真田丸

2016年11月 7日 (月)

真田丸・It's no goodそれはないやろ・・



イタリアンリヴィエラ旅行日記の途中では御座いますが
いやいや。それは無いやろ・・あかんやろNHKさん。

昨日の真田丸ですが、
いやいや。そこ?そこじゃないでしょ「真田丸」

大坂城の南東。平野口。
大坂城にちょこっとくっついたタンコブみたいな・・
それは30年前の定説

いまや地底探査機で「真田丸」の跡が確認されてるんです。
大坂城陥落の為の唯一の突破口。城の南。空堀と上町大地の高低差を利用した・・地形を知り尽くした真田信繁。さすが信繁と感心させるあの場所こそ「真田丸」

ドラマやさかい、100歩譲って「平野口」にしときましょ。
でもそれやったら武将・真田信繁が日の本一のつわものと言えたでしょうか。

あんな・・テレビでやってたみたいな
「敵が攻めて来たらこうやって・・ああやって・・」ってか?
信繁。決して「守り」の戦いをする人ではないです。
知略を尽くして勇猛果敢に戦ったからこそ「日の本一」です。

アチクシ・実際に真田丸の跡見てきました。
ああ。ここに馬出があって・・ここから出撃して・・

↑番組の最後に心願寺と最近できた「碑」を紹介していましたね
あそこに真田丸はありました。寺町を取り込み、そこを宿舎に利用した。すごい知恵です。
テレビでやってたような規模と違います。
威風堂々。大阪城と対面しています。決してタンコブではありません。

ここまで頑張ってみてきたのに最後にコレかい!

なんか、腹立つから「真田丸」見ないでおこうかな
いや観ちゃる!見てやるとも!どないやねん

 

今週木曜のブラタモリですが(たぶん。たぶんやで・・)この真田丸の跡をやります。
先週の予告編で明星高校のグラウンドの塀が映っていたから・・
こっちの方が史実に基づいています。

真田丸に全く関心のない皆様も「ブラタモリ」は見てね。
面白いとおもいます。きっと・・・

おたま。NHK関係者ではありません。
失礼しました。


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2016年10月26日 (水)

真田丸・見逃した!!



やっと忙しさも峠を越えましたの。ホッと一息
熱いお茶を飲みながら「豊洲問題」を考えています。
関西人にとって豊洲といえば「豊洲食品工業【株)
「あられはやっぱりとよす」でございます。
おせんべいあられおかきの違いがわかりません。
なんでもかんでも「おかき」という大阪人の母に育てられました。
江戸っ子のお三味線の姉弟子さんは、あられもおかきも「おせんべ」と言いました。
アタシにとってのおせんべいはにわかせんべいと九十九島せんべいだけです。
あれは「せんい」だったっけ・・
どうでもいいですわね。

 

「真田丸」のハナシやけどね
NHK大河ドラマ53年の歴史上、不肖・おたまが連続して視聴したのは、「源義経」以来だよ。
「義経」ったって、タッキー(滝沢秀明)のソレじゃないよ。
同じ(滝沢)でも滝沢修が藤原秀衡。
そそ。尾上菊之助(当時)の義経です。
1966年の放送だったらしいです。
生まれてたんだわ・・あたし

実に50年振りの快挙(なにが?)なのに・・
それなのに・・ここに来て、やっと・・やっと・・主人公「真田信繁」が活躍しまっせ!というところで「2回」見逃したよ。うちのテレビに録画機能はない!
旅行してただよ。
熱心な仲間はYouTubeで朝ドラ(中国語)を見たりしてたけど、そんな力も技もナンタラパッドとかいうのもないし・・というか、「真田丸」すっかり忘れていたよ。
だから、悲しくも悔しくもない。と、負け惜しみ

今までブログに調子こいて「真田丸」シリーズ書いてきたけど・・

ま。気を取り直して「大坂冬の陣」が始まったらまた書きます。

後藤又兵衛は哀川翔さんやったね。う~~ん。
悲劇の又兵衛・・どなたかしらって最初から気になってたんです。
哀川さんねえ・・嫌いじゃないんだけどね、声がすっとんきょう。

女性でいえば広末涼子だわね。黙ってりゃ寂しげなムード満点なのにすっとんきょうな第一声でずっこけますわ。吉本新喜劇みたいにね。「ごめんやしておくれやっしゃ~」ですわ。
(ご理解不能な地域の皆様。無視あそばしてね)

あ。何か小憎たらしいこと書いてるわね。
あたしの好感度落ちる・・って最初からないか!

