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2013年11月

2013年11月30日 (土)

山頭火と箕面



201212_034
大阪府・箕面公園・・箕面大滝へ続く道

後藤夜半の代表句

     「瀧の上に水現れて落ちにけり」

で、有名な大阪府・箕面ですが、
放浪の俳人・山頭火もこの地を訪れたことがあり、句碑もあることを知りました。

古い観光地に行くと、あちこちで句碑をみつけます。
ああ、ここにも・・と普段なら感じるのですが
前知識がなかったぶんだけ驚きとともに感動がありました。

特に、碑の裏側の山頭火の日記です。

文字は人を表すといいます。
いきいきと今ここに在る人のような臨場感があります。
とは言ってもこれが山頭火自身の筆跡であるかどうかは確認していませんが・・

(前)
201212_030


みんな洋服で

 

 

 

私一人が法衣で

 

 

 

雪がふるふる

 

 

(後ろ)
201212_029西江寺の一室で句会、句作そのものは

 

あまりふるはなかったが、句評は愉快だった。

 

酒、握飯、焼酎、海苔巻、各自持参の

 

ご馳走もおいしかった。

 

雪は美しい、友情は温かい、私は私自身を祝福する。

 

昭和十一年三月八日 其中日記より

 

 

山頭火五十四歳

 

と記されています。

歩いて歩いて歩き続け
一生を放浪のうちに過ごした山頭火。

常識を捨て去った行乞という暮らしの中で
彼は迷いを解くことが出来たのでしょうか。

 

 

 「分け入れば山頭火の句碑枯れ葎」 おたま
  (ワケイレバサントウカノクヒカレムグラ)

 

西江寺境内にある、この山頭火の句碑は平成18年10月の建立だそうです。
建立されて日も浅いのでご存じない方も多いと思います。
機会があればおでかけください。


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2013年11月29日 (金)

これは宣伝ではありません



この「おたまの未亡人日記」を始めたのが2009年9月。
出来心でした。

ブログ?なあにそれ?

と言いつつ息子に勧められ一か月だけのつもりで始めました。

1か月だけのつもりが色々覚えることがあったり、知らない人からコメントをいただくのが嬉しくて、もう2か月延長することにしました。

わけのわからないまま[ブログ村]というものに参加したのもそのころです。
小さなカテゴリーで一位になっていました。

アクセス数が伸びる要因に
「どなたかの推薦」というのがあると思います。
その。「どなたか」が私にはとても幸せなことでした。

まず、うばゆりさん。
ブログ開始から二か月ほど経ったころ、初コメントがきました。
ご自分のブログで「おたまの未亡人日記」を紹介したと。
そういえば、やたら「うばゆり日記」 というところからのインが増えていました。
うばゆりさんは当時ブログ村/シニアランキングの上位常連さんでした。

それから数か月して、ごんべさん。
ご自分の人気ブログ「天真爛漫ちゃらんぽらん」 に私のブログのことを書かれていたのにシャイなごんべさんからは一言の連絡もありませんでした
三年ぶりにブログ村に帰ってきた私のことをマタマタご自分のブログの中で紹介して下さっていました(これも連絡なし

次になんということでせう。
あの。週刊朝日のコラムで「おたまの未亡人日記」が取り上げられました。
いまだにポッカ~~ンです。過分なお褒めに今でもワケがわかりません。

そして、匿名希望のある方。
この人は当時一日のアクセス数一万件を超す人気ブロガーでした。
あまりにも急激なアクセス数の増加にその方のブログを訪問しました。そこには「おたまの未亡人日記」の紹介と、「勝手に紹介していることを本人(おたま)に知られたくない」と書かれていましたのでそ~~~っと帰ってきました。

あと、勝手にリンクを貼って下さってる方も7~8人存じあげています。
お礼を言ったことは無いけどありがとう

 

振り返れば
こんなに恵まれた応援をいただいていたのです。


話は元にもどります。

ブログ開始三か月目には予定通り「ヤメル」ことにしました。

・・・

しかし、今ここにこうしてグッタラグッタラ書いているのはどういうこと!っておもわれるでしょ?

それは、その時のうばゆりさんのこの一言
   「石の上にも三年でしょ!」

おかげで、四年目も過ぎちゃいました。
旅の記録を残せたり、好きな歌舞伎の話を好き放題書いたり、ブログは私にとって、楽しい暮らしの必須アイテムになっているようです

ご本人はこう呼ばれることを嫌がられますが
師匠・うばゆりさんは男前(女性ですが)でカッコイイ方です。

趣味の布遊び(?)で染めたり縫ったり・・・
現在は好きすぎて集めすぎた布を成仏させるべく作品作りに励んでおられます。

貯まったら、YOOオークションに出ます。
「大人の巾着袋」って名前です。
次はいつかなあ・・・
Dsc01682
大島紬などの和の布でできた巾着

実際の手触りの良さや仕立ての丁寧さを伝えにくくて残念。

句帳入れにいいなあと思いプレゼント用にGETしたのですが
実物を見るとわが手から離しがたく

左はティッシュと手鏡と口紅と紅筆
右は観劇用オペラグラスが入っています。

引き落とし価格は驚きの○○円でした

勝手に宣伝していることを本人(うばゆりさん)に知られたくないおたまです。
うばゆりさん。もしここに来られてもそ~~~っと帰って下さい。

 

