども達を守ってくれはるんやで・・」と聞かされていた。
時代とともにお地蔵さんが駐車場の一角に引っ越しをされたりビルの隙間にひっそりと祀られていたりするが、ここも例外ではなくお祖父さんが亡くなり、京子ちゃんの従兄に当たる人が家を相続すると敷地を利用して学習塾を始められ、お地蔵さんは近くのお寺に引き取られることになった。
お世話をしていたおばさん達も次々に亡くなられていた。
自治会や町内会でお地蔵さんをお守りすることは「信仰の自由」とかで難しくなっているらしい。そう言えばおたまの町の子供会の「秋祭りのおみこし」も無くなったしね。
「地蔵会を待つ先頭に乳母車」 おたま
昔の句。
夕方になると提灯に灯がともり浴衣の子ども達が集まって来る。
お楽しみのお菓子を貰える。来られなかった子の家にはあとでお菓子が配られる。
夏の終わりの楽しみな行事であった。
は~い。時間はワープして昨日行って来たですよ。
現在住んでいる町の地蔵会に。
知人のつてで村に素朴な行事が残っていると聞き付け、朝早くから・・・
それは自分の知っている地蔵会と全く違う素朴で素敵なものでした。
県道に面した2mほどの高さのお地蔵さまの祠
その祠にギリギリ入っておられる大きな石のお地蔵さま。
かなり古いです。
ここ、いつも車で通っているのにまったく気が付きませんでした。
綺麗にお供え物が飾られ赤いよだれかけも新品。
地べたに茣蓙を引いて御詠歌が始まりました。朝8時です。
近くのお母さん方7~8人。蝉の声と鉦の合奏。
子どもはいません。近くにもう小さな子はいないそうです。
その間にも村の人が一人二人とお供えを持ってお参りに来られます。
「みんみんに始まる朝の詠歌かな」
「なんとなく詠歌始まる藺座布団」
「地蔵会や村の母らの叩き鉦」
「地蔵会のうしろトラック行き交へり」
「新調の地蔵提灯朝の蝉」
「地蔵会の姑の口伝の詠歌かな」
「峡に風吹き抜け地蔵会灯りかな」
「足高の供え盆なり蚊遣香」
とにかく、見たままを書き付けておきます。
メモのようなものです。
俳句になっているかなっていないかは2の次です
あとで、ちゃんとします。(ほんまかいな)
昔はこの後、めいめいが持ち寄ったおご馳走で食事をしたそうです。
お地蔵さんの前に入れ代わり立ち代わり大人や子どもがやって来て・・。
昼からは長い苧殻に藁を巻いたたいまつのようなものに火をつけて、裏の山まで登りました。
今は登る人もなくけもの道になっています。山上のお堂も祠も朽ちているだろうとのこと。
山から下りてくるとこの村から10キロほど離れた町の川原で花火大会があるのです。
だからこの日は一日中行事に継ぐ行事で子ども達には待ち遠しい夢のような一日だったそうです。
供養だからと言って帰りにはお供えのお赤飯を持たせてもらいました。
(京都・美山)
ビルディングの1階にはめ込まれ?ておられました。
~ ~ ~~ ~~
2016年8月23日 (火)
安倍首相へ
あの 土管から出てきたのは・・・
ヒットラーかと思ったよ。
ヒットラーってあんな帽子被っていなかったけ?
安倍ちゃん。なんであの時満面の笑みを浮かべなかったんかね。
パーフェクトなお膳立てしてもらったのに・・
あそこでニコニコしてほしかったな。
少し、間がまずかったわね。引き抜きが早すぎた。
あそこは一旦ためておいて、
「え?誰・・誰・・スーパーマリオ?・・」と観客をぐー~~~っと惹き付けてからの「引き抜き」じゃなきゃね。
そして、満面の笑顔でイイネちょうだいするところだったのに
そこのところを残念に思う国民・おたま
やっぱり、「間」は大事。
お芝居の命です。
自分が先行しちゃうとこうなるのね
頭の中で段取りばっかり。「やってやろう」ばかり考えてる。
客観視できてないんだわ。
先走って目の引く演技をする。
でもそれは決して「大きな芝居」をしていることにはならない。
誰の事を言ってるかって?・・・・・
あ。ごめんなさい。
安倍ちゃんの話だった。
小手先の景気回復にあたし・・騙されていたのかしら。
あたしのお金、大ばくちに使っちゃった。ていうじゃない?
お上を信頼してお預けしているあたしの保険料。(厚生年金と国民年金長いこと払ってきました)
安定して保障していただけるんじゃなかったっけ?
安定運用が大原則でしょ?
なんですって?!
株式運用に使っちゃった?
見せかけの「景気回復」を演出するために?
アベノミクスっていうの?
