不思議話

2018年5月11日 (金)

母の誕生日



結婚一年目で私たちは「持ち家」を持った。
中古の公団の分譲住宅だったけど、物を持つことがキラキラと輝いていた高度経済成長時代の申し子たちには、ただただうれしかった。

当時、母は50代に入ったころで仕事を持っていた。
新しい家を見に若い友人とやって来た。
その人はP化粧品のセールスをしていて、母は共働きで忙しくしている私に化粧品を買ってやろうというつもりだったようだ。

その人Aさんは当時30代。子どもの頃から不思議な体験が多く、10代の頃から占いに興味を持つようになり、九州のある方に弟子入りをしたのだそうだ。
「Aさん。よくみはるから、ここの家相をみてもらったら」と母は可笑しそうにいった。
家相がどうであったのかはすっかり忘れたのだが、この時いつまでも記憶に残ることを言われた。
その場面では彼女は私の手を握っていたのだから私の手相を見ていたのに違いないのだが、なぜか私の夫の事を
「52歳で死ぬ」と言った。
言ってなにかあわてて、「何か大きなことがある」と言い換えた。
その場に夫はいなかった。

占い師は分かってしまっても「言ってはいけない」ことがあるらしいのだがAさんは「言ってしまった」ぽかった。

夫が亡くなったとき真っ先に思い出したのはその事だった。
母もそうだったらしい。
夫は53歳で亡くなった。

夫の葬儀からほどなくして、不思議な偶然に偶然が重なりAさんに再会することになる。
この時、たまたま長男が一緒に居て彼はAさんにおおいに励まされちょっとしたアドバイスをもらった。それから10数年経ったが、今その方向に進んでいるのが不思議である。

Img_2395

去年のGWのある日私は長男一家と神戸の大型家具店にいた。
数日前に次男に買い替えて貰ったスマホが鳴った。
Aさんからだった。母の友人として登録が残っていたのだろうか、先に出逢ってから10年以上。Aさんとは何のコンタクトもなかった。

「Aですが、お電話いただいたようですがどちら様でしょう」

ということだった。
名乗ると非常に驚かれた。間違いで掛ったようだと失礼を詫びて切った。
Aさんに電話をした覚えはない。

30分ほどすると再びAさんから「お電話いただいたでしょうか」とのこと

掛けてはいない。再び詫びる。
そのとき、「M先生(母の事)はお元気ですか?」と尋ねられた。

一回目の電話の時には母の話はしなかった。葬式するな。遺骨を拾うな。と言っていた母の事は敢て言わなかった。

5年前に亡くなっていることを伝えると絶句された。

更に30分後。もういったいどうなっているのか訳がわからない。
また、私のスマホからAさんあてに着信があったというのだ。

私は、Aさんに「母がAさんに知らせて欲しいんだと思います」といった。
Aさんも「そう思います。私はM先生に本当にお世話になりました。良くしていただきました。感謝の気持ちでいっぱいです」と言われた。

数日後にAさんから電話があった。
本日、高野山へ行って自分なりの供養をさせてもらってきたと。

私は、母が喜んでいると深くお礼を言った。
電話を切ってから気が付いた。
その日は母の誕生日だったのだ。

私は自分のスマホからAさんの登録を抹消した。

一年前の出来事である。
ほんまはどないやったん?お母ちゃん。
と、聞いてみたい気持ちでいっぱいである。


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2017年12月27日 (水)

100%見えていませんから



エミリーが年末の挨拶に手ぶらでやって来ました。
年始ならわかるけど「年末」の挨拶なんてね。

「年末やから、ちょっと顔みとこ!と思って」だそうです。

気色悪いでっしゃろ
この人、ほんまに気色悪いんです。


何度か書いてるけど、彼女のお姉さんは霊能者でした(故人)
私の友だちシリーズのE子ってエミリーのことざます。
その影響か、時々気色悪いことをいいます。

前々から不思議で不思議で仕方がないのですが
アタクシの周り、周辺。身近なところ、しかもきわめて親しい人に、スピリチュアル関係者がやたら多いのです。

エミリーは前述通り。
(以下、このブログにしょっちゅう登場する面々です)