 (これは宣伝ではありません

 


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2013年11月28日 (木)

秋の日のギャラリー



忘れないうちに、ベトナム・タイ旅行に行く前後のことを記しておきます。

Dsc01660大阪市内のフォトギャラリーで開かれた知人の写真展へ行きました。

 

Dsc01666本当ならば、お手伝いをしたいところですが、旅行期間と重なってしまい、この日だけなんとか訪れることができました。

 

入り口には、不肖ワタクシが書いた「ご挨拶」が掲げてありました。

 

この方のご夫君を「チチウエ」と呼び、本当に親しくさせていただきました。

アマチュアカメラマンとして大きな賞をものにされていたチチウエの東京・大阪・地元での個展・二人展はチチウエの病気をきっかけに家族・友人が一丸となり精力的に開催にこぎつけたものでした。

あれから7年。
門前の小僧を自認されていた、「ハハウエ」の初めての個展が開催されたわけです。
遺志を継ぎよく頑張られたとおもいます。
秋晴れのとても素敵な一日でした。

Dsc01674二科に作品が出てるから、ついでに寄ってきて・・。と言われ
天王寺にある大阪市立美術館へ行きました。

 

Dsc01676この正面入り口。いかがですか?

 

美術館なのだから、もう少し美的な景観にならないかなあ・・

 

写真はまったく素人のあたくしですが
25年も、その人の作品を見ていたら、すごいものですね。あれだけの展示の中からすぐに「ハハウエ」の入賞作品を見つけることができました。
3枚組の都会的でモダンな写真でした。

Dsc01675美術館からは通天閣が見えます。

 

大阪以外の方にはわかりづらいかもしれませんが、この辺りいろんな意味でディープな場所です。

 

おたまちゃん。ナンパされました。
⇑ 嬉しそう?

 

花の乙女なら驚きと恐怖で打ち震えるでしょうが、
そこはほれ。何といっても経産婦だ。

オオカミなんかこわくない。

Dsc01670
阿倍野(天王寺)は久しぶりです。
様変わりしていました。
Dsc01671こんなものが建っています。

 

あべのハルカス。

 

一部オープンしましたが、まだ建築中です。
地上60階。
今の時点でも日本で一番高いビルだそうです。

 

このビルの中にも美術館が入る予定です。

そうなれば

大阪市立美術館はますます
あの、門からして大阪市のやる気の無さがうかがえますもの。

庭園のある贅沢な敷地。建築物の価値は知らないけどいかにも風格のある建物やし・・・
もっと、力入れてくれたらエエのになあ・・大阪市。
Dsc01668
大阪市営地下鉄御堂筋線/天王寺

民営化、どないなったん?ハシモッさん。
あ。美術館は残しといてね。

 

 


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2013年11月27日 (水)

占い師の言葉



夫の葬儀から2か月ほど経った頃だったと思う。

49日の間は我が家から通勤していた長男が大阪市内の自分の部屋に戻り、家は猫と私の二人っきりになった。
次男は東京で暮していた。

そんな朝、
新聞を広げながら「そうだわ。イ・ビョンホンに癒されよう」と思った。
映画の上映案内が目に入ったからだった。

今はもうないが、車で40分ほど離れたショッピングセンターの中のシアターに行った。
「甘い生活」
題名からは程遠いハードボイルドな内容で暴力シーンが疲れた心にはきつかった。

やれやれ。イ・ビョンホンでも無理か・・・

 

ショッピングセンターのパーキングに戻る途中に「占い横丁」という路地があり、7つくらいのブースにそれぞれ「○○占い」という看板が上がっていた。若い女性が数人順番待ちの椅子に腰かけているところもあった。

素通りするつもりが、右を向いた瞬間に、ブースの中の占い師と目が合った。
年齢は当時(8年前)の私より少し上か・・
紫の服に紫の大ぶりなネックレス。どことなく「トカゲっぽい」女性だった。

どうして彼女の前に座ったのか説明がつかない。

占いを信じる信じないというより、そんな事(占い)にお金を使うのは馬鹿げているという考えだった。歌舞伎なら惜しげもなくチケットを買うのに、価値観は人それぞれだ。

名前と生年月日を紙に書いたように思う。
占い師は私の両手をみてこう言った。

「あなた。しんどかったねえ。よく頑張ったねえ。」

夫が亡くなったときも、通夜の席でも葬式でも一滴の涙も出なかった目からさらさらとした水のようなものがこぼれだした。

とても、心地が良かった。

そうか、誰かにそう言ってもらいたかったのか・・・

その「誰か」は、なまじ自分を知っている人間ではだめだったのだろう。「あなたに、わかるわけがない・・」

「怒り」の中核にあるものは「孤独」であるといったのは誰だっただろう。

夫の死を「悲しみ」として捉えられず、常に「怒り」があった。
不思議なくらい悲しくはないのだ。だから泣けない。

夫が亡くなったのは誰のせいでもないのだけど、その出来事(死んだという事実)に対して怒っていた。
表層の怒りではなく、核としてある孤独(誰もわかってくれないという)に寄り添ってくれたのがその占い師の言葉だった。

まさか、初対面の行きずりの見ず知らずの
紫トカゲおばさんに泣かされるとは・・

 

