悲しき天使
今頃の季節だったと思う。
ツィードのブルーのオーバーコートを着ていた。
高校2年から3年になる頃だったのか、卒業を控えていた時期か定かではないが
クラスメイト3人で四国・高知へ行った。
A子の伯父さんがドライブインのような大きな喫茶店&レストランを経営しておられた。
店舗の裏手が住まいで、私たちには其処とは別の歩いてすぐにある離れが用意されていた。
伯母さんと,我々より二つほど年上のひーちゃんという従姉が店を切り盛りし、きれいな女の子のアルバイトも二人ほどいてなかなか繁盛していた。
ジュークボックスがあった。
オートバイで乗り付ける常連の若者たちとすぐに親しくなった。
大阪の女の子が珍しかったのだろう。
オートバイの後ろに乗っかり、そこらへんを一周してもらった。
普通、慣れない子はカーブで体を反らすけど、ライダーと一緒に体を合わせてくれるので乗せやすかったなどと言われ、我々ははしゃいでいた。
伯父さんはA子を可愛がっていた。
それは傍から見てもよく分かった。
友人である我々も、龍河洞や桂浜に連れて行ってもらったり、闘犬を見せてもらったり、三人おそろいの珊瑚の指輪を買ってもらったりした。
そのことがひーちゃんの癇に障っていたのか、常連のライダーたちと仲良くなったことに腹を立てていたのか、ひーちゃんとA子の間に険悪な空気が流れていたようだった。
A子に「ひーちゃんと自分(方言でyouの事)らの板挟みだ」と言われ、
ああそれは悪うございましたねと、単純な私と私に輪をかけて気の短いB子は「もう、帰ろ!」ということになった。
A子のわがままぶりも少し鼻についていた。
予定より一日早かった。
その夕方、伯父さん(おんちゃん)が離れにやってきた。
A子はいなかった。店の手伝いをしているらしかった。
おんちゃんは二人を高知市内の皿鉢料理の店へ連れて行ってくれた。初めて見る豪華な料理だった。
「大人のジョーク」を我々にぶつけ、我々も笑った。
「明日、帰るんやて?A子ともう少し一緒にいてやってくれんか。
あの子は、わしの妹の子やけど、お父さんがいないんや。だから仲良くしてやってほしい」
大の大人に頭を下げさせるようなことを私たちはしてしまっていた。
A子が小学生のころ父親は愛人のもとに去った。その人に子どもができたからということだった。母親は意地でも籍を抜かず彼女と弟を育て上げた
その事情はA子から既に聞いて知っていた。
ドライブインに戻ってきた。
カウンターの中のA子も、いつもツンケンしていたひーちゃんも私たちを見て笑った。
ジュークボックスにいつもかかっている曲
メリーホプキンの悲しき天使が流れていた。
21歳で結婚したA子は25歳で未亡人になり29歳で8歳年下の男性と再婚した。
子どもには恵まれなかった。
同性に恋をしていたB子は見合い結婚をし4人の子持ちになった。
私も二人の子の母になっていた。
・・・・・・・・・
1994年。ロスアンジェルス・ドジャースタジアム
ワールドカップのためのコンサートが開かれていた。
三大テノールの夢の饗宴。
それが、日本でもテレビで放映された。
私は台所に立っていた。
「マレーキアレ」おなじみの歌だ。
おおマリー わが想いに応えて・・
その曲に続き、流れたのがあの「悲しき天使」だった。
ウクライナのバラライカのメロディが流れてきた。
私は呆然と立ち尽くし、なぜか涙があふれた。
最近化粧品のコマーシャルでこの曲が使われたためか
若い世代の人にも知られるところとなった。
今、通っているボーカルレッスンでもこの曲を取り上げることになっている。
ポールマッカートニーがプロデュースしてメリーホプキンを世に送り出した曲だ。
原曲はロシア民謡とも、ジプシーの歌とも言われている
・・・・・・・
Remember how we laughed away the hours
(いつまでも笑い続けたのを忘れない)
Think of all the great things we would do
(私たちが夢見たすべてに思いを!)