昨日はいつもの勉強会に行ってきました。
こんな田舎だけどいい先生が来てくれますねん。
地形(地理)の専門家なのでアプローチがとても面白かったです。
それで関ケ原の戦いの検証、どう考えても西軍有利の布陣だったわけですよ。
地形的に見てもね。
さすが三成さん。いいところに目を付けた。
でも結果は一日で決着がついたのよね。歴史はおもしろいです。

大阪冬・夏の陣の当時の地形図や布陣図をいただきました。
こんなの見てたらあっという間に時間が経ちます。
信繁は武田の戦略を使ったことがよくわかる。お父ちゃんの遺言守ったのね。
ああ。面白い。

といふことでこの資料をにらみながら今週は力入れてテレビみまっせ。
関ケ原。佐助の報告で済ませたんだもん。製作費絶対こっちに回してくれてるよね。
わくわくだわ・・と思ふ

 


        


 

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2016年9月11日 (日)

真田丸・Separate ways 親子の別れ



君は常々、金が大事と思い、人に金さえ与えればなるようになると思っているでしょ?
それは間違っているよ。家来には実意(誠意)をもってしなければ心服しないし役にもたってくれないよ。貧しくても常に辛苦を分かち合い、こころざしが深ければ困難の中でも命を惜しまず主人の前途を見届けてくれるものだよ

こんなふうに、石田三成(山本耕史)を諄々と諭したのは大谷吉隆(吉継)(片岡愛之助)でした。ええお友達やね。
金で人をを動かそうとしてきて大変なこと(佐和山蟄居)になった三成さんです。
あれから一年。復活の機会を伺っていた彼にチャンスが訪れます。


三成VS七武将を決着させ人気上昇中の徳川家康(内野聖陽)。会津に帰っている上杉景勝(遠藤憲一)の不穏な動きが気になります。
「いっぺん出てこいや~」と上洛を促すも返ってきたのは
「あんたはアホか。そんなトンチンカンなことができるか。うちは今、稲刈りシーズンや!そんな時に行けるわけない。そのうち雪が積もるんやで、行けるわけないやろ!このオタンコナス」

はい。有名な直江状です。
直江兼次(村上信五)さん度胸ありますね。ヒュ~ヒュ~


上昇気流の家康は「こらあかん。あんな気の強い男。潰しとかなあかん」と上杉討伐に出かけます。
そこで、↑の大谷吉継(NHKは吉継になってます)・ラブリンですが、彼は病の身を押してこの上杉討伐軍に加わる途上でした。
なぜ、加わったのか・・これは家康の戦いぶりを見届けるためではなかったかと思われます。本当に豊臣軍ととして戦うのかどうか・・・

ここに三成決起の知らせが入り(テレビでは三成が行ったことになってるけど、それはない)佐和山へ立ち寄ります。
彼の本心は「決起反対」なのです。まだ早い!と考えています。
お前は金で人が動くと思っているだろう。心で動く。それが人だ。それ(人心掌握)ができていない時点で家康と戦うのは無謀だ。
と思っています。
三成はどうしても彼を必要としています。
陣立て・攻撃・作戦・・・参謀としてどうしても彼の知恵が要るのです。

そして、ここが涙なくしては語れない(byおたま)男の友情ですわ。
「こいつ。あかん。やる気や・・もう反対しても無駄や・・」
大谷刑部殿は決心します。
「わしがおぬしを勝たせて見せる」
ラブリン。キリッとおっしゃっていましたね。
佐和山へ立ち寄った時点で彼の気持ちは決まっていたはずなんです(涙)