口から出まかせだったのか。当たっていたのか・・・
それは、どうでもいいような気がする

あの時、新聞を広げた。映画を見ようと思った。占い師と目が合った。
そんな出来事が連なって気持ちが癒された・・・
ありがとう。という思いだ。

突然、このようなことを書いたのにはわけがある。
あの時、占い師はヒマだったのか、色んな事を言ってくれた。

最近、身に降りかかった出来事に
占い師の言葉を反芻している。

おたまちゃんの運命や如何に??ベンベン。である。
ま。切り開くさっ!ベンベン。である。

0021_3
当時の写真
ポニーテールだにゃ。
モザイク掛けるなら初めから出すな!
ってね。

 

雰囲気。雰囲気。

 


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2013年11月26日 (火)

数珠玉の思い出



11月の兼題は「数珠玉」でした。
こんな田舎に住んでいても見かけることはほとんどありません。

子どものころ、糸でつないで腕輪や首輪をつくったり
お手玉の中に入れて遊んだ記憶があります。
金色の鈴やこはぜを入れるとシャリンシャリンと可愛い音がしました。

数珠玉は綺麗な水辺ではなく
町の中を流れる汚れた川の傍で見たように思います

生活排水が川に流れ込んでいたのは昭和の何時頃までだったでしょう。
川はいつしか埋立てられ地下を下水管が通るようになります。

 

 「数珠玉やどぶ川といふ遠きもの」 おたま

もう、20年・・もっと前のことです

ある小さな駅を降り、小さな橋を渡り、山側に向かって、細い路地に入ると
川が流れています。
昔ながらの小さな自然の流れです。
川に沿って車がやっと一台通れるほどの道が続いています。
その突き当りに風変わりな建物があります。

ある社会活動家の住まいでした。
辺りの景色が・・・まるで
時間が昭和30年代で止まっているようでした。
主はすでに亡くなっておられました。

その方の出された「自分史」全5巻。
事実は小説よりも・・・非常に面白く読みました。
今、アマゾンで調べてみると一巻(文庫本)24000円で出ています。
貰っておいたらよかった・・・

そこで仕事というか、お手伝いをしたことがあります。

理論も実践も自分とはかけ離れたところにありましたが、
刺激的で面白いところでした。

有吉佐和子さんが、ここに泊まったことがある。
元気のいい方でね。
「野上弥生子がトップにいるようじゃ女流文壇もダメね」っておっしゃってた。
と聞きました。
当時の文壇の権威主義がうかがえて興味をそそられました。

著名な小説家の逸話。
教科書で習った人物たちとの交流。
好奇心をツンツンと刺激する場所でした。

そういえば、その川沿いに数珠玉が生っていましたっけ・・・

最近、近くを訪ねることがあり
その場所へ行ってみました。

地元の篤志家が提供された土地はそのままで
建物は閉鎖されていましたが残っていました。

ここで過ごした数か月が遠い出来事のような気がします。

 

 

今日は冷たい雨が降っています。

 


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2013年11月24日 (日)

ベトナム・タイ旅行記おわり



タイ語でのあいさつはサワティーカップ(男)サワティカー(女)
と言います。これは、一日中使えます。

「ありがとう」はコップンカー

ドライバーさんや、レストランの人や、街ゆく人ににちょっと使えば微笑みが返ってくるのに、日本人客ってなんであんなにブスッとしてるんやろ。真剣な顔して観光してる


Dsc01977
国旗のはためく、ここは国防省(たぶん)。わかりにくいけど大砲がならんでいます。

政治面では「右と左がケンカしてる」(ガイドさん)そうですが
バンコクの街はこの6・7年で高層ビルが建ち並び、車が増え経済は大きく成長を続けています。
2011
不良債権問題(中国資本)で頓挫した高速道路。
橋脚だけが残っています。壊すにこわせない。

あるある。ウチの近くにも。
バブリー時に開発しかけた住宅地が・・


Dsc01988中庭のあるレストラン
二階のお部屋で昼食をいただきました。

Dsc01986

Dsc01981お兄さんは男前

Dsc01984






最初に飲んで美味しかったから、バンコクではずっとコレ。

シンハビール


お楽しみのおみやげです
Dsc02078Dsc02077Dsc02079
ベトナム雑貨。小物入れ。お友達用に。

Dsc02080ベトナムの歌姫(名前は知らない)のDVD

怖くて、まだ見ていない。

Dsc02071Dsc02072
レトルトのトムヤンクンとタイ風カレーをコンビニに買いに行ったが、置いてなかったので仕方なく買った日清ラーメン・タイバージョン&クノールスープ・タイバージョン。
右側のお菓子と全部合わせて千円くらい。

あとは、自分用にタイシルクのスカーフ(画像なし)
趣味を疑われそうなので

息子たちには空港免税店でベルト。

ヨメ・真綿嬢にはHRのメイクパレット。
グッ坊にはゾウさんの絵のパジャマ。

Dsc02073
最後にバーツを使い果たそうと買ったガム
これが、美味しかったです。

これで、今回の旅日記を終わります。
ああ。面白かった。

長い間読んで下さってありがとうございました。

あと、おたまと象のツーショットとかあるんだけど・・・・・・・・・・・・・・・・もういいわね

↓押して帰ってね。ぷ。

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2013年11月23日 (土)

バンコク・涅槃寺とアユタヤ遺跡



涅槃寺
ワット・プラチュートゥポンウィモンマンカラーラームといいます。
46メートルもあるお釈迦様の寝姿で有名なお寺です。

 