それでもって、バクチの損失が2015年決算で5兆数億円。
2016年4~6月も既に5兆円の運用損失なの?
あなた。選挙の時そんな事全然おっしゃらなかったわね。
「そんな事」って・・巨額損失の事よ。株式運用の拡大を宣言して枠を増やしたのどなたでしたっけ?
お上が「年金財政が苦しい」っておっしゃると
そうね。そうね。若い人の負担がたいへんね。
とか、少子化だもんね・・とか一緒に心配して・・
お人よしだったわ、わたし。
国がギャンブルで大損していたなんて・・・
しかも。
ま。いいか!保険料値上げすれば支給年齢引き上げすればとか年金額削減すれば・・とかそんな解決しか考えていないなんて・・・
兎に角、早く帰ってきてください。
もう帰ってる?
じゃあ。お仕事頑張って下さい。
~ ~ ~~ ~~
2016年8月20日 (土)
それがどないしてん
4年にいっぺん、つけますねん。
はい?
誇らしげに胸を張りその人は答えた。
オリンピックの期間だけね。
きっとお高いポロシャツなんだろう。
この人いつも、襟を立てている。
アンタ熱血教師か?スクール・ウォーズか?
なんかシャキッととしたその左胸の小さなバッジ。
五輪のマークだ。
モリタに貰いましてん。
(知らんがな)
ネコタもヨコタもオオコも友達ですねん。
(ああ。そのモリタね)
・・・・・
こういうときは「わ~すごい」というべきか。
「よく見せてくださいよ」とバッジを指でつまむべきか。
知らない方に申し上げておく。
大阪では年上の人に「おっさん」と呼びかけてはいけない。
「おっちゃん」はオッケー。
上手く行けば、「兄ちゃん。このたこ焼き一つ食べるか?」くらいの対応をしてもらえるかもしれない。
しかし
「おっさん!」は絶対にだめ。
喧嘩を売ってると判断されても仕方がない。
「何イキっとんねん。表に出んかいっ!」くらいの事は言われかねない。
ちなみに「イキリ」は当地ではもっとも侮蔑を帯びたカッコ悪くてサイテーの状態。
こんな年になっても大人になりきれないワタクシ。
「はいはい。それは良かったですね」と言えたら・・。ムリ。
「それがどないしてん!」
「イキリか?OSSAN!」
と言いそうになるおちょぼ口を慌てて押さえる。
~ ~ ~~ ~~
フクシマ・レポートを読んで下さっている皆様へ
偶然に本日「会津の排他性」について論考されている記事に出会いました。
美しい写真もあります。http://blog.goo.ne.jp/yamansi-satoyama/e/18ad614816bf94657f0a8923aca051bc?fm=rss
この方に記事リンクをお願いしているわけではありません。
勝手に貼りました。
2016年8月19日 (金)
2016年8月18日 (木)
ひっつれいしました!
昨日の夕刊でしたかね
面白いことが載ってましてん。
七五三
全国津々浦々の皆さま。
これ↑ どう読まれます?
じゃあ・・ 質屋 は?
おたまは「ひちごさん」に「ひちや」です。
え?間違ってます?
ちなみに 「ひちごさん」でも「しちごさん」でも七五三と変換されますが
「ひちや」では日知屋になります。
へえ~~「ひちごさん」と違うんや・・・
いっこちゃんの「あさししんぶん」を笑ってる場合じゃないわね。
おばあちゃん(母の母)は京都七条のことを
きょうとひっちょ といいました。
ひちじょう→ひっちょう→ひっちょ になったのかしら。
(あれ!ひちじょうで七条と変換されました)
そうそう。京阪電車の七条あたりから鴨川が見えてくるねんね。
のどかな風景でしたね。今は地下に潜ってな~にも見えません。
七条の手前。墨染のあたりやったんかいな・・電車から「任天堂」のトタン板の工場がみえましたね、「ああ。ここでトランプやら花札を作ってはるねんなあ・・」って思っていました。
それが今や「ニンテンドー」ですわ。
あたしも、長生きしたもんです。
記事によりますと「日知」「日知副腎」「日知面疔」「日知何」
「七」「七福神」「七面鳥」「七難」など大阪ことば辞典には「ひ」で載ってるそうです。
ちゃ~~んとね。
そうです。ちゃ~~んとしてるんです。これれいいのれす。
京都の大学のセンセが「発音の文化が文部科学省的な発想にならされていく」というてはるそうです。
ほんまや!何も間違うてない!標準語に合わさんでもええ。
うちらはうちらで生きていきます。
ねえ。しっちゃん
あ。間違いました。 ひっちゃん でした。
どちらさんも。ひっつれいしました!