さ。それからは・・呼びかけ合戦ですわ。諸国にお手紙発送。
徹夜で書いてはりましたね。すごい迫力でした。

真田丸の見どころのひとつであった「犬伏(いぬぶせ)の別れ」
もうちょっとしみじみと描かれるかとおもってハンカチ用意して待っていたんですが意外とサラリでした。

家康軍として進軍中の真田親子のもとに三成の使者が書状を持ってきます。
さあ。どうしましょう。東軍(家康)、西軍(三成)どちらにつくか・・

この時代父子で袂を分かつということはものすごい決断だったでしょう。
小説では「真田は知恵者だ。分散させて血統を継いだ」と書かれていますがう~ん。それが100%ではないでしょ。そんな事考えてる余裕すらない状況だったと思いますよ。

兄・信幸(大泉洋)は徳川一のつわもの本多忠勝(藤岡弘)の娘を娶っています。
ただの娘ではありません。一旦、家康の養女となって嫁いでいるのです。いわば家康は舅さんです。

かたや弟・信繁(堺雅人)は豊臣の重臣・大谷刑部が舅です。

ここで、おとうちゃん昌幸(草刈正雄)ですが、普通やったら跡取りの長男につきません?
なぜ西軍と決めたのか。かつては戦敵であったとはいえ今は徳川の元にいるのですから・・。

昌幸は小田原合戦のあと、豊臣が上田領を安堵してくれたことにものすごく感動していたのだと思います。信濃の与力大名はことごとく関東へ移されたのに真田だけが留まることをゆるされました。(徳川を見張る意味があったんだけどね)
さらに父・二人の息子それぞれに三万八千石・二万七千石・一万九千石が与えられたのでした。
昌幸さん。ドラマの初めのころ・・「大名・・なってみたいなあ」とつぶやいていましたね。
それに、なれたのです。しかも息子二人までもが・・・

トヨトミにはものすごく感謝していたのだと思いますね。

表の関ケ原に裏の真田合戦。楽しみやわ今晩のテレビ。

 


        


 

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2016年9月10日 (土)

真田丸・Sekigahara eve 嵐の前



いよいよ天下分け目の関ケ原の合戦にはいりますね。

ところが、どっこい。明日の放送では「関ヶ原」あまりやらないらしい。
らしい・・って某筋からの情報です。(某筋ってだれやねん!)
合戦シーン。ここにお金かけるのもなアということかしら。
CGで済ませちゃったら視聴者がウルサイやろうしね
まさかの有働さんのナレーションやったりしてウヒョウヒョ。
明日になれば判ることだから、とりあえず楽しみにしておきましょう。

だってよく考えれば「真田丸」ってお話ですものね。
関が原でさほど活躍していない真田信繁(堺雅人)の出番はないわね。

出番は「大坂の陣」だけなのにこれだけ引っ張る脚本家はエライと思います。
あちこちに顔を出させて、存在を盛り上げてくれる。
はいはい。
歴史ドキュメンタリーではないので・・よがすよ。それで。
んな。アホな!というところも楽しませていただいております。

それにしても秀吉の死後、三成(山本耕史VS家康(内野聖陽に至るところをも少し分かりやすく描いて貰いたかったです。
あ。そうか!このドラマ「真田丸」やったわ
無理なお願いというものですね。

そこらへんを少し整理しておきませう。

 

前々回の三成襲撃事件を覚えておいででしょうか
あそこがドラマではぐちゃぐちゃとわかりにくかったのではないでしょうか。
七将襲撃事件サラリと描いていました。でもこれがとても大事なところなの。
関が原の遠因はここらへんやねんから・・・
加藤清正(新井浩文)をはじめとする浅野幸長・蜂須賀家政・福島正則・藤堂高虎・黒田長政・細川忠興。
この人達は武功派なのね。現場(朝鮮)で血みどろになって戦ってきた。
彼らの鬱積した怨念が吏僚派の石田三成に向けられることになります。
いわゆるブルーカラーVSホワイトカラーですわ。
おまえは机に座って字を書いてただけやないか!なんで戦線を縮小したんや!おかげで臆病者って言われたやんけ!(やんけ・・とは言わなかったと思うけど)それをおまえは弁護してくれるどころか身内(娘婿)をスパイ(戦目付)に送りこんだりして、もう信じられへんわ。俺ら竹馬の友やったやんけ!(やんけと言ったかどうか?)俺らの苦労が判るか?朝鮮水軍にコテンパンにやられてんぞ。泥にまみれて草や木の根を食べて闘ってきたんやぞ(難しい言葉でいうたら塗炭の苦しみって言うんやぞ)
以下、清正の愚痴は続く・・くやしかったんやね。わかるわ。
も~~!やっちゃる!と
秀吉の親友であり、豊臣の大番頭。五大老のナンバーワンであった前田利家が亡くなった翌日に襲撃事件は勃発しています。利家は古臭くて律儀な人。唯一彼らの「押さえ」となれる人でした。