Dsc01963Dsc01965Dsc01968
Dsc01969やっと、素晴らしい螺鈿細工の足の裏に到達しました。
曼荼羅(たぶん)の宇宙がえがかれています。

 

Dsc019721973


20バーツ(60円)でコインをわけてもらい108個あるお賽銭箱に入れて行きます。
全部入れると願いがかなうそうですよ。
Dsc01975_2お釈迦様のお背中。

 

う~ん。やっぱり
いい男だ。

 

精巧な細工が素晴らしい。

 

このお寺はアユタヤ王朝のころに建てられたそうです。

チューリップの国オランダからの観光客と行き合わせ、よっぽど、あてくしが可愛かったのか珍しかったのか写真を一緒にとおねがいされちったよ。今頃国に帰って大笑いされてるんかなあ。

タイの国旗「」「」「白」はそれぞれ「王様」「国民」「仏教」を表します。

現在87歳になるラマ9世が王に就くときにもきな臭い逸話があったようで、韓流時代劇ドラマ大好き奥様・アッコさんはしばし妄想の世界へワタクシたちを引きずり込むのでございます。

そんな(どんな?)王朝の歴史の変遷をしのぶべくアユタヤ遺跡へ参りました
14世紀半ばから18世紀半ばまで続きました。
世界遺産に登録されていますが繰り返される戦争のため石像や建造物は破壊され尽くしています。
アメリカが船でごっそりと運んで帰った(これ、ガイドさんの話やから、おたまは責任ようもちませんけど・・)
ということで、イマジネーションを働かせてみることにしませう。
Dsc02016
Dsc02017
Dsc02018もう・・・
日本語での注意書きが恥ずかしいよ。

 

像や塔に登らないでください。とも書いてある。

 

Dsc02030

この方。マトリョーシカの君(中)です。


ということで
旅行記いよいよ、明日が最終回ざんす。

エライぞ。(自分で言わなきゃ誰が言う)
飽き性おたま、書ききったぜ。
あと一日あるけどね。

 

 


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2013年11月22日 (金)

バンコクハイライト・寺院めぐり



バンコク旅のハイライト。エメラルド寺院へ行きました。
Dsc01996
お寺の近くにはお花屋さんが軒を連ねています。
白や黄色の菊の花で店内があふれています。

 

蓮のつぼみも見かけましたよ。

 

 

タイは仏教国で男子は20歳になると一度は出家します。
これは成人になるための儀礼のようなものだそうです。

いっぺん、頭でも丸めろよ!と言いたくなる日本のあんちゃんたちに教えてあげたい。

そして、21歳になると徴兵検査があり軍に志願する人もあれば大学へ進む人もあるそうです。

右向き女トシちゃんが「日本も徴兵したらエエねん」とのたまっておる。論破する自信はあるけど面倒くさい。


Dsc01897
エメラルド寺院は観光客で、観光客で観光客で・・・

多いのは中国やロシアからのお客様
三十ウン年前はゆったりと見学できたのにね。
仕方がないのでイケメンとツーショット。
1917_21925

迎賓館の警護に当たる兵隊さんと。
鉄砲で撃たれる前に退散する。
Dsc01929Dsc01934
微妙にピシッとしていない
1927
トシちゃん。
バッグは手に持とうよ。

 

彼女は無視して背景のみご覧ください。

 

ということで、人波に押されて次の目的地暁の寺へ行きました。

 

ここも新婚旅行で来たんだよ。
暁の寺には母なるメナム川を渡船でわたります。
この渡し船がメチャンコ大きくて立派なものになっていました。

そうそう、思い出したわ船の上でバナナの皮を持ってひっちゃんに写真を撮ってもらったっけ・・
Dsc01957
ちなみにおたま達は「メナム川」って習ったけど、今の学校では「チャオプラヤー川」っておしえているそうです。
カンケーないけど、鎌倉幕府の成立は1185年って教わるそうですよ。今の教科書では・・

Dsc01944


風景写真を撮るときは人物を入れると雰囲気が出てよろしいでせう。
大きさもわかるし・・。この時モデル選びは大切でございます。(なんてね。えらそうに・・)

前回はこの仏塔の上まで登りましたが、お母ちゃんももうトシや・・下から見上げるばかり・・凄い迫力です。
トシというより見学の時間があまりなかったの。ツアーは何だか気ぜわしいです。
下の彫刻だけでもすごく見ごたえがあります。


本日のおまけ
1950お掃除のお父さんにくっついてきていた坊や。
グッ坊より少しお兄ちゃんかな

 

お父さんのお手伝いをしています。

 

(旅行記そろそろおわりだぴょん

 

 

 

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2013年11月21日 (木)

バンコクの夜は更けて・・



前に少し書きましたが、新婚旅行でこのバンコクへ来ました。
むかし昔の大昔です。
その時
アジア最高級レベルと言われる名門。
ホテル・マンダリン・オリエンタルに宿泊しました。

サマセット・モームの定宿であったあのオリエンタル!です。
ダハハハハ。身分不相応でしょ?

実は旅行社の手続きに不備があり急遽、グレードアップされたホテルに泊まれたのです。
もう。お姫様気分でスイートルームで大はしゃぎでしたよ。

さて、そして今回は・・・

バンコクのホテルは小ざっぱりし過ぎてるけど清潔でした。
Dsc01728_2部屋では3人でおしゃべり。

 

トシちゃんが
戻れるなら何歳がいい?と聞きました。

 

アッコさんは17歳!

