あはれ花びらながれ
峡にあるotamaが在所のそのまた山深くに咲いていた桜が
とうとう、散った。
桜はもう「満腹だ」といいながらも、「散る桜」はいいものだ。
と思ふ。今まさに落花盛んなるアタクシ。イェイ
高校に入学してすぐに美しい詩に出会った。
甃(いし)のうへ
三好達治
あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音(あしおと)空にながれ
をりふしに瞳をあげて
翳(かげ)りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍(いらか)みどりにうるほひ
廂廂(ひさしひさし)に
風鐸のすがたしづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃のうへ
「測量船」1930年
これは、教科書に載っていたと思うが
先生が別に伊東静雄の詩も(あの当時はたぶん)ガリ版で刷って渡してくれた。
その時の震えるような感動はいまでも思い出せる。
流麗で深く。静かで美しい詩だった。
「高校生なったらこういうことを習うんや・・」ととても嬉しかった。
伊東静雄は大阪府立住吉高校で教鞭をとっておられたそうで、現国の先生はそう言った意味でも思い入れがあったのかもしれない。
学校はどこでもそうかもしれないが、我々の通ったところは特に桜が美しいことで有名だった。満開の桜の下でクラス写真を撮ってもらった。
三好達治の死後、萩原朔太郎の娘・萩原葉子によって書かれた「天上の花」(これは芥川賞の候補になった)を始業前の図書館に通い詰めて読んだのも懐かしい記憶だ。
男女の機微などわかるはずもない高校生にとっては、「思い込みと執着心の激しい。ああ詩人って面倒くさい人種ね」くらいの感想しか持たなかった。
天上の花・・・達治の詩の中にある「こぶし」
この「こぶし」にあこがれ、31年前に今の家を建てたとき真っ先に庭に植えた。
私にとって散る桜は達治の詩と結びつき、なんだか嬉しくて明るくて美しくて・・そうそれを「希望に満ちた」って言うんだろうな・・15歳の自分と結びつく。
達治忌は4月5日。まさに爛漫の桜のころだ。
そうそう、我が家のこぶし。30年のうち見事に天上に花を咲かせてくれたのは2年ほどで、あとはさっぱり花をつけず・・そした枯れた。
昨年の秋、ついに切り倒してもらった。
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コメント
今回の題名を見て「エッ!!!これは~」とビックリしました。本文を読んで更にビックリ。
私が習った教科書と同じだったかも・・・。私も三好達治のこの詩に感銘を受けて彼の詩集を買いました。
萩原葉子の「蕁麻の家」も読みました。本当に詩人はそれぞれに凄い感性を持っているものだと思います。
今、やっと私の住む町の桜が咲き始めました。例年より10日も早いです。
投稿: のんのん | 2016年4月21日 (木) 15時42分
おたましゃん
あ~懐かしい あはれ花びらながれ
私も高校生の時に習いました。
なんて美しいんでしょ。あの時の感動がよみがえりました。
心はやっぱり高校生のままなんだわ。
投稿: BB | 2016年4月21日 (木) 20時40分
のんのんさんへ
絶対に同じ教科書ですね^^
「いらくさ(漢字でない)の家」を読まれたときは大人になっておられたのですね。
私は読んでいませんが萩原葉子の自叙伝ときくと「凄い」だろうなと思っています。
「天上の花」は凄まじいDVの場面がいつまでもねっとりと残って乙女(?)には理解しがたいものでした。
あんなにきれいな詩を書く人がね。
桜。どうぞ楽しんでくださいね。日本って細長いんですね
BBさんへ
そうそう。いつも、いつまでも乙女。
オカメじゃなくってオトメですわ。
「あこがれ」が死語じゃなかった夢見る夢子さん。
綺麗なものだけに囲まれて成長していたらこんな風にはならなかったよ。
今のアタシに誰がしたあ・・・
投稿: おたま | 2016年4月22日 (金) 09時18分