 

恨みを買われるような態度をとっちゃう三成君に問題はあります。だから友達少ないねん(ほっといてくれ!by三成)
其の少ないお友達の佐竹義宣の知らせと知恵で三成は自分の屋敷に逃げ込むことが出来ました。

なぜ自分の家に逃げ込んだら助かるのか・・

逃げ込んだところは「治部少曲輪(じぶしょうくるわ)」伏見城内にある自分の屋敷です。
秀吉の遺言により、この伏見にあって天下の政をつかさどるのは家康(内野聖陽)です。七将がここで勝手に暴れ回ることはできないのです。
そこらへん、NHK説明したげなアカンと思います。

一説によるとこの時治部殿は七将の動きを察知していた佐竹義宣の機転で女装をして大坂から脱出したと言われています。

ここでオイシイお仕事が家康に回ってきます。
「伏見を預かるものとして、ここはひとつ自分にまかせてくれないか。うんうん。諸君の気持ちは、よう判ってまっせ。悪いようにはしまへんがな・・」と七将の矛を納めさせるのです。
やっぱ。家康さんや武人の気持ちは武人がよう判ってる。家康の株価急上昇
家康の仲裁を受けるしかなかった三成は役職を解かれ佐和山に蟄居の身となるのです。

この場は家康の面子をたてた三成。
しかし、そんなもん・・収まりますかいな。遺恨は残ります。

そして一年後・・・

(なんかメチャ長くなったので続きは今度ね)

明日の関ケ原・・楽しみ

 


        


 

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2016年8月16日 (火)

真田丸・secretゆうべの秘密



秀吉(小日向文世)が茶々(竹内結子)に、あこがれのお市の方の面影を見ていた。というのはよく言われます。
お市の方といえば岸恵子さんですね(古っ!)美しかった。
(緒方拳の「太閤記」。少し前にNHKアーカイブスでやっていました)

で。その茶々殿が世継ぎを産んでくれたんです。
どんな心境でしょうね。

茶々殿だからO・Kだったのでしょうか

文春も新潮も無い時代。
誰も何にも云わないけれど。誰もがみ~んな知っている。
鶴松は秀吉の子ではないことを・・・

落書き事件では「護衛」の人を皆殺しにしていましたね。
怒り過ぎやろ・・残忍すぎ・・
これ、落書きに対する怒りだけではなく、秀吉の複雑な心の反映ですわ。(おたま妄想)
秘密の暴露を極端に恐れた(みんな知ってる!っちゅうねん)

秀吉には16人の側室が居たそうです。関係を持った女性は100人以上。
なのに・・・なぜ、茶々だけに子が出来たのか。側室の中には秀吉の側室になる前に出産経験のある人。秀吉の死後に再婚して子が生まれた人などが居ます。最もお気に入りの「京極竜子」さん・・浅井三姉妹の従妹ですが・・も、人妻時代に子をなしています。

秀吉自身に子の出来ない要素があったと考えるのが自然です。

じゃあ

どなたのお子?ということですよね。

茶々殿が男性と接触する機会は?
(九大の服部英雄教授のお説です)

当時、位の高い女性には「参篭」という習慣があったそうです。
一週間くらいの単位でお寺でお祈りするのね。
この時にお交わりになったのではないでせうか。
お相手はお寺の坊主。暗闇の中で相手は一切わかりません。
寺のサイドビジネスとして成立していたということです。
ほんまに・・セレブマダムったら・・・・

秀吉はこの事を認めています。許しています。
(なぜならば自分自身の出自も不明だからです)

 

しかし それは最初だけ。鶴松君に限ってなのです。
出来ちゃったんだから・・まあいいか(おたま妄想)