ベベちゃんの伯母さん(故人)は、私も子どもの頃からよく知っている「拝み屋さん」でスピリチュアルな側面からの占いがよく当たるというので某私鉄沿線では超有名でした。
家の前に鳥居があるので○○(私鉄の駅名)の赤門さんと呼ばれていました。
ベベ子の伯母さんであるというのは大人になって聞きました。
「へ~~そうやったん。びっくりやわ」と言いました。

ガチャピンのお父さん(故人)は、神職でした。生家はごく普通のお家だったようですが、子どもの頃から不思議な能力が評判で、あるお宮さんに是非にと乞われ神主になりました。
彼女の子どもの頃の記憶では滝行や断食や山行など修行に明け暮れており、大勢の相談者が引きも切らず訪れていたそうです。
今でもあるのかどうかわかりませんが「紳士録」にお父さんの事を「神の申し子」と書いてあるよと兄・姉に教えられ図書館まで見に行ったとガチャピンは言っています。

タニモッチャンは3歳で子どものいなかった伯母さん(実母の姉)(故人)の養女になりました。
家が隣同士で、兄弟とも一緒に大きくなり、ただ、苗字が違うだけで、お母さんが二人いるのが凄く得をしたと言っています。
この伯母さんは、霊媒師でした。
サラリと書いたけど、霊媒師ですねん(うふふ)
チャネリングとかいうのとまた違うねん。とタニモッチャンはいいます。
霊媒体質の人は自分の体の中に他人の魂を入れ込むらしいです。普通(何が普通かわかりませんが)霊媒師ともう一人「語りかけるひと」(専門用語聞いたけど忘れました)の二人で行うそうです。
タニモッチャンは子どもの頃から
さまざまな場面を見て来たそうですので、不思議とも胡散臭いとも思っていないらしい。

ちちうえ。もう亡くなられてずいぶん経ちましたがとても可愛がっていただきました。
この方のお父さんも静岡県では有名な「人助け」の方だったそうです。
詳細は略。(おたまブログには登場しておられないので)

選んだわけではないのに、やたら多いと思いませんか?
もともと、そういう方の絶対数が多いとは思えないんだけどね。

友人たちは何の能力もない(あは)一般人です

時々、わけのわからない行動・言動に出るエミリーちゃんみたいな人もいます。
「おたまちゃん。見えてるやろ」と言うので

「何がやねん!」

と、一応言っておきます。

そうそう。彼女「お父さんを外に待たせてる」と言って
5分も滞在せずに帰って行きました。

気色悪~~~

 


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2017年6月20日 (火)

夫の最後の言葉



夫・ひっちゃんの命日なので墓へ行って来た。
墓は車で15分のところにある。

今年はGWに夫と舅の法事をしたので、本命日はすっかり忘れちゃった感がある。
それは、子どもたちが・・ってことね。
ワタクシ?そりゃあ「妻」ですもの忘れるわけありませんわ

GWにきれいにしておいたのに雑草が生えまくっていた。
おまけにお天気続きで土の固いこと!
この釘は引き抜きにくい釘だ」と呪文を唱えながら抜いた。
ああ。さっぱり。

よくぞ。おばあちゃんはこの霊園に墓を移しておいてくれたものだ。
元の「泉州」なら、今朝みたいにゴミ当番を済ませた後、日焼け止めクリームだけ塗って、車でぴゃ~っとやって来て、「徹子の部屋」までに家にぴゃ~っと帰るなどという技は無理だ。

ひっちゃん。あたしは元気に暮してるよ。
「なにも心配せんでエエで」とひっちゃんが言ってたとおりだよ。
まあ。ザックリ言えばひっちゃんはあたしを幸せにしてくれたよ。