男子の自転車の後ろに載せてもらってサイクリングがしたい歌うはもちろん高田美和の17歳は一度だけ
女子校出身者だからずっと夢みてきたのですって。

おたまちゃんは?と聞かれ沈思黙考ののち答えました。
13歳!中学一年生です。
で、これはマジなんだけど。今度こそちゃんと勉強する
わが人生、努力とは無縁に来た。後悔してます。
歌うはもちろん畠山みどり出世街道

ビール片手にあほあほしくバンコクの夜は更けていくのであります。


夜の街を探訪しました。
2008あ。その前に「タイ式マッサージ」を体験。

 

こんな半裸じゃないよ。
三人並んでトドの昼寝みたいでした。
すごく気持ち良かったです。

 

二時間1000バーツ(3千円)
マッサージ初体験のおたまは大満足だったけど、
年寄二人は緩すぎるって言ってました。
どんだけこってますねん。

 

タイの言葉って耳に心地いいのね。お姉さん方の柔らかいおしゃべりが子守歌みたいで爆睡してしまいましたわ。

Dsc01999Dsc02000

⇑⇑タイ式ファストフード店・「屋台」
Dsc02006
こちらなら、メニューもわかりやすくて観光客でも入りやすい。


Dsc01998食料品のお店
コンビニの進出で打撃(想像)のおばさん。

 

Dsc02001本屋さんでは新聞も売っている。
品揃えではコンビニに負けないぞと鼻息の荒い(想像)おじさん

 

Dsc02004_2公衆電話(見ればわかると思うけど)

 

ケータイやスマホなんてなにさ!と言っている(想像)

 

 

 

 

Dsc02005テーラーのお店

カジュアルブランドがなんぼのもんじゃい!デフレ脱却だ!
と言っている(想像)職人気質の大将がいる(たぶん)

 

この通りはなぜかヘヤーサロンが並んでいて三軒に一件は美容室か散髪屋さん。
夜遅くまで賑やかに活気あふれる街から、酔っ払いおたまの中継でした。

明日はエメラルド寺院とかアユタヤ遺跡とからのご報告です。

 


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2013年11月20日 (水)

微笑みの国タイへ移動する



Dsc01722昨日、紹介し忘れましたが、ベトナムで一番おいしかったのはコレ「ハノイビール」です。

 

一般のお値段。缶ビール(360ml)は¥100くらい。レストランでは「それなり」の¥300くらいかな。

 

いやあ・・ベトナムはいい国でしたよ
稲作風景は日本とおなじやね。落ち着く。
ひつじ田の隣の田んぼにもう水が張られていたり、農耕牛やバナナの木がなかったら「ここは日本?」と思ったくらい。

ベトナム・ハノイでの連泊を終え、次の目的地バンコクへ向かいました。
Dsc01872
写真下方。旅行者さん。おなじみの「傘」を買われたようですね。
今回の旅はベトナム航空を利用しました。

関空で見たとき「ちっちゃ!」と思い心細くなったけど、トシちゃんがパイロットは戦歴のある(ほんまかいな)ベテランだと言った通り、スムーズな離着陸。そして気持ちのいいサービスを受けました。

特に、機内食が美味しい。
Dsc01873日本の往復はもちろんですがベトナムタイ間の1時間50分のフライトでも、時間はずれの「ランチ」が出ました。

 

おたま。白ワインをいただいておりやす。

 

カンウン
ベトナム語で「ありがとう」
これはcome on と発音しておけば通用するらしい。

ベトナム(ハノイ)とタイ(バンコク)の大きな違いは
コンビニがあるか。無いか

バンコクのいたるところにセブンイレブンやファミリーマートの店が。来年はローソンが上陸予定だそうです。

もう一つは
バイクの国か車の国かですね。

ベトナムでは車は日本の2.5~3倍の値段だそうです。
カローラで400万円、カムリで600万円以上します。

ちなみに日系工業団地で働く労働者の月収は平均2万円。
国民の70%は農民でこの人たちは口座を持ちません。

ヒュンダイを良く見かけました。日本車より人気がありそうです。
取得税86%、特別消費税50%、登録税20%と聞き思わず車に乗っている人の顔をまじまじと見ました。
インフラが整っていない。駐車場がないという問題もあります。
原油産出国ですがガソリンの値段が高い。
1ℓ=2万5千ドン←≒115円

タイではほとんどが日本車でした。
しかも、ダントツでTOYOTAが多い。ホンダ・日産・マツダ・・
そうそう。オート三輪車が作られているのですよ(ボディのみ)昔のミゼットです。
1893013
この、ミゼットタクシーを良く見かけましたが、もっぱら利用されるのはバイクタクシーです。
オレンジ色のジャケットを着たライダーさんの後ろに横座りの女性客を乗せている通勤風景をたくさん見ました。
ガソリン代は1ℓ=45バーツ←≒135円かな。
日本とあまりかわりませんね。
原油は7割が輸入。3割が自国だそうです。

ということで、タイへ入国いたしました。

 

 

旅日記・・ちょっと飽きてきたわ・・
いかんいかん、これで二年前挫折したんや・・
(アマルフィの織田裕二に関する面白話もお伝えしないままに)