秀吉さんは関白の座を甥っ子秀次にゆずり、それでいい。と思ってはったんと違いますやろか。側室は沢山いたのに誰にも子を産ませていません(許していません)

ところが茶々に子ができた。話がややこしくなってきた。
可愛いじゃん。秀次は中継ぎでやっぱ「我が子」鶴松を後継に・・でも、その子が死ぬ。

そして 茶々が再び懐妊。

これは秀吉にとって寝耳に水だったのです。
このとき秀吉はSAGAの名護屋城に行ってたんです。はいな。朝鮮出兵イケイケどんどんの号令を掛けにね(このとき前出の京極竜子さんを伴っています)
茶々は大坂城にいました。

何をしてくれてんねん

秀吉。怒りますな。強腹立ちです。
「やがて帰るが、究明する。帰ったら何をするかわからへんで・・」という手紙が残っています。


男。55歳。どうでしょ。
男やないからわかりませんが・・今の55歳ではありません。秀吉の時代です。

 

おたまの友人が51歳でパパになりました。
(この時25歳の長男がいました)
山本五十六はお父さんが56歳の時の子やねんで。といってましたがあの人は地位も名誉も財産もあります。友人はしょぼくれた高校教師。公務員ですわ。
人生下り坂で気力体力経済力。すべて先細りの友人をホンマに心配しましたわ。(大きなお世話)・・ハナシ。どうでもいい横道にそれています。ちょっと思い出したので。へへ。

てっぺんをきわめた秀吉。
「秀頼を頼む・・・」とテレビでは言ってましたが
彼の最後の願いは果たして豊臣の存続だったのでしょうか。

 


        


 

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2016年8月15日 (月)

真田丸・wander秀吉迷走



何やかやと(ワタクシが)忙しくしている間に死んじゃいましたね。

豊臣秀吉

最後の場面(ご臨終)さすが役者さんや!って思いました。
涙がポロリと落ちたとき小日向文世さん。心の中でガッツボーズしはったんと違いますか。上手い演技でしたわ。

人間って自分がやったことはすぐに忘れるのにやられたことは覚えている。
当然です。

以前、韓国旅行した時、現地ガイドさんにどんだけ言われたことか!
「朝鮮半島が外国から攻められた歴史が二つある。一つは、モンゴル。一つは日本。」

そんな事言われたって、うちら「秀吉の朝鮮出兵」(文禄・慶長の役)なんて学校の授業で1行しか習ってないもん。
それが‘やったほう’の認識なんよね。

1592年3月秀吉の号令でSAGAは唐津に集結した軍勢15万8千8百。
4月には小西行長の先発隊1万8千7百が釜山上陸。

何を言い出すんや。何を血迷っているのか。秀吉!
深く考えてないんです。ただの「あおり」です。
「鶴松の死」のあおりなんです。やけくそですわ。
鶴松が亡くなったのは1591年のことでした。

秀吉の狙いは「明国」
跡継ぎの鶴松亡き後、姉の子である秀次(新納慎也)を日本国王に、そして自分は「明」の王になるという計画(思い付き)です。そのためには朝鮮を道案内に・・という算段でした。

無茶苦茶なハナシですわ。この事件(朝鮮出兵)は韓国・朝鮮にどないに言われても言い訳の立たないことです。
宣戦布告なんてあらしません。真珠湾攻撃と同じです。
今でいうたら、国際法に反しています。
出会い頭にバンバンバン。
平和に野良仕事をしていた人を刃にかけてあっという間にソウル(京城)まで侵攻してゆきます。

一方国内では秀次事件が起きます。

テレビでは秀頼誕生後の秀次がノイローゼ気味になって自害。ということになっていましたが、よう考えてみてください。
秀次の妻子(幼児を含む)39人が三条河原で処刑されます
(秀次さん。ご自分の仕事は血脈をつなぐことと思ってはったんかな?奥さん多すぎ。)
この時、最上義光(伊達政宗の従弟)の娘・駒姫(当時4・5歳)が秀次に嫁ぐために京に向かう途中でした。これまた斬首されています。
最上・伊達は物凄く怒り、のちに豊臣には味方していません。