と。墓石にしゃべりかける。

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 「なにも心配せんでエエで」


亡くなる前日。
ピンピンしていた彼は突然そう言ったのだ。
なんの前フリも脈絡もなく突然に。
立ったまま庭を見ながら、ひとりごとのように、だが確かに私に向かって・・・。

土曜日の夕方だった。レースのカーテンが風にそよいでいた。

そして

翌日を迎えることになる。


あれは何だったのだろう。
別れが来ることを知っているもう一人の自分が、何も知らない自分自身に言わせたのだろうか。

自分は遠いところに行くけれど、とっても素敵なところだから「何も心配しなくていいよ」
なのか。
自分がいなくなっても守ってあげるから「何も心配しなくていいよ」なのか。

私は前者だと思っている。
ああ。ひっちゃんはあっちで機嫌よくやってるんだ。となぜか思ってる。「元気に死んでる」って。
だから、悲しくない。

実はその時、心のこもった別の一言を私に言った。
しみじみジ~ンとした。
それは私の宝物なのでここには書かないよ。

そして、「おたまちゃん。なにも心配せんでエエで。」と言ったのだ。

その言葉に支えられて未亡人生活を
清く正しく美しく。強く楽しくたくましく過ごせているのかもしれない。

テンキュひっちゃん。

ああ。子どもたちね。「命日やで!」って一斉送信しておくわね。
ほんまに・・もう。


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2017年4月29日 (土)

来世でお会いしましょう



早急に必要なわけではないが、前から欲しいものがあり
気に入ったものが見つかったら買おうと思っていた。

大阪へ出たついでに卸売りの商店街を歩いた。
友人と二人店内にはいろうとしたとき、入り口に立っていた店主らしき人が「あーっ」と小さく声をあげ続いて「えーっと。顔・・・・」と言って自分の顔に両手を当て押し付けるようなしぐさをした。

「私の事知っていますよね」
「どこかでお会いしたことありますよね」

先に店内に入った友人のことか?私か?という意味で彼女?私?と指を指した。
私だという。

友人が振り向いて「それは女性へのアプローチの常套手段よ」と笑いながら言った。
しかし店主はかなり真剣で自分の記憶を手繰り寄せるような眼をした。

「この店に来られたことありますね」
「NO」
「店の前を通ったのかなその時、おみかけしたのかな」
「ここに来るのは10年振りです」

「前世で会ってるのかもしれませんね」
冗談めかして言ったのにその人は真面目に「そうかもしれません」と言った。
不思議な気持ちがしてお互いの顔をみた。

男性とこんなに見つめ合ったのは、もう何十年ぶりの事。
同年代だと思うけど、オジサンにしては珍しく非常に清潔感のある人だった。

やっぱりわからない・・

ガレ風の卓上ランプがずらりと並んでいた。
西洋アンティーク。特にガレは退廃的な香りがしませんか。
見ている分には美しいと思うけど・・。

私が探していたのはシンプルでどこか懐かしいシェードのついた卓上スタンド。
ベッドサイドに置きたかった。今使っているのはソファーを買ったときに家具屋さんがサービスでくれたもので、もう長いこと使っているがお洒落すぎて落ち着かない。

一つの商品を見ていたら「気に入ったのがあればアドヴァイスさせていただきますよ」と言って店主が近づいてきた。
「胴が陶器なんです」指ではじくと心地よい音がした。
「これいいですよ・・・」
私もそう思った。きっとどんどん好きになる気がした。