さくさくっと、片づけてしまいますわね。
もうしばらく、お付き合いくださいませね。

本日のおまけ
01790ベトナムで3番目に美味しかった「サイゴンビール」

 

グラスの向こうにはマトリョーシカ(小)の君が微笑む。

 

ええ感じでしょ?
ビールも彼も。

 

 

 


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2013年11月19日 (火)

ハノイ・ハロン湾クルーズ



ハノイ観光の目玉と言えばなんといってもハロン湾クルーズ。

東京のエンジェルから
映画「インドシナ」(1992仏)のカトリーヌ・ドヌーブのように、
白いワンピースでキレイなスカーフをハロン湾の風になびかせて!と指令がきていましたが、
残念ながら白いワンピースは持っていないので白いブラウスを着ました。
足りないところは顔でカバー(できるんかいっ

Dsc01770
ハロン湾
写真が下手だ。こういうのは1:3の構図にしなきゃね


今日も言うけど、なにしろ「格安」だから
名目は「ほかのツアーにはない、ゆったり6時間の船旅」
なんだけど

   6時間!・・・いらんやろ・・

途中で2回下船して鍾乳洞とかを見学するんやけど
そのほかは船の中で軟禁状態。(船は貸し切りです)
そこで、お土産品の販売ですわ。
買わなくてもいいんやで。
買わなくてもいいんやけど。でも・・
他にやることないから買いますねん。

暇やから
1741甲板に出て写真を撮ったり・・・

 

1739船内で写真を撮ったり・・・

 

もう・・エエっちゅうねん。
遺影は一枚で十分やわ。

時々小さな船が横付けされて
1737果物を売りに来る。
お父さんと、お母さんと

 

Dsc01738坊や

 

可愛いよ・・

 

Dsc01735食べてみせたりしてくれる・・。

 

 

 


漁をして水上で生活している人達の村
Dsc01742
Dsc01746_2ワンコも暮らしていますよ。

 

 

昼食用に
いかがですか?と

訪問販売⇓
748_2
お食事は船内でのんびりと・・・

とにかく時間はたっぷりありますから。
ゆったりとお食事
名前はわかんないけど、どれも美味しい。

 

Dsc01775

Dsc01777Dsc01779Dsc01780

Dsc01781Dsc01782Dsc01783

Dsc01784Dsc01778Dsc01776_3

ベトナムでは二期作・三期作でお米が余ってるんですって。米粒が小さくて粘りはありません。スープを少しずつかけながらいただきます。

写真・上段の真ん中はもち米に香ばしいマメのようなものが混ぜてありとても美味しかったです。
下段、緑の野菜は博多のお雑煮に入れるかつを菜のような味がして美味しかった。
右隣のさつま揚げみたいなのも熱々で美味しかったです。

ビールは333ビール。旅行中二番目に美味しかったです。
うん。なんか・・ぜ~んぶ美味しかった。

3333ナガシマさん。3333背番号3。 サンヨー電機のサの字の3 フレッフレッフレ~~ ミスターサンヨー長嶋さん愉快な拍手だチャチャチャのチャ・・

やだ~~酔っぱらってきちゃたわ。

6時間ものんでたらねぇ・・

 


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2013年11月18日 (月)

ベトナム・タイ。旅はみちづれ



さっき、スーパーに行ってきました。

「何でこんなもの入れるの!

奥様の声があまりにも厳しかったから思わず振り向きました。

「好きやから・・・」

定年退職してスーパー(マーケット)デビューを果たした風情のご主人様がうなだれていらっしゃる。

レジかごには紅ショウガが一袋・・

買ってお上げなさいよ。紅ショウガくらい・・

 

おお。よしよし。子犬なら抱いて家まで連れて帰るけど
…オヤジは、うちでは飼えない無理。


Dsc01833

 

 

 

 

 

 

 

 

 



(ハノイ・ハンロン城)
今回の(何度も言うけど)格安ツアーの参加メンバーですが
総勢24名でした。
内訳は、うちら女性3人。
      40代(たぶん)男性3人組。
      老姉妹2人。
      フィットネスクラブで仲良くなったというおじさん2人。
そして残りの14人=7ペアがご夫婦でした。

夫婦ペアのうち、どうしても、2組の顔が思い出せないです
物静かなご夫婦だったのでしょうね。印象が薄い。
最高齢は80歳のお父さん。←あだなは「社長」
あとは、紅ショウガさんみたいなお年頃が「リタイアしたから夫婦で旅行でも・・」という感じでした。

Dsc01844

同行のアッコさんもトシちゃんも夫帯者です。
アッコ's夫さんは飛行機が絶対ダメで
トシちゃん's夫さんは若き日にヨーロッパを放浪して、長年海外で単身赴任を経験したので海外はお腹いっぱい・・と言われるそうです。

「おたまちゃんはエエね。気楽でいつでも旅行に行けるし、費用も一人分でいいし・・」
っていわれるけど、酒の勢いで「いこ。いこって言うたのは姉さん方やろ!どっちが気楽やねん・・・

