

ローレン・バコールが亡くならはったんやね。
カッコイイ人やった。大好きでした。 合掌。

お盆には、いつも「不思議体験」を書いています。
どこに?ってここにですわ。

大切な人を失くすと「魂」の存在をうっかり、すっかり信じてみたくなるものです。
信じた方が幸せだから・・・かもしれません。
おたまの見解は
「自分が知らないことを否定するのは愚かな事である」
ということです。
ですから、これはそんなもの「ある」というお話です。


ひっちゃん(夫)の通夜葬儀を仕切りまくって済ませたおたまでございました。
夫の喜ぶようにやってあげたいと。そればかりでした。
おたまの友人には一切知らせませんでした。
なぜなら友人は「おたまのために」泣いてくれることがわかっていたからです。
通夜・葬儀には「ひっちゃんのためだけに泣いてくれる人」に来てもらいたいと思いました。
顔を合わせたことのない自治会の役員さんには知らせず、ご近所は仲良くしてもらったガチャピン夫妻と、お隣のご夫妻だけに来ていただきました。
既に就職していた長男の会社関係にも伏せました。

夫を愛して下さった方ばかりが来てくださいました。

人に好かれる人でした。
測ったように会場が埋まりました。
かねてから
「自分が死んだら○○と△△に連絡してくれたらアンジョウやってくれるわ」と言っていました。彼らはおたまとも知り合いでした。
間違いなく「あんじょう」やってくれました。
司会進行は喪主・おたまがやりました。
弔辞は15歳の時からの親友が「おまえ、何死んでんねん!」という言葉から始まりました。
友人たちは息子を物陰に連れてゆき「男は泣くな。」と言ってきかせていたようです。
「可笑しいやろ、自分は泣いてるのに・・」と息子は言ってましたが。
通夜振る舞いも精進落としも盛大にやりました。それが彼の希望でしたから。
一人っ子でしたので兄弟の味は知りませんがその代わりの人に恵まれました。
みんな火葬場まで行ってくれマイクロバスに乗り切れませんでした。

さて。
魂のはなしです。
宮付きの霊柩車があいにく出払っていてベンツの霊柩車になりました。
妻も乗せてもらえるかと思いきや、後続のマイクロバスへということでした。
(その前に)
火葬場は、葬儀会館のご指定の〇〇で。とのことでしたが、
「いや、ウチの亭主は我が町の煙になります!」と言って押し通しました。
たかが、5㎞の違いです。諸々のお付き合いがあろうことは判っていますが、それは、あちらの事情です。施主はわたくし・おたまでやんす。
で。希望の火葬場に向かう車の座席にすわったとき
・・・・・・・・・・
ひっちゃんが、おたまの口の中から出て行きました。
それは、喉仏のところから、出て行きました。
ピンポン玉より小ぶりのふわふわした、マリモのようなものでした。
完全な球体でした。
色は白かったです。
それは、軽い咳払いと同時にぽこんと、ほんとうにぽこんとゆっくり、出てゆきました。
ははは。信じていただかなくて結構ですが、ひっちゃんでした。
「今、ひっちゃんが出て行ったわ」というと、長男が「そうか・・」といいました。

何もかも終わって葬儀社の方がみえて
「今まで長い間、この仕事にたずさわってきましたが、初めての経験でした。こんな、ご葬儀のやり方があるのかと・・
勉強させてもらいました!!」
と平伏されました。
「スタッフ皆で話ました。あの時の奥様のご挨拶・・もう一度聞きたいです」
それは、無理やろ。
ひっちゃんに喜んでもらいたい。
それだけでした。
(葬儀の取り仕切り、何をどうしたいかは業者任せにしたら、もったいないです。自分の大切な人の旅立ちですから・・)
「おたまちゃん。完璧やったわ・・・」
「でも。可愛くない?」
「しゃあないな・・・・」 (以上、。当時の長男との会話)

それからしばらく色々な「体験」をしました。
それは六根(眼耳鼻舌身意)の世界ですので、説明がしにくいものです。
49日の前日。面白い夢をみました。
ひっちゃんは、行くべきところに行った・・・と思いました。
同じ日。長男がまったく同じ夢を見ていました。
なんと、夢の中で話しかけた「セリフ」が「同じ」で驚きました。
「ひっちゃん、よく似合ってるね・・」
「お父さん。それよく似合ってるわ・・・」
ひっちゃんは、真っ白の服を着て、白いまぶしいところへ入っていきました。

お盆なので、今まで書いたことのなかった「お葬式」の事を書いてみました。
読んでくださってありがとう。
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2009/9~2013/8 の記事はコチラです⇒http://nurebumi.cocolog-nifty.
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