お店の人に梱包してもらい会計をしてもらっているあいだも、店主は不思議そうに首を傾げていた。

「じゃあ来世で・・」
「そうですね」

と言って店をあとにした。

友人が「あの人、本当におたまちゃんに会ったと思ってはったみたいやね」
「たまに電車なんかで”懐かしい・・”と感じる人に会う事あるよね」

彼女は「人間は何回も生まれ変わる。だから男だったときもある」と言って女人結界なんか平気で破ってる(数メートルだけど)人なのでとっても楽しそう。

前世を覚えていたらいいんだけどね。
ま。それもややこしい話やな。

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2017年2月 2日 (木)

夢の先・・・女の子編



前から誰かに聞いてみたいと思っているのだが
夢の中の「声」というのは耳から「音」として聞こえるのだろうか。
・・・・・
例えば会話は自分の脳を通しているだけで「音」として耳で聞いているのではない。
そして、音楽や鈴の音やサイレンを「耳」で聞いたことがない。

つい最近。夢の中で夫に呼ばれた。
それは間違いなく「音」であり、耳から聞こえ
ああ彼の声だと思った。そうそう。こんな声だった・・・。
とも思った。

今回以外に、一度だけ「夢で音を聞く」経験をしている。
右の耳の傍でその「声(音)」ははっきりとこう言った。

「今日でお別れだからこの子は泣いているんよ!」

中年の女性の声だった。
私は夢の中でその声に聞き覚えがない・・と思っている。

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左の方向に帯のようなものが長く伸びている(その色も模様もはっきり覚えている)
その先に小さな女の子が立っている。
少女というより赤ん坊に近い小さな女の子・・。

私はこの女の子が誰であるのかを知っている。
決して悲しくて泣いているのではないことも知っている。

自分が人生で経験した最大の「不思議話」の最終章だけを今、ピックアップしてここに書いているわけだが、ここに至るまでの長い話はまた気が向いたら書きたいと思っている。

 

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夢を見たその日の昼に私は墓参りをしていた。

それは偶然だったのか必然だったのかよくわからない。
長い旅路の果てに、やっと見つけ出した(と言ってもいい)女の子だった。

その日は彼女の70年目の命日に当たっていた。
その事は後日判ったことであった。
今から、20年ほど前の秋の日のことである。

「今日でお別れだから・・・」

声の主はわからない。
が。
女の子は遠いところへ行った。と信じている。


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2017年2月 1日 (水)

夢の先・・いとより編



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正月に次男と小さな漁港に行った。
デジャヴ感がある。
そうだ。夢に見た景色だ。
夢の中の港はもっと明るく春の気配が漂っていた。

 

友人にマーニャという夢占い師がいるんだけど
彼女によれば、夢は
深層心理を引っ張り出している「記憶の整理」といわれるものがほとんどだけど、中には説明の出来ないスピリチュアル(予知的な)ものもあるそうな。

・・・・・・・・・・・・・

出漁を待っていた漁船が次々に湾の外に出てゆく。
その中の一隻に乗せてもらう。
乗り組んでいたのは年配の男性と若い青年。
船が動き始めると最初は風が心地よいと感じていたが、あまりのスピードに恐ろしくなり
「おじさん。帰る!帰りたい!帰して・・」と懇願していた。

船は港口の灯台の手前でUターンする。
その時だ。
大きな魚が船に飛び込んできた。
右の船縁からは烏賊。左の船縁からは糸より。
どちらも人間の背丈ほどの大きさである。
糸よりのピンクを美しいと思ったから夢はカラーだったんだ。

浜まで引き返してもらい、自分より大きなイカと糸よりを左右の肩に背負い引きずるような形で、魚の加工場のような建物へ行く。

・・・・以下おぼろ・・・

マーニャによるとイカにはイカの糸ヨリには糸ヨリの意味があるらしい。
海は無意識のエネルギー。船は近未来の予告。
いずれにせよ活きのいい魚が飛び込んでくるのは珍しい𠮷夢だと言われた。

「近々、運命が大きく変わることがあるよ」

それも、”良い方向に”

・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・

其の1か月後に夫が亡くなったんだけどね。

(今日のお花)