Those were the days my friend
(友よ、そんな時代があった・・)
We thought they'd never end
(それは決して終わらない。私たちはそう思っていた)
・・・・・・・・
1968年。メリーホプキン、18歳の曲である。
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コメント
ハイビの好きな曲に、Rose があります♡
Some say love, it is a river, that drowns the tender reed
Some say love, it is a razor, that leaves your soul to bleed
Some say love, it is a hunger, an endless aching need
I say love, it is a flower, and you, its only seed
愛、それは川、若い葦を沈めてしまう川、という人もいる
愛、それはカミソリ、あなたの心を切り血を出させてしまうカミソリ、
という人もいる
愛、それは渇望、永遠に求め続けるもの、という人もいる
私は
愛、それは花、そしてあなた、その唯一の種
私はそう思う・・・・
おッたまオバチャンの今回のブログ見ながら思わず口ずさんでた・・友情にも愛はある❢恋愛とは少し情景はちゃうかな?でも、そこには「愛」があってさ・・・・
人生の歴史、おたまオバチャンにはかなわんハイビやけど、何気に感じいったで、思うとこもあったわ・・・また、風邪ひかんでや❢免疫能をUPUP!!
投稿: ♡ハイビスカス♡ | 2015年2月 1日 (日) 19時46分
ハイビちゃん
Roseユーチューブでみてきましたがな
いい曲教えてくれてありがとうです。沁みる・・・。
悲しき天使の原題「those were the days]とは「懐かしき日々」くらいの意味だと思います。
あの頃、いっつもゲラゲラ笑っていたけど
今、思えばあの頃が
おたまおばちゃんの(イッケネ~自分でおばちゃんて言うてしもうてるがな!)人生で一番つらく悲しく苦しい日々だったと思うのです。
それが青春さっ!
みんな誰でも思い通りなることやならないことの繰り返しで生きているんだけど、その時その時「自分は美しく生きたか」ということが大事やね。
今頃遅いか・・・シュン
風邪はもう大丈夫やで。アリガト
投稿: おたま | 2015年2月 1日 (日) 22時31分
音楽と食べ物ってその時の場面や思いを鮮やかに思い出させるものがありますね。
昔の青春群像映画のシーンを見ているみたいに感じられました。
おたまさんの文才は素晴らしい~~♪
それで、先月末締め切りの作品を是非読みたいです!
入賞発表はいつですか?
大賞になるかも?
写真は用意してある? 服は? ワクワク♪♪
投稿: 熱烈 | 2015年2月 4日 (水) 08時40分
熱烈さん
メロディの一節でたちまち「その時」に帰ることってありますよね。
じぶんではすっかり忘れていたことが思いがけない時に・・
音の記憶というのは凄いと思います。
こないだのですか?
賞金かかってたらブーブー言いませんがな。
あれは宿題です。
そして、出来たら忘れたい
投稿: おたま | 2015年2月 5日 (木) 09時12分
メリー・ホプキンの「悲しき天使」
Mary Hopkin Those were the days
https://www.youtube.com/watch?v=AyaTIXdN5fI
とても懐かしい歌です。
小生は二十代後半の一時期、この歌にハマりました。
投稿: ganjee | 2015年2月 5日 (木) 13時15分
ganjeeさん
メリーホプキンの清純で透明感のある歌声も素敵でしたね。
当時は森山良子さんが日本語で歌われていたVrがあり、「恋の歌」だと思っていました。
この度、レッスン曲になったので色々教わったのですが共に民主化を戦った仲間たちとの懐旧の歌だそうですよ。う~む。ロシアっぽい。
おたまより少し年長の「歌声世代」の方たちにとっても郷愁をそそるメロディのようです。
投稿: おたま | 2015年2月 6日 (金) 08時05分