そりゃあ費用はいつでも一人分だけど、おたまだってひっちゃんと一緒なら楽しいやろな・・って思うわけですよ。

で、ご夫婦で参加されてる方々をみて
もっと、楽しそうにしたらいいのに・・・。
そんなことでもめなくてもいいのに・・と思うわね。

どうせ割れ鍋に綴じ蓋やんか・・夫婦なんてね。

大きなお世話か。

ご一緒した中で三人組の男性が、とても素敵でした。

三人はロシア土産のマトリョーシカですか?
と聞きたくなるほど雰囲気が似ている。
全員無口。ビール好き。穏やかな雰囲気。

大・180。中・175。小・170と揃ってる。、
揃いも揃って立派な躯体。アメフトとかレスリング経験者かと思ったよ。
どうも、友人同士ではないらしい。それぞれが敬語。

・・・・・・・

今回、日本からの同行添乗員は居なくて
ハノイ⇒バンコクの入国のところで2組のペアが迷われました。
バンコクの空港って広いのよ。
年配のご夫婦でした。
なかなか、出口のゲートにたどり着けず我々も心配しました。

それからというもの、この男性たち本当にさりげなく老人集団(含むおたま)をフォローしてくださいました。
集合時に全員が集まっているか確認したり、食事のときの飲み物のオーダーを手伝って差し上げたり・・でしゃばらず、さりげなく・・。
たぶんフォローされてることに気づいていない人もいたと思うけど・・

NIPPON男児も捨てたものではございませんわね。
ウチの、愚息たちもこういうことができる人で在ってほしいと思いました。
01726_2
レストランの可愛いお嬢さん

 

 


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2013年11月17日 (日)

ハノイ・輝いている若者たち



その昔、ベトナムは王様の国でした

今も「王様」に対する敬愛の念は厚く、
学生たちが「王様」に卒業証書を見せにやって来ます。
Sc01704

この方が王様ですね。

LY王(?)
間違ってたらごめんなさい。

で、この正面の階段をずーっと降りて行くと

1705みんな卒業証書を手に持ってご挨拶をしているところです。

彼ら来年の卒業予定者で、これは記念写真の「前撮り」

どうも「前撮り」が潮流らしく、観光スポットや綺麗なホテルの前では「結婚式の前撮り」を何組も見かけました。

1708_2
どこの国でも若い女の子は可愛い。

C01821このアオザイのお嬢さん方も
「前撮り」の学生です。

写真を撮らせてもらったお礼に
おたま、お手製の小さなストラップをプレゼントしました。

大喜びしてくれる三人の可愛いこと。

18261837

タンロン城(世界文化遺産)の楼閣から見下ろしたところです。
男の子も女の子も正装して、はいポーズ・・・・・・

繰り返される戦争のために古い遺跡はさほど残っていません。
1831年までここが王城でした。

Dsc01832

王族が廃止されベトナム社会主義共和国が誕生し
ホー・チ・ミンが最初の主席になります。

昨年旅行したトルコでも独立の父アタチュルクの人気は絶大でしたが、ベトナム人にとってのホー・チ・ミンは優れた指導者であると同時にその私欲のない清廉潔白な人物像により「ホおじさん」と敬愛をこめ呼ばれています。

(以下ガイドさんの受け売り)
ホおじさんは79年の生涯を独身で通し、その一生を革命運動に捧げた。
財産を持たず、亡くなったとき持っていたのはわずかな服とサンダルだけだった。

人民のお金を使わないよう火葬にしてほしいと遺言をのこしたが、当時の政府はロシアのレーニンの死体処理技術に習い、ホおじさんの遺体をのこした。
これは、ホおじさんに会う機会のなかった(特に南の)人のためだった。

・・・・

ということで、一昨日の「おたまちゃん《イイネ!》」写真のバックに写ってるのが、広大な「ホーチミン廟」でございます。

どう、なのでしょね。
遺言が活かされないというのは・・・

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2013年11月16日 (土)

ベトナム・ハノイ NO more War



ベトナムでは
春になると、北部には桃の花。南では梅の花が咲き
夏には国花である蓮の花。
秋には色とりどりの菊の花が咲きます。

ドラゴンフルーツ・マンゴー・ドリア・マンゴスチン・ジャックフルーツにランプータンといわれるライチに似た果物。豊かなみのりがあふれています。

1716履き物屋さん

 

ぎゅうぎゅう詰めの陳列台

 

 

 

 

01718道端でお肉を売っています。

 

夕方には小さな椅子を持ち出して食事をする人たちで活気に溢れる。

 

01699
(毛糸を編む女性。四季のあるハノイには冬があり。10℃になれば学校はお休みになります)

 

世界で二番目に多いといわれる54もの民族の住む国
この国の人達が我々に与える印象は

長年、他国の支配を受け、戦争に巻き込まれつづけ、17度線で国を分断された悲劇の国民とは思えない

静かなたたずまい。
穏やかで誠実な深い目の色。

Dsc01810
刺繍工房で働く女性

ベトナム戦争終結から37年。
米軍が使った枯葉剤の影響を受けたと言われる人たちがこの工房にもおられました。

日本で有名なベトちゃんドクちゃん。
兄のドクちゃんは残念にも亡くなられましたがベトちゃんは結婚し子どもにも恵まれ、いま医療機関に勤務しておられるそうです。

わたし世代の人なら、自分の多感な時期とベトナム戦争が重なっていたことを忘れることはできないと思います。

反戦が時代の空気であり、自分たちの手で世界を変えられると信じていた若者が多くいました。

こたま(少女の頃の私)も深くわからないままに制服の胸に
「アメリカはベトナムから出ていけ」のプラカードを持つ女の子のバッジを付けていましたっけ・・・

ベトナム戦争で使われていた本物の砲弾を当時、手にしたことがあります。
野球ボールほどの大きさで中にはぎっしりと散弾が詰まっていました。
発射された砲弾は炸裂すると目標物(人体)に散弾が食い込みさらに爆発をおこして破壊にいたらしめるのです。

なぜ、日本に住む、15歳の女の子がそれを手に取ることが出来たのか?