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ストック/永遠の恋

ブルースター/信頼

ソリダコ/少年

ドラセナ


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2014年8月14日 (木)

魂は口から出ていく



ローレン・バコールが亡くならはったんやね。
カッコイイ人やった。大好きでした。 合掌。

      

お盆には、いつも「不思議体験」を書いています。
どこに?ってここにですわ。

大切な人を失くすと「魂」の存在をうっかり、すっかり信じてみたくなるものです。
信じた方が幸せだから・・・かもしれません。

おたまの見解は
「自分が知らないことを否定するのは愚かな事である」
ということです。

ですから、これはそんなもの「ある」というお話です。

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ひっちゃん(夫)の通夜葬儀を仕切りまくって済ませたおたまでございました。
夫の喜ぶようにやってあげたいと。そればかりでした。

おたまの友人には一切知らせませんでした。
なぜなら友人は「おたまのために」泣いてくれることがわかっていたからです。

通夜・葬儀には「ひっちゃんのためだけに泣いてくれる人」に来てもらいたいと思いました。

顔を合わせたことのない自治会の役員さんには知らせず、ご近所は仲良くしてもらったガチャピン夫妻と、お隣のご夫妻だけに来ていただきました。
既に就職していた長男の会社関係にも伏せました。

夫を愛して下さった方ばかりが来てくださいました。

人に好かれる人でした。

測ったように会場が埋まりました。
かねてから
「自分が死んだら○○と△△に連絡してくれたらアンジョウやってくれるわ」と言っていました。彼らはおたまとも知り合いでした。
間違いなく「あんじょう」やってくれました。

司会進行は喪主・おたまがやりました。

弔辞は15歳の時からの親友が「おまえ、何死んでんねん!」という言葉から始まりました。
友人たちは息子を物陰に連れてゆき「男は泣くな。」と言ってきかせていたようです。

「可笑しいやろ、自分は泣いてるのに・・」と息子は言ってましたが。

通夜振る舞いも精進落としも盛大にやりました。それが彼の希望でしたから。

一人っ子でしたので兄弟の味は知りませんがその代わりの人に恵まれました。
みんな火葬場まで行ってくれマイクロバスに乗り切れませんでした。

さて。

魂のはなしです。

宮付きの霊柩車があいにく出払っていてベンツの霊柩車になりました。
妻も乗せてもらえるかと思いきや、後続のマイクロバスへということでした。

(その前に)
火葬場は、葬儀会館のご指定の〇〇で。とのことでしたが、
「いや、ウチの亭主は我が町の煙になります!」と言って押し通しました。
たかが、5㎞の違いです。諸々のお付き合いがあろうことは判っていますが、それは、あちらの事情です。施主はわたくし・おたまでやんす。

で。希望の火葬場に向かう車の座席にすわったとき

・・・・・・・・・・

ひっちゃんが、おたまの口の中から出て行きました。

 

それは、喉仏のところから、出て行きました。
ピンポン玉より小ぶりのふわふわした、マリモのようなものでした。
完全な球体でした。
色は白かったです。

それは、軽い咳払いと同時にぽこんと、ほんとうにぽこんとゆっくり、出てゆきました。

ははは。信じていただかなくて結構ですが、ひっちゃんでした。
「今、ひっちゃんが出て行ったわ」というと、長男が「そうか・・」といいました。

何もかも終わって葬儀社の方がみえて

「今まで長い間、この仕事にたずさわってきましたが、初めての経験でした。こんな、ご葬儀のやり方があるのかと・・
     勉強させてもらいました!!
と平伏されました。

「スタッフ皆で話ました。あの時の奥様のご挨拶・・もう一度聞きたいです」
それは、無理やろ。

ひっちゃんに喜んでもらいたい。
それだけでした。

(葬儀の取り仕切り、何をどうしたいかは業者任せにしたら、もったいないです。自分の大切な人の旅立ちですから・・)

