ちびたま時代

2017年8月 6日 (日)

海のひびきをなつかしむ


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    わたしの耳は貝のから  
   海のひびきをなつかしむ

                        ジャン・コクトオ

clover

私が人生で初めて出会った詩である。

・・・・・・・・

「海すきかい?」
「ええ」

「ぼくも海が大好きだな。海を見ていると、とてもやさしい気持ちになれるから、そうして、勇気がわいてくるから。」

・・・・・

少女はシングやメルヴィルやコンラッドやポール・ヴァレリーを知っているか?と尋ねられ、
自分が何にも知らないことに情けなくなり、腹が立ってくる。
はずかしさの中で、泣き出しそうな声をはりあげてしまう。

「わたしの知っているのは、ポール・クローデルとジャン・コクトオぐらいだけです。」

・・・・・・

そして、少年からこの詩を教えてもらうのだ。

clover

今から15年くらい前、私はこの小説の作者に手紙を書いた。
図書館で借りた全く別のある本の中で偶然にもこの方の名前を見つけ、素性がわかったのだった。

10歳でこの本にであったこと。大人になっても宝物のように大事にしていること。
この小説を書いた人がどんな人なのか、いつもいつも思っていたこと。

そして、主人公の少女は大人になって「詩人」になれたのかということ。

clover

すぐに返事が来た。

その人は自分でも忘れるくらい遠い昔(学生時代)に書いた本を小さな女の子が読んでいたことに驚かれていた。
そして、詩壇の芥川賞ともいわれる「H氏賞」。「高見順賞」。「現代詩人賞」を受賞された"詩人"になっておられた。

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毎年、秋になると当地の名産を送る。

時々、本を贈ってくださる
角ばった懐かしい文字のお手紙を頂戴する。

10歳からのたくさんの日々を思いながら
見えない貝殻を耳に当ててみたりする・・・・・。


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2017年7月 5日 (水)

プラッシー


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懐かしいもののひとつが プラッシー

M


ビタミンCがたっぷりなので プラスC = プラッシー

子どもに大人気。力道山の憎き対戦相手は ブラッシー

゜と〃では大違い。

noteタケダ タケダ タケダ noteタケダ タケダ タケダ
note タケダ タケダ~~~

今ではあり得ないかも・・・の社名のみ連呼するCMソング
超シンプル。潔さ満点だわ・・のロゴマーク

あの、武田製薬から出ていた。

お薬の会社だから絶対に間違いなく。ビタミンCだ。

と、信じていたのに

大人達は「あの中に沈んでるツブツブは、カミだ」
と言った。(都市伝説)

ミカンではなくカミ・・・なんじゃそら?

「カミ(紙)でもいいから飲みたい」といえば、

「あれはお米のとぎ汁から出来てる」と言われた(都市伝説)
ああ。だからお米屋さんで売ってるのか・

でもガチャガチャと音を立ててお米屋さんがケースで配達してくれた時はうれしかった。
大人みたいに栓抜きで開けるのだ!!!
お米屋のおじさんはPTA会長だった。
夏休みなのに学校から鼓笛隊の楽器を借りて来て町内旅行の二日市温泉で我々は笛や太鼓で演奏した。街の立役者だよ。

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clover

あのころ子どもの好きな夏の飲み物といえば「麦茶」以外には

家庭により濃度の違う「カルピス」happy01
バヤリースオレンジ・三ツ矢サイダー・ラムネ・・

それくらいしかなかったのに・・
プラッシー・・・なぜにそんな言われようだったんだろ。

t-shirt
個人的には渡辺のジュースの素のほうが
うさんくさいって思ってた・・・

指に付けて舐めてから舌の見せ合いっこをする。
きゃはは・・と見せあいっこをしているうちに無くなってしまう・・
ジュースにして飲んだ記憶は少ない


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2017年6月15日 (木)

会いたいなあ。あの人に


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昨日のつづきですが。サーカスに売られた(という噂の)Kちゃんも思い出しました。
Kちゃん。キヨコちゃんだったかキヨミちゃんだったかうろ覚えですので、ここではKちゃんにしておきませう。

Kちゃんも4年生のときのクラスメイトです。
2年生のとき転入してきて、4年の終わりにサーカス転出していきました。

髪を三つ編みにしてそれをお団子にして頭のてっぺんに乗っけたり
ポニーテールやツインテールにしてはたまたそれをお団子にしたりして・・・
長い髪がご自慢でした。
毎朝、お母さんにやってもらうんだ。と言っていました。