~ ~ ~~ ~~
2016年8月16日 (火)
真田丸・secretゆうべの秘密
秀吉(小日向文世)が茶々(竹内結子)に、あこがれのお市の方の面影を見ていた。というのはよく言われます。
お市の方といえば岸恵子さんですね(古っ!)美しかった。
(緒方拳の「太閤記」。少し前にNHKアーカイブスでやっていました)
で。その茶々殿が世継ぎを産んでくれたんです。
どんな心境でしょうね。
茶々殿だからO・Kだったのでしょうか
文春も新潮も無い時代。
誰も何にも云わないけれど。誰もがみ~んな知っている。
鶴松は秀吉の子ではないことを・・・
落書き事件では「護衛」の人を皆殺しにしていましたね。
怒り過ぎやろ・・残忍すぎ・・
これ、落書きに対する怒りだけではなく、秀吉の複雑な心の反映ですわ。(おたま妄想)
秘密の暴露を極端に恐れた(みんな知ってる!っちゅうねん)
秀吉には16人の側室が居たそうです。関係を持った女性は100人以上。
なのに・・・なぜ、茶々だけに子が出来たのか。側室の中には秀吉の側室になる前に出産経験のある人。秀吉の死後に再婚して子が生まれた人などが居ます。最もお気に入りの「京極竜子」さん・・浅井三姉妹の従妹ですが・・も、人妻時代に子をなしています。
秀吉自身に子の出来ない要素があったと考えるのが自然です。
じゃあ
どなたのお子?ということですよね。
茶々殿が男性と接触する機会は?
(九大の服部英雄教授のお説です)
当時、位の高い女性には「参篭」という習慣があったそうです。
一週間くらいの単位でお寺でお祈りするのね。
この時にお交わりになったのではないでせうか。
お相手はお寺の坊主。暗闇の中で相手は一切わかりません。
寺のサイドビジネスとして成立していたということです。
ほんまに・・セレブマダムったら・・・・
秀吉はこの事を認めています。許しています。
(なぜならば自分自身の出自も不明だからです)
しかし それは最初だけ。鶴松君に限ってなのです。
出来ちゃったんだから・・まあいいか(おたま妄想)
秀吉さんは関白の座を甥っ子秀次にゆずり、それでいい。と思ってはったんと違いますやろか。側室は沢山いたのに誰にも子を産ませていません(許していません)
ところが茶々に子ができた。話がややこしくなってきた。
可愛いじゃん。秀次は中継ぎでやっぱ「我が子」鶴松を後継に・・でも、その子が死ぬ。
そして 茶々が再び懐妊。
これは秀吉にとって寝耳に水だったのです。
このとき秀吉はSAGAの名護屋城に行ってたんです。はいな。朝鮮出兵イケイケどんどんの号令を掛けにね(このとき前出の京極竜子さんを伴っています)
茶々は大坂城にいました。
何をしてくれてんねん
秀吉。怒りますな。強腹立ちです。
「やがて帰るが、究明する。帰ったら何をするかわからへんで・・」という手紙が残っています。
男。55歳。どうでしょ。
男やないからわかりませんが・・今の55歳ではありません。秀吉の時代です。
おたまの友人が51歳でパパになりました。
(この時25歳の長男がいました)
山本五十六はお父さんが56歳の時の子やねんで。といってましたがあの人は地位も名誉も財産もあります。友人はしょぼくれた高校教師。公務員ですわ。
人生下り坂で気力体力経済力。すべて先細りの友人をホンマに心配しましたわ。(大きなお世話)・・ハナシ。どうでもいい横道にそれています。ちょっと思い出したので。へへ。
てっぺんをきわめた秀吉。
「秀頼を頼む・・・」とテレビでは言ってましたが
彼の最後の願いは果たして豊臣の存続だったのでしょうか。
~ ~ ~~ ~~
2016年8月15日 (月)
真田丸・wander秀吉迷走
何やかやと(ワタクシが)忙しくしている間に死んじゃいましたね。
豊臣秀吉
最後の場面(ご臨終)さすが役者さんや!って思いました。
涙がポロリと落ちたとき小日向文世さん。心の中でガッツボーズしはったんと違いますか。上手い演技でしたわ。
人間って自分がやったことはすぐに忘れるのにやられたことは覚えている。
当然です。
以前、韓国旅行した時、現地ガイドさんにどんだけ言われたことか!
「朝鮮半島が外国から攻められた歴史が二つある。一つは、モンゴル。一つは日本。」
そんな事言われたって、うちら「秀吉の朝鮮出兵」(文禄・慶長の役)なんて学校の授業で1行しか習ってないもん。
それが‘やったほう’の認識なんよね。
1592年3月秀吉の号令でSAGAは唐津に集結した軍勢15万8千8百。
4月には小西行長の先発隊1万8千7百が釜山上陸。
何を言い出すんや。何を血迷っているのか。秀吉!