「おたまちゃん。完璧やったわ・・・」
「でも。可愛くない?」
「しゃあないな・・・・」 
(以上、。当時の長男との会話)

それからしばらく色々な「体験」をしました。
それは六根(眼耳鼻舌身意)の世界ですので、説明がしにくいものです。

49日の前日。面白い夢をみました。
ひっちゃんは、行くべきところに行った・・・と思いました。
同じ日。長男がまったく同じ夢を見ていました。

なんと、夢の中で話しかけた「セリフ」が「同じ」で驚きました。

「ひっちゃん、よく似合ってるね・・」
「お父さん。それよく似合ってるわ・・・」

ひっちゃんは、真っ白の服を着て、白いまぶしいところへ入っていきました。

お盆なので、今まで書いたことのなかった「お葬式」の事を書いてみました。
読んでくださってありがとう。


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2014年7月 4日 (金)

シミよさらば。其の最終回



ということで、翌々日病院へ行った。
診察室のドアを開けると、・・・ほんま。この二人・・・

   額縁に入れると「絵」になるわ・・

「きれい、きれい。もうええよ」(もう来なくていいという意味)

そして、厳かににおっしゃったのだ。

     「ほかに、気になるところない?」

げ!何か気にしないといけないところがあるというのか・・。おたまは必死で考えた。
左の耳の下・・いえね、今の今まで全く気にもとめていなかったんですけどね
「あのう・・ここがプクッとしてるんですけど・・」

先生は顔を近づけ

「あーた。それはほくろよ。・く・ろ。それは取らなくていいの。
あーたのコレ(と右目を差し)はふくろだったのよ。・く・ろ。ふくろは取らなきゃだめなのよ」

では大きな違いがありそうだが、よくわからない。
看護婦が「やれやれ」という顔つきでおたまを見ていた。

と、おばあちゃん先生は、さらに顔を近づけ
その近づけ方は尋常ではなく鼻と鼻が触れ合うほどだ。
もし。これが加瀬亮だったら、おたま・・押し倒していたと思う。

「それより・・あーた」

  「コレ 取る?」

何かを含んだような意味ありげな声のトーンだった
コ・コ・コレ・・ってなんやねん。
コレかい?
左目じりの下。小指の爪ほどの大きさで確かに周辺の皮膚よりやや濃い目の(濃いったてサーモンベージュだぜ)・・・・

え!世間ではこれをシミって言うのか!
そういえば、以前エミリーに「これ何やろ?」と聞くと「シミやん」と言下に決定を下されたことがあった。
うっそ~~~。
笑わせちゃいけないよ。と思っていたが笑われてたのか。
はははは。

そっか。これはシミなのか・・

  「と・と・取って下さい」

おばあちゃん先生は満足げにうなずき、看護婦に目くばせをした。
アイ。合点承知心得ておりますという風に彼女は暗幕へと消えた。


再び現れた彼女。
胸の前にうやうやしく銀のお盆のようなもの掲げていた。
そして、そこから

       煙が出ていた

な・なんなんだ・・やはり二人は魔法使いとその弟子だったのだ・・
イケない。ラリホーマをかけられた
おたまのマホカンタは効かないのか(レベルが低すぎる)
おお。マヒャドで約80のダメージ・・・

冷たい! 
綿棒の親みたいなものでチョコチョコと何かを塗られた。

其処に絆創膏を貼ってもらう。
2・3日したらかさぶたが出来て自然に剥がれるから、無理にはがさないようにといわれた。

「もう来なくていいよ」
「はいわかりました。ありがとうございました」

ありがとうと言ったものの。ほんまにこんなのでシミがとれるんやろかと半信半疑であった。

お会計は、「ふくろの処置」230円と
シミ取り 515円(消費税3%含む)だった

このことと相前後して、知人4名(当時アラカン)が「台湾シミ取りツアー」に出かけている。
シミひとつ=1万4千円。平均3か所を施術。4人は絆創膏だらけの顔で関西空港に降り立った。