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お母さんは病気でした。
元は中州の女給さん(ホステスさん)だったそうです。
そんな事を子ども(おたま)がなぜ知っていたのか不思議です。
暗いアパートのドアを開けるとそこがもう畳のお部屋でお母さんが寝ておられるのが見えました。
Kちゃんは卓袱台から沢庵を二タ切れ取って来て丸い方を私に呉れ、尻尾は自分が食べました。「沢庵のシッポば食べると髪のなごう(長く)なるとよ」と言いました。

お父さんは本当のお父さんではありませんでした。
お母さんより若いお父さんであるというのは私が大きくなってからイメージしたのかもしれませんが、たぶんそうだったのだと思います。
髭を生やした優しそうな人でした。

お父さんは「画家」だとKちゃんは言いました。
クラスの男の子らは「映画館の看板描きばい」と言っていました。
4年生で初めて絵の具を使うのですが、Kちゃんは「絵の具はこうやって使うったい」と言って
チューブのお尻に鉛筆を押し当て中身を口の方に寄せ、チューブの裾をクルクルと巻いてみせてくれました。

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お母さんが亡くなられました。
なんだかバタバタとした流れの中でKちゃんは転校していきました
熊本に行くと聞きました。
長いコートを来たお父さんとおさげのKちゃんの後ろ姿のシルエットがなぜか浮かびます。
転校の挨拶に来た時に実際に目にしたのでしょうか。

しばらくしてから、(五年生になってから)一度Kちゃんが我が家に来ました。
私はその時、庭で鉄棒(と言っても、木の柵ですが)の練習をしていました。

Kちゃんはお人形さんのような洋服を着ていました。
くるっと回ればふわっと広がるスカートをはいていました。
髪にリボンも付けていました。
バレエを習っているととても嬉しそうに言いました。
何度もクルクル回るのをみせてくれました。
少し遊んだけど(たぶん)お父さんが呼びに来られて帰って行きました。

それっきり逢っていません。

次の日学校に行って、「サーカスに売られた」と言った子に
Kちゃんはお人形のような服を着てリボンもつけて、バレエを習っている。
と言ってやりました。

clover

(昨日の)ガンコちゃんにも会いたいけど
Kちゃんの方がもっと会いたいかも知れません。


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2017年6月14日 (水)

あいつ今何してる?


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学生時代のちょっと気になる彼や彼女は、いったいどんな大人になって、今なにをしているのかを調べる。というテレビ番組を何度か見たことがあるんやけどね、
ゲストの興味深いエピソードや意外な一面が見られたりして面白いんですよ。

誰にもいるわよね。「あいつ今何してる?」って思う人。

テレビ局に探してもらえるわけにはいかない一般人。
同窓会に行かなくてもフェイスブックで知ることもあるし。
その人が著名人になっていてPC検索で見つかることもある。

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アナログ・エミリーに教えてあげた。
彼女が知りたいのは

「小学校の夏休みの自由研究で総理大臣賞だか何だかを取ったA君」
そんなものを取ったばっかりに9月の暑い体育館に全員が集められ、彼の研究発表を聞かされた。拝聴した。

蝉の呼吸やで!そんなものに興味があるっておかしいやろ!
ふつー、そんな事しらべる?蝉やで!

だから・・フツーじゃないから総理大臣賞じゃないの?

一発で出てきた。検索ワードは「蝉」ではなく彼の名前。
しかも、出てくる。出てくる結構なボリウムであります。
更にでっかい顔写真もあり。エミリー絶句した。
6年生から全然変わっていないimpact

某国立大学の先生になっていらっしゃいました。
何の研究をされているか、難しすぎてわかんない。
「蝉」でないことだけは確かです。

clover
おたまもねえ、「どんな大人になったのかなあ」って思う人が何人かいます。
小さい頃から手癖の悪かったSちゃん。
サーカスに売られたと噂されたKちゃん
(ただの転校だったと思うけど)

でも、エミリーの手前、あたしにも賢い友達がいてるねん
と言うところを見せておかねばならない。

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ガンコちゃん。
元旦の元と書いてモトコが本名。
福岡の小学4年生のクラスメートです。

彼女は威風堂々・容貌魁偉(って4年生の女の子に使うか?)
たぶん学年で一番大きかったんじゃないかな。
優れているのはルックスだけではなく。
頭脳が「尋常」ではなかった。

