梅雨前線停滞中なり
一年の半分が終わっちゃったよ。
早いですねえ。
[光陰屁の如し]だっけ?
昨日は地元の句会でした。
毎月、大阪から車でやってきていたAさんが昨日で抜けられました。
多忙でスケジュールの調整がつかないとのことでしたが
掛け持ちしていた三つの句会のひとつを「断捨離」されたというのが本当のところだと思います。
武者修行というか、色々なところ(結社)を知りたいのは特に初学の多くの人の思うところです。
俳句は主宰(指導者)の俳句に対する考えや、向き合い方でそれぞれの結社の色彩があります。
まずは自分の好きな指導者を見つけて結社に参加するのが理想だけど、
多くの人は「俳句」や「結社」を全く知らないまま、何かの縁で参加することになるようです。
俳句は「座」の文芸であるといわれます。
力のない自分はやはり縁のあったこの「座」で、もうしばらく揉まれてみます。
・・・・・・・・・・・・・・
俳句とは全く関係ありません。
私には「師」と呼ぶ人がいます。
自分の人生の最大の幸せはこの人に巡り合ったことだと思っています。
一つの質問をされます。テストです。
答えます。
もっと簡単に言え。といわれます。
答えます。
もっと簡単に。
答えます。
もっと、もっと・・・・
追い詰められてでてきた言葉は自分が自分のキャパでしか理解し得ていないもの。
それが、今の自分にとっての真実。
師の言葉をなぞるのでもなければ本に書かれていることでもない。自分の血肉となっているものを答えよ。ということです。
頭で考えたことと、身をもって知るということは全く違う。
それが学ぶということだ。と、とことん叩き込まれました。
・・・・・・・・・
俳句、停滞中なり。
「教え」はすべてに通じていることを
再認識する。梅雨の底。
どっぴゃ~~。
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コメント
春にDせんせ宅に行ったとき、
せんせがFBがへんになったと、
聞けば以前私が経験したことがある事でした。
とうとう私もせんせに物を教えるようになったか?
師弟関係54年目になりました。
投稿: youko | 2015年7月10日 (金) 16時26分
youkoさん
感慨深いおはなしです。
せんせ。まだ成績表握ってはるのでしょ?
頭があがりませんね。
さからったらコピーばらまかれると思いますわ。
投稿: おたま | 2015年7月11日 (土) 09時08分
「人生最大の師に巡り合った・・・」とは心底羨ましい、求めても叶わぬ事がほとんどなのに。
問う!学ぶとは。 私!四方を鏡に囲まれた筑波山のガマ。
おたまさんの「シャコンヌ」を書いた記事のなかの「至高体験」もっと聞きたかったんですけどね。オイラの至低体験の結論は「生きて在るだけ」人も草も。
投稿: 坂口あんちゃん | 2015年7月11日 (土) 11時41分
坂口あんちゃん
問いに答えて
ああ。そうだったのかと気づくこと。
「生きて在る」ことを知れば「悟り」ですよ。「在るを知る」
「知る」に至ればそれは宇宙につながる。
なんちゃってね。
投稿: おたま | 2015年7月13日 (月) 09時00分
坂口あんちゃんさまのおっしゃる通り、
人生最大の師に巡り合ったのはホント羨ましい
私は、「学ばなかった、気づかなかった。」かな?
学ぶは真似ぶ、マネすることから始まる?
おたまさんを手本の私は真似て、マネて気づくかも?
老後は長いから~~、ガンバ
投稿: 熱烈 | 2015年7月15日 (水) 09時39分
熱烈さん
おたまは手本にはならんですばい(キリッ!)
出会いは偶然でも幸運でもなくあります。
学びや気づきもそういうことだと思います。
投稿: おたま | 2015年7月16日 (木) 08時29分