  笑うでしかし。はっははは

で、おたまの話を聞いて
そんなん絶対、すぐに下からシミが浮き出てくるわ!
と憎々しげに言っていたが・・・

 どんなもんだい!あれから10年。
あの魔法がいかに優秀だったか

この顔が証明している。キラリ。

はい。この話はこれでおしまい。
後日談として,おたまに触発されたS子さんが
デカいほくろを二つ取る話に発展するが
人が綺麗になった話は、たいして面白くないのでやめておく。


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2014年7月 3日 (木)

シミよさらば。其の③



おたまの美しい顔にライトが当てられ
キャッ!ままぶしい!と思った瞬間メスは入れられた。

顔の傷が勲章になるのはヤクザなマドロスに変身中の多羅尾伴内くらいのものだ。
それにしても片岡千恵蔵は顔がデカかった。
あ。そんなことはどうでもいい

間髪を入れず目の下をひねり上げられた。

   ムギュ~~~~

この、おいぼれ 痩せさらばえた油っ気のないカスカスの小っちゃな、おばあちゃん先生のどこにこんな力が隠されていたのか・・・

この人やっぱり医者やってんなと変なところで感心する。

   ムギュ~~~~

やめちくれい!。顔がイガム(ゆがむ)

「ぎゃっ!」 (おばあちゃん先生の声)
「なんか、入ってる」「見て見て」と弟子を呼ぶ

「ぎゃっ!」 (おばあちゃん看護婦の声)

「あっ!ああああ・・」 (二人の声)
「何か出た!」
「転げた・・そこそこ。」

 ・・・・・・・ 3秒ほどの沈黙の後。

「いややねえ。初仕事がこんなんで・・ふふ」 (魔法使い)
「ほんまですね。正月早々・・ふふ」 (その弟子)

おたまの美しい顔から出た物は
仁丹の親くらいの大きさで・・と言っても分りにくいか。
陀羅尼助よりもっと小さい。マーブルキャンデーをロレロレしてたら最後の最後に残る白い球みたいなものだった。

脂肪のかたまりかなんかじゃないの?
金目のものが出せたら

      おたまサイババだよ。

で、絆創膏を貼ってもらい、それがはがれないように眼帯をしたのだけど上手く収まらない。
結局、顔の右半分をガーゼで覆ってからテープ止めされた。
見た目。重病人。

げげ。これで電車に乗って帰るの?
案の定、乗客の98%の「見てはいけないけど見てしまう」ビーム。を感じながら家路につく。

《顔面ガーゼ》
あの「サンマで大やけど救急車搬送事件」以来だ。

二日後に傷口を見せに来なさいといわれた。

夜。帰宅したひっちゃんには、当方からは何も言わなかった。
見ればわかるだろう!この顔面ガーゼ!

おたまが、今日どれほどの大手術をしてきたかが・・・

そして、口数少なく、しょんぼりした風情を漂わせてやった。

「どうやった?」
「ううん。なんでもない・・・

正直と言うか素直というか単純というか いや

   ノー天気なんだ。この人。

「なんでもないんや。良かったな」だってさ。

ばかばかしい。すぐにガーゼをひっぱがしてやったよ。
単なる「おさえ」なんだからさ。
ず~っと夜までつけてて,暑かったぜ!

そして、話はいよいよ本題の「シミ取り」に入るんだけど

え?まだ本題に入っていなかったの?
とおっしゃるムキには申し訳ございません。
あと一回で話終わらせるから、ご辛抱くださいませ。ふう~っ。


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2014年7月 2日 (水)

シミよさらば。其の②



明けて元禄十四年・・ちゃうちゃう。
松飾も取れていない新春早々、K病院へ行った。

大阪市のほぼ中心にもかかわらず都会的雰囲気には程遠い、
昭和のかをりいっぱいの商店街アーケード。
重い心に悲しみを抱き・・・

え~~と、ちょっと待っててね。
あの時詠んだ俳句がありますねん。探してきますわ。
感動ものやで
・・・・ごめんちゃい。今見てきましたがひどかったので
CUT!