ガンコちゃんはお勉強がよくできて・・というレベルではない。
という事はうちらも子ども心によくわかっていた。
担任が自腹で買った本をガンコちゃんに渡しても、誰一人うらやむでもなく妬むでもなく、
「よくやってくれたよ!センセ」という気持ちだったわねえ。

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学級会では議会の運営っていうのかな民主主義みたいなのを教えたかったのかな、いろんな意見を出し合って多数決で決めましょう。という事を習った。
大きくなって(特に最近)多数決で決める暴挙に驚くわけだけど、当時はとってもいいことだと思っていました。

で、ガンコちゃんがもちろん「議長」です。
スムーズな議事の進行ばかりではない。ガンコちゃん自身は議長だから発言できない。
そんなときです。
必ず。おたまのほうを見る。「分かってるわね」と目に力を込めて。
そこでアチクシの出番です。それが自分の意見なのかどうかはわからないけど、ガンコちゃん導き出したかっただろう結論にもっていく。(精神的なパシリやな)

おたまちゃんがああ言ってくれて良かったheart
ってあとで、よく言われました。

clover

5年生になりガンコちゃんはお父さんの転勤で東京の世田谷というところに引っ越しました。
お手紙を出したけど住所が間違っていたらしく戻ってきました。
そして、おたまは、中学1年生のとき大阪へ越してきます。

ところが、なんということでしょう。
その大阪の住所へガンコちゃんから手紙が来たのです。
ガンコちゃんはまた博多へ帰ってきていました。
どういういきさつで私の引っ越し先がわかったのか・・
手紙には「いつも思い出しています。」と書かれていました(クスン)
そして、「この前の県の統一実力テストは一番でした」
どっぴゃあ・・。
福岡県で一番です。全然驚きませんでした。

clover

その後、手紙のやり取りがあったのか無かったのか、もう覚えていません。
ガンコちゃん。
どんな大人になって、どこでどんな風に活躍しているのかな。
検索で出てこない。「姓」が変わったのかな。

どなたかご存じであれば教えて下さい。


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2016年6月20日 (月)

ワンピースを買いました


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ワンピースを買いましてん。
この際(どの際?)ワンピースぐらい着てやろうと。

Dsc06667ワンピース(デシグァル)

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50肩予防にカーディガンを羽織りませう。

来月フクシマへ行くんです。
明るい服で行きたいと思います。

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高校生だったある日の夕暮れ、どういうわけかN君と淀川の堤防を歩いていました。
バッタリ出会って、駅まで送って貰ったような記憶があります。
彼は白い自転車を押していました。

N君はNHKの文吾捕り物帳で売り出し中の杉良太郎さまにどこか似ているというので人気がありました。
思えばこのころが彼の人生の頂点だったのではないでしょうか。

歩きながら色んなことを話してくれたんだけど
女の人のワンピースが好きなんだって言いました。
(ワンピースを着ている女の人ではない)
ウェストからふわ~っと広がってるワンピース・・・

「オレな。あの中にもぐってみたい!って思うねん」
「あんた!アホやろ・・」

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大人になって、梅新の陸橋の上でバッタリ会いました。

「おまえ。こんなところで何してんねん」
「歩いてるねん」

別のクラスメートが働いているお水のお店に連れて行ってくれました。
(この友達については以前。珍しく「恋物語」を書きました)

2度ほどN君と食事をしました。
割り勘にしよ!というので
「サイテーやな」と言いました。
ま。同級生だから仕方ないか・・・と言うと
「性格変えた方がエエで」と返してきました。

今、これ読んでるねん。と見せてくれたのはスポーツ紙で
「やめてよ あなた・・」という連載小説です。
川上宗薫だったかしら・・・

「おもしろいで~~」
「ほんまに相変わらずサイテーやね」

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一枚のワンピースから懐かしいクラスメートを思い出しました。
夫・ひっちゃんにも「おまえ」なんて呼ばれたことないのに・・
思い出したら腹が立つヤツ人です。懐かしいけど・・・


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2016年6月11日 (土)

弱い立場の女性は本当は強かったのかも知れない。


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NHK・ファミリーヒストリーに樹木希林さんが出演しておられた。
母上がなかなかの商才の持ち主であったらしい。
家を購入し、家族が住む以外の部屋を賃貸しされたそうだ。
1943(昭和18年)生まれの希林さんが少女のころである。

二階を在日米軍人を相手にお商売されている女性たちに。
一階を「結