そして秀次の居城。聚楽代を跡形もなく破却する。

さいな!。とことんやってます。残虐に。
これは制裁ですね。
勝手な解釈ですが、甥を自害に追い込む?そんなやわな事ではなかったと思います。
迷走の始まった秀吉は秀次謀反の妄想に駆られていたのではないでしょうか。

朝鮮出兵ですが、一番隊の小西行長ね、もともと堺のお薬屋さんです。商人の出だから治部殿(山本耕史)とは話が合います。三成派です。
この小西行長とソリの合わないのが加藤清正(新井浩文)武闘派です。清正も二番隊主将として先鋒を任されました。
この二人は地元(九州)の大名という事で中心となり朝鮮へ往くわけですね。
仲の悪い・ソリの合わない大名同士を隣国に置くというのが秀吉のやり方。互いにけん制し合い競争させる。
秀吉の迷走とはいえ戦いに戦って秀吉軍は鴨緑江辺りまで進軍しています。「明」はすぐそこ。朝鮮全土を進軍したことになります。

ところが・・・・「帰って来い」という事になります。
秀吉の死です。

加藤清正。そら怒りますわ。もうボロボロですわ。
豊臣の為に命掛けて闘ってきたんです。

その怒りの矛先が石田三成に向けられるのです。
朝鮮出兵で痛い目に遭ってきた・・それを察してくれなかった。
三成の派遣した戦目付がいろんなことをチクリます。清正これで蟄居謹慎てなことにもなり、それが「関ヶ原」の伏線と違いますか・・なんてね。

冷静にかんがえたら、日本軍は明・朝鮮連合軍に苦戦を強いられていたんだし、ワケワカメな秀吉も亡くなったことだし早く終わらせたいのは当然です。
終息に向けて音頭取りをしたのは家康(内野聖陽)なんだけどね。

加藤清正をはじめとする武闘派が「算盤ばっか弾いてんじゃねえよ!」と三成への溜まりにたまった怨念を爆発させるのは・・・

たぶん。来週かしらね。

 


        


 

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2016年7月17日 (日)

つぶやき



七月松竹座の観劇も、先日の出雲旅行も、NHK「真田丸」も
記録しておきたいのに、なかなか時間がつくれません。
ダラダラしてるから・・

週末には福島へ二泊三日で行きます。
コチラには伝わってこない諸々を見聞きできたらなと思います。
地元の方々に色々な話を伺うことになっています。
福島第一原発から20㎞内の帰還困難区域も訪ねる予定。

・・・・・・

そうそう。トルコでクーデターが勃発しましたね。
このまま、イスラム寄りの教育を続けていたら10年先のトルコに未来はないと言ってたガイドさん。サイト氏を思い出します。
イスラムの教えはトルコ国民のアイデンティティであり心棒。
教義や信仰は素晴らしいと思いますがそれを正しく使えない人が権力を持ち、利用しようとすることへの懸念を多くの知識層の人が持っています。

現に今回の事件を受けてユルドゥム首相は死刑復活を言い出しました。
自分の考えに添わない裁判官や司法関係者を拘束。職権を停止しました。
強権ぶりはとどまることがありません。それどころか、今回の事件は独裁への「待ってました!」のチャンスになるかも知れないのです。

・・・・・・・

よく似た話が身近にあります。

 

某国が領海侵犯した。○○を自分の物だと主張した。
それっ!外敵が攻めてくるぞと。
それも、我が政権の格好の「待ってました!」であったという気がしてなりません。
もともと元東京都知事が「買い取る」なんて言わなければ騒ぎも起きなかったものを・・と思います。(賢い)次世代にゆだねましょうとファジーにしてきたことを・・愚かなことだと思います。

「愛国」という美名のもとに口汚く他国をののしる人がいます。
他国を尊重できない人が自分の国を愛せるでしょうか。
排他的な「愛国心」。それはファッショの始まりです。歴史が証明していることです。

・・・・・・

 

話が逸れました。

 

今日はNHK真田丸の事を書くつもりだったのです。
秀吉の天下統一以降を。
今のドラマは秀吉の落日目前ですが、その前の秀吉の狂気について考えていたとき、トルコクーデターのニュースが入ったのです。
秀吉の犯した最大の罪。秀吉が朝鮮・中国(明)にどんなことをしたか。
それが我が国の歴史上初めての海外侵略であったこと。
それが今につながっていること・・
そんな事を思ったら気が重くなって・・