診察室に入ると紛れもない「おばあちゃん先生」だった。
身の丈5尺足らず。少し前屈みの痩躯。
ひっつめたグレーの頭髪。
キラリと光る縁の眼鏡をかけておられた。

おたまの目指すところの
「爺さんか婆さんかわからないお年寄」だ。

傍らには先生とほぼ同じ身の丈ながらこちらは、若干、小太りの看護婦さんが控えていた。
凡庸な男子がドキドキするナース服ではなく手首のところでゴム止めしてある割烹着のようなものをお召である。
ちなみに、先生は理科教師のような白い上着の裾が床上10センチあたりまで伸びていた。

二人そろって・・・・「絵」になる
う~ん。なんちゅうたらいいのかな・・独特のお二人。

合わせて150歳越えは間違いない!

三味線の師匠から「あの人らコンビやねん」と聞いていた・・・
その、ナイスカップルが目の前に・・・

二人とも白いものをお召しだったはずなのに、いまでも、おたまのイメージジは黒ずくめの、おまけに先生はフードまで被った。

    魔法使いとその弟子。

・・・・・・・・・・・・・・・・

「どうしましたか?」
「ここのとこに、コロコロしたものができまして・・」

「そこに座って」ベッドを指された。

前回この病院に来た後で知ったのだが。
K病院は「肛門科」で有名で、まあ当時腕のいい先生がおられたのだろう。
「お尻切るならK病院」と、もぱっらの評判だったようだ。
患者も「そのむき」の方が圧倒的に多いということだった。

で、「そこへ」と言われたベッドの壁には

  「下着を脱いでこの姿勢でお待ちください」

と、ご丁寧に中年男性の写真(しかもデカい)が貼ってあった。
イラストにすればよいものを・・。この人

ようモデルをヤル気になったなあ・・
と四つん這いの男に見入っていると。

「はい。こっち向いて、そこに腰かけて!」と言われる。
「腰かけて」・・・ほっ!。ベッドに登らなくていいんや。

「ふくろやな・・取る?」
え?ふくろ?大入り袋?山で鳴くフクロウ?

「今、取る?取っとこ!(とっておこう)」
とっとこハム太郎・・・話の進度に追いつかない。

「あのう・・組織検査は・・」

「あ。いらんいらん」
魔法使いは書き物をしながら顔を上げずに手だけ振った。

      ほんまかいな・・・

じゃあ、おたまの年末年始は何だったの!
遺言書作成しかけてたんやで。

ちっこい二人に「こっち。こっち」と導かれ診察室の裏手へ回った。

待合室から見るといくつかの診察ブースに分かれているが中に入ると衝立の後ろは共有の広いスペースでその端に奇妙な椅子が置かれていた。

歯医者の診察椅子のようでそうではない。ベンベン。
椅子の両サイドにサスマタのこどもみたいなものが付いている。

さすがおたまは経産婦だ。
見てすぐにはは~~ん。と思った

   これ。分娩台じゃん。

ここで、産め!ってか。おたまに何を産めというのだ。
それに、この病院に産婦人科はなかったはず・・・

落ち着くんだ。
勘違いだ。これは分娩台ではなく

   痔疾手術および処置のための椅子なんだ~~

兎に角、その椅子に座れと言われた。
寝転ばなくていいのね。開脚しなくていいのね。

おたまの痔じゃなかった、目のオペ(?)の説明があった。
プクンと膨れているところを2mmほどメスで切開し、中にある水だか何だかわかんないけどそれを出す。

おばあちゃん先生は光るものを取り出した。

                   (明日へつづく)


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