真田丸・secretゆうべの秘密
秀吉(小日向文世)が茶々(竹内結子)に、あこがれのお市の方の面影を見ていた。というのはよく言われます。
お市の方といえば岸恵子さんですね(古っ!)美しかった。
(緒方拳の「太閤記」。少し前にNHKアーカイブスでやっていました)
で。その茶々殿が世継ぎを産んでくれたんです。
どんな心境でしょうね。
茶々殿だからO・Kだったのでしょうか
文春も新潮も無い時代。
誰も何にも云わないけれど。誰もがみ~んな知っている。
鶴松は秀吉の子ではないことを・・・
落書き事件では「護衛」の人を皆殺しにしていましたね。
怒り過ぎやろ・・残忍すぎ・・
これ、落書きに対する怒りだけではなく、秀吉の複雑な心の反映ですわ。(おたま妄想)
秘密の暴露を極端に恐れた(みんな知ってる!っちゅうねん)
秀吉には16人の側室が居たそうです。関係を持った女性は100人以上。
なのに・・・なぜ、茶々だけに子が出来たのか。側室の中には秀吉の側室になる前に出産経験のある人。秀吉の死後に再婚して子が生まれた人などが居ます。最もお気に入りの「京極竜子」さん・・浅井三姉妹の従妹ですが・・も、人妻時代に子をなしています。
秀吉自身に子の出来ない要素があったと考えるのが自然です。
じゃあ
どなたのお子?ということですよね。
茶々殿が男性と接触する機会は?
(九大の服部英雄教授のお説です)
当時、位の高い女性には「参篭」という習慣があったそうです。
一週間くらいの単位でお寺でお祈りするのね。
この時にお交わりになったのではないでせうか。
お相手はお寺の坊主。暗闇の中で相手は一切わかりません。
寺のサイドビジネスとして成立していたということです。
ほんまに・・セレブマダムったら・・・・
秀吉はこの事を認めています。許しています。
(なぜならば自分自身の出自も不明だからです)
しかし それは最初だけ。鶴松君に限ってなのです。
出来ちゃったんだから・・まあいいか(おたま妄想)
秀吉さんは関白の座を甥っ子秀次にゆずり、それでいい。と思ってはったんと違いますやろか。側室は沢山いたのに誰にも子を産ませていません(許していません)
ところが茶々に子ができた。話がややこしくなってきた。
可愛いじゃん。秀次は中継ぎでやっぱ「我が子」鶴松を後継に・・でも、その子が死ぬ。
そして 茶々が再び懐妊。
これは秀吉にとって寝耳に水だったのです。
このとき秀吉はSAGAの名護屋城に行ってたんです。はいな。朝鮮出兵イケイケどんどんの号令を掛けにね(このとき前出の京極竜子さんを伴っています)
茶々は大坂城にいました。
何をしてくれてんねん
秀吉。怒りますな。強腹立ちです。
「やがて帰るが、究明する。帰ったら何をするかわからへんで・・」という手紙が残っています。
男。55歳。どうでしょ。
男やないからわかりませんが・・今の55歳ではありません。秀吉の時代です。
おたまの友人が51歳でパパになりました。
(この時25歳の長男がいました)
山本五十六はお父さんが56歳の時の子やねんで。といってましたがあの人は地位も名誉も財産もあります。友人はしょぼくれた高校教師。公務員ですわ。
人生下り坂で気力体力経済力。すべて先細りの友人をホンマに心配しましたわ。(大きなお世話)・・ハナシ。どうでもいい横道にそれています。ちょっと思い出したので。へへ。
てっぺんをきわめた秀吉。
「秀頼を頼む・・・」とテレビでは言ってましたが
彼の最後の願いは果たして豊臣の存続だったのでしょうか。
~ ~ ~~ ~~
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コメント
おたまちゃん、解説ありがとう。昨日まとめてどんと見る前に解説を読んでいたのでとてもよく解りました、一つだけ・、昔は鶴丸君と拾君は山本耕二君の子供らしいと聞いたような・・・そうだったのお寺ね。あの時代にフライデーがあれば真相がハッキリしてたのに、じゃんねん!(グッ坊君流に)
投稿: 名前?忘れた | 2016年8月17日 (水) 22時50分
名前?忘れたさんへ
お忘れになったのですか?いけませんねえ。
貴女様は「パコちゃん」です。二の腕に刺青でもしておいてね。
そなんですね。石田三成や大野治長が噂の相手に挙がっていますが、それはないでしょう。三成はそんな大それたこと出来ないし何よりも秀吉が許すはずがありません。
大野治長はホレ、いつも茶々にくっついている乳母さんがおられるでしょ、大蔵卿って言います。彼女の息子でずっと茶々の傍で仕えていた人です。さあ・・どうなのでしょうね。
小説では色々書かれていますが、
私は「歩く歴史学者」服部先生の説の方が頷けます。秀吉があれだけ怒ってるんやもん。もし治長なら生かしておくわけがありません。
御免なさい。朝から熱くなってしまいましたわ。
投稿: おたま | 2016年8月18日 (木) 08時01分