 

フクシマから帰って、ゆっくり書くことにいたしましょう。

 


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2016年7月 9日 (土)

天空の城・絶景をドローン撮影



昨日のNHK「歴史秘話ヒストリア」ご覧になりました?
Eテレの「団塊スタイル」認知症チェックリスト早期発見のほうをご覧になりましたの?
そうですか・・

昨日の「歴史秘話ヒストリア」は「天空の城」でした。
「天空の城」として超有名になった竹田城跡ではなく、江戸時代の天守が残っているにも関わらずあまり知られていない備中高梁(たかはし)の松山城です。

知人の先生が江戸時代の学者山田方谷(ほうこく)の(アレハ)熱狂的な信奉者で、この番組を見るように言われていました。
( ̄m ̄〃)ぷぷっ!
残念ながら番組内で山田方谷について、一言もありませんでしたわ。
今度、お目にかかるとき、どんな顔をされているか楽しみだす。

備中高梁(びっちゅうたかはし)は昔、青春18きっぷで行ったことがあります。
あの伯備線沿いにはいい街が幾つもあるのですよね。
ふもと(現在の高梁高等学校)までは行ったのですが、「天空の城」はそこから約一時間歩かねばなりません。時間が無くて断念した思い出があります。

テレビの中でひとつ、私の疑問が解けました。
(ただの勘違いだったんだけどね)
秀吉が水攻めをしたお城は「備中高松城」だったのですね。
城のふもとまで行った身としては、高い山のてっぺんにある城と水攻めがどうしても結びつかないのでした。

テレビの中でも「水攻めの高松城と混同しないで」とわざわざ言っておられたので、同じように勘違いする人が多いのかもしれません。
徳川家康の一国一城令により、備中に4つあった城が「松山城」のみになったそうです。

真田丸。豊臣秀吉の迷走が始まりました。
「唐入り」です。

豊臣秀吉の犯した最大の罪だと思います。

この事を、今日書こうと思ってたんやけど、昨日のテレビの話になってしまいました。
「天空の城」は再放送があると思います。歴史に興味のない方でも霧の天空に浮かぶお城の映像は素晴らしいです。見ごたえがありましたよ。
さすがNHKってこういうときは思っちゃいますね。

 

Dsc01483
妙喜庵より国宝・茶室待庵を臨む
ここで千利休が秀吉に茶を点じた。


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2016年6月 2日 (木)

真田丸・目前天下統一



歴史ドラマの面白さは、なんてったって観る方が「答えを知っている」という事ではないでしょうか。
そして、自分のもつイメージと演者を重ね合わせる。
あたし、小日向文世さんが秀吉にしか見えませんもん。
いっつも、バタバタ走ってはる・・。あんな風な感じやったんやろか・・なんてね。

羽柴さんは日一日と出世していきます。
大友・島津を引き寄せた九州征伐で名を馳せ、佐々成正・滝川和正を臣従させ長曾我部が平定した四国も頂戴して、これでバッチリ西は押さえちゃったよ。

小笠原貞義・木曽義正・両支店長の上に統括部長の家康内野聖陽)さんを置き、これで関東ブロックも固めました。

天下統一に王手をかけるところまでやってきました

ささ。そこですがな・・・・
ここにきても秀吉に屈しようとしない人物が約2名。
伊達政宗北条氏直細田善彦)です。氏直さんは当主ですが実権を握っているのはビッグダディの氏政高嶋政伸)です。家臣もみんな氏政のほうを向いています。
ここで疑問ですが。バリバリ現役でも良さげなダディが、なぜ早々と家督を譲りご隠居さんになったのでせう。
北条には、ちゃんと跡取りがおりますねんで、力は無い頼りない息子やけど・・という事を天下に知らしめるためやったんかなあ・・と思います。

で。その氏政さんですが、プライドが高いというか、見極めが悪いというか、現状の把握が甘いというか、「秀吉君。頑張ってるやん?なんなら僕と天下を二分してあげてもいいよ」くらいの気持ちですねん。
(注!)このブログ。管理人の思い込みで書いてます