深く考えてないんです。ただの「あおり」です。
「鶴松の死」のあおりなんです。やけくそですわ。
鶴松が亡くなったのは1591年のことでした。
秀吉の狙いは「明国」
跡継ぎの鶴松亡き後、姉の子である秀次(新納慎也)を日本国王に、そして自分は「明」の王になるという計画(思い付き)です。そのためには朝鮮を道案内に・・という算段でした。
無茶苦茶なハナシですわ。この事件(朝鮮出兵)は韓国・朝鮮にどないに言われても言い訳の立たないことです。
宣戦布告なんてあらしません。真珠湾攻撃と同じです。
今でいうたら、国際法に反しています。
出会い頭にバンバンバン。
平和に野良仕事をしていた人を刃にかけてあっという間にソウル(京城)まで侵攻してゆきます。
一方国内では秀次事件が起きます。
テレビでは秀頼誕生後の秀次がノイローゼ気味になって自害。ということになっていましたが、よう考えてみてください。
秀次の妻子(幼児を含む)39人が三条河原で処刑されます
(秀次さん。ご自分の仕事は血脈をつなぐことと思ってはったんかな?奥さん多すぎ。)
この時、最上義光(伊達政宗の従弟)の娘・駒姫(当時4・5歳)が秀次に嫁ぐために京に向かう途中でした。これまた斬首されています。
最上・伊達は物凄く怒り、のちに豊臣には味方していません。
そして秀次の居城。聚楽代を跡形もなく破却する。
さいな!。とことんやってます。残虐に。
これは制裁ですね。
勝手な解釈ですが、甥を自害に追い込む?そんなやわな事ではなかったと思います。
迷走の始まった秀吉は秀次謀反の妄想に駆られていたのではないでしょうか。
朝鮮出兵ですが、一番隊の小西行長ね、もともと堺のお薬屋さんです。商人の出だから治部殿(山本耕史)とは話が合います。三成派です。
この小西行長とソリの合わないのが加藤清正(新井浩文)武闘派です。清正も二番隊主将として先鋒を任されました。
この二人は地元(九州)の大名という事で中心となり朝鮮へ往くわけですね。
仲の悪い・ソリの合わない大名同士を隣国に置くというのが秀吉のやり方。互いにけん制し合い競争させる。
秀吉の迷走とはいえ戦いに戦って秀吉軍は鴨緑江辺りまで進軍しています。「明」はすぐそこ。朝鮮全土を進軍したことになります。
ところが・・・・「帰って来い」という事になります。
秀吉の死です。
加藤清正。そら怒りますわ。もうボロボロですわ。
豊臣の為に命掛けて闘ってきたんです。
その怒りの矛先が石田三成に向けられるのです。
朝鮮出兵で痛い目に遭ってきた・・それを察してくれなかった。
三成の派遣した戦目付がいろんなことをチクリます。清正これで蟄居謹慎てなことにもなり、それが「関ヶ原」の伏線と違いますか・・なんてね。
冷静にかんがえたら、日本軍は明・朝鮮連合軍に苦戦を強いられていたんだし、ワケワカメな秀吉も亡くなったことだし早く終わらせたいのは当然です。
終息に向けて音頭取りをしたのは家康(内野聖陽)なんだけどね。
加藤清正をはじめとする武闘派が「算盤ばっか弾いてんじゃねえよ!」と三成への溜まりにたまった怨念を爆発させるのは・・・
たぶん。来週かしらね。
~ ~ ~~ ~~
2016年8月 9日 (火)
帰って来たわ。
たらいま~~
おかいり~~
別宅(あっちのブログ)から帰ってきました。
限定記事は思いがけなく、たくさんの方に読んでいただけて、とてもうれしく思っています。
自分としても感じた空気感の薄れないうちに記録できて良かったです。
人間って忘れちゃうんですよね。
福島のおみやげをガチャピン(近所友)宅へ持っていきました。
ガチャピンも夫・ヒロシさんも15年間東京で暮らしていました。
興奮気味な私の「語り」をちょっと涙ぐみながら聞いてくれました。(エエご夫婦でしょ)
国会議事堂をフクシマへ持っていけばいいのよ!
文化庁を京都に移す話だって出てるんだし・・
・・・でもね、今はカッカと腹を立てているけど薄れていくのよね。
テレビでオリンピックに浮かれて、
(この世で一番いらん)不倫釈明会見なんて見てたりするのよね。
私だって、明日から(たぶん)あふぉAFOブログを再開するのでしょう。
やになっちゃうわね。
一緒に地球の平和と
人類の自由のために闘おうではないか!
(ウルトラマンティガマルチタイプ)←たぶん
~ ~ ~~ ~~
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公開場所
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