答えは簡単です。
それを日本で作っていたから・・・

・・・・・・

帰国した12日の夕刊には日本、トルコ両政府間で防衛装備品の共同開発計画があると報道されていました。
例外化や緩和案なんて言い訳をしなくても、この国の武器の輸出を禁じる武器輸出三原則なんてと~~~っくの昔から絵に描いた餅でした。

ガキのころは「大人は間違ってる!」っていえるけど
自分が大人になっても何もしない・・。

 

いやになっちゃうね。←あたしのことね。

 

明日はパ~~ッとメンズの話か食べ物の話でもしませうかね。

 


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2013年11月15日 (金)

ベトナム・ハノイ街並み



 飛行機に乗せてもらい
 食事をさせてもらい
 ホテルに泊めてもらい、
 現地ガイドを付けてもらい・・・

      これで旅行社はやっていけるのか!

と、思えるくらいの「格安」パック旅行でございます。

お連れは呑み会仲間のテキトーとしちゃん。
               お嬢様アッコさん。

               きれいなおたまの三人です。

ベトナムは日本から九州を取ったくらいの面積で
形も本州のように細長く南北に位置します。
日本との時差は二時間
私たちが行ったハノイ市は北部にあり、四季があります。
日本の晩夏という感じでとても過ごしやすかったです。

(街の様子)
Dsc01850

ベトナムの人口は9千万人。
バイクの台数は5千万台だそうですよ。
90%がHONDA・YAMAHA・SUZUKI・・日本製です。

8681799_2

17981866_2

フランスに支配されていた時代の影響で都市部の住居はフランス風。赤い瓦屋根がとても可愛い。
そういえば、小学校ではベトナムを「仏印」と習いませんでしたっけ?

二階・三階建の家屋には必ず広いテラスが付いていますがガイドさんによると「用途は無い」そうです。
地震のない国ですので壁は煉瓦造り。鉄筋なんか入っておりませんわ。


Dsc01862

1864果物を売っている女性。
笑顔がとてもきれい。

自転車にマイミネラルウオーターを括り付けて・・・

水は日本円で20円くらいです。




1691POO氏へ


こっちが、おたまだぜ
その証拠に
「便所の手ぬぐい」(ピンクうさぎ)を頭に巻いておりますやろ

あ。拡大でけへんからね

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2013年11月14日 (木)

ベトナム・タイただいま戻りました



たらいま~~。
未亡人おたま。元気よく帰って参りましたっ!
旅行。楽しかったよ

帰ってきたら
板東英二があやまってはった・・。
「植毛やった・・・」って・・・。

おたまに謝る前に、横山ノックに謝ってほしいわ。
土曜日のお昼に「ノックは無用」を一緒にやってはってんよ。
大・大・大・・・小・小・小・・・って(知らないわね)

ノックさん。長いこと騙されてはったんやね。

別にハゲ散らかしてても、ぜ~んぜんO・Kやのに・・
ひっちゃんは違うけど、おじいちゃん(舅)はキューピーマヨネーズみたいやった。
でも、大好きやったで!

あ。なんか話が迷走してるね。

おたまがタイ王室にとどまってほしいと言われたのに帰国した話やったわね。

9日(土)の早朝に関空に到着しましたのよ
リムジンバスの中から、ヨメ真綿嬢に「今、着いた」ってメールしました。

「お帰りなさいませ~~~。ご無事でなによりです」とグッ坊の万歳写真添付で返事が来ました。

バスを降りて、アッコさんの娘さんが車で迎えに来てくれるまでの間「阪急そば」できつねうどんを食べて、「今日。息子さん(平凡氏)一家が来たらやな」と二人に言われました。

家まで送って貰い
家じゅうの窓をあけ、便座のスイッチを入れ、
手洗い、うがいをして、
お風呂を沸かしながら洗濯機を回し
鼻歌交じりでお風呂から上がり
おみやげ・おみやげ・・とトランクのふたを開けたら

電話が鳴りました。

平凡氏からでした。
鬼一家がやってきました。

さすがに「長旅でお疲れでしょう」と真綿嬢がご飯の支度をしてくれたけど一泊して、お土産持って帰りました。

次の日からは会津藩士の墓を探しに京都へ行ったり
里山歩きの吟行があったり
句会があったり・・
お帰りなさいワインパーティーをしたり・・

で。やっと今日ですわ。


Dsc01711
(ハノイ市内を流れる紅河)

長い間、更新もしていなかったのに
ここを覗きに来てくださってありがとうございました。

あれほど、「エエで!」と言ったのにボッチを押してくださって、
おたま涙がちょちょぎれそうです。
お歳暮に荒巻サケでも贈りたい気分でございます。
あなた様の人差し指をタイ式マッサージでほぐして差し上げたいですわ。

てなわけで、ぼつぼつ旅日記を綴ってゆきますので又読んでやってくださいませ。

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