今度の日曜日には北条氏が滅亡するんと違いますか。

前回は沼田・名胡桃城からみで家康・氏直が裁定案を調整してる、あたりじゃなかったですか?。(平凡一家のせいで、ちゃんとテレビ観てませんねん)
これがひきがねで、真田勢を先頭に秀吉側は北条の本拠地に殴り込みをかけます。
「小田原合戦」です。

遂に北条を降伏に追い込み秀吉は悲願の天下統一を果たすことになります。

小田原合戦については早めにUPしておこうと思ってます。

↑真田勢を先頭にと書きましたが、山深い郷にある真田の果たす役割というのはおじいちゃんの頃(武田時代)から「道案内」ではなかったかと思います。

出浦昌相寺島進)という人物がいますね。真田昌幸草刈正雄)と強い信頼関係で結ばれ、頼もしいフォローをしてくれます。
この人が佐助藤井隆)のお師匠さんであるという設定です。
怪しげな術を指導する場面も出て来ました。

真田一族は元々、小県の小豪族に過ぎなかったのですが繁信堺雅人)からみれば祖父・幸隆という人が北信濃を走り回り勢力を拡大します。この時「信濃先方衆」とよばれ、武田の北信濃攻略に貢献したわけです。

「先方衆」ここでピンときたらあなたも私も妄想王
ここは、山奥であります。と言えば、修験道。
「情報」と「道案内」に卓越したこれらの人を配下に置いていたと考えられます。
修験の道が常人以上の力を呼び起こす。
これが出浦昌相等のルーツであり忍者・猿飛佐助・・真田と言えば忍びの世界なんてところにつながっていったのでは・・なんてね。

 


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2016年6月 1日 (水)

真田丸・3D真田丸砦



3D真田丸体験(冬の陣の現場見学)のあと
どうもテレビが面白くなくなってきました。

重箱の隅つついてしまう自分がイヤ。
いやや。いやや。こんな性格
もっとおおらかな人間になりたいと思います。

無理や!

だから書きます。

ちょっと古いけどオヨヨの三枝(文枝)さんの最初の登場場面。
茶室が出たでしょ。
アレ。「待庵」ですね。パハップス。
大阪城から電車で一時間半かかるとこまで行ってはったんやね。
それは、エエんです。
其の何回かあとで信繁(堺雅人)が利休(文枝)に悩み相談に行ったでしょ。あれドラマ上どんな意味があったんかしら。利休の回答に視聴者を椅子から転げ落とす仕掛けだったのか。オヨヨ。
そんなことより、たとえ秀吉に気に入られた設定でもお小姓もどきで城内ウロウロは絶対にあり得へん。
そもそも上杉の人質という立場の信繁が昌幸(草刈正雄)が秀吉に臣従したことによりスライドして大阪城に出仕するのだけど・・・立場的には人質ですわ。

片桐勝元(小林隆)が家康のところにお使いに行くでしょ。
その時の手紙やけど「真田は食えない奴でっせ」という内容。
「真田。畢竟(ひっきょう)のものなり」それは、秀吉が上杉に当てた手紙です。書いたのは治部殿(山本耕史)やねんけど、秀吉の考えとして送っています。
ここで使うんや~って思いました。

・・・・そんなこと・・どうでもいいじゃない。
ドラマだもの(みつを)

でもね。これだけは言わせてほしい。
折角、三谷幸喜氏がどんどんエッセンス入れて来てるのに、脚本家の人、視聴者に説明したげなアカンわ。それが親切というものと違います?
知ってる人には分かるかもしれないけどけど、なんか勿体ない。
マニアックな人はニヤニヤしてはるんでしょうか。

Dsc06500真田丸の面影?
心願寺。この高さに注目。
真田丸の東北端であったと考えられる。

 

Dsc06497真田丸から北をみる。
くだり坂の底。東西に「空堀」
現在、地下鉄長堀鶴見緑地線が通っている。

 

 

 

Dsc06499_2
勾配に注目。
右が真田丸東端である心願寺。
大阪城を背に南方向が登坂。

 

Dsc06498真田丸から北を見る
突き当りは現在の大阪女学院。
空堀を経て北の後方が大阪城である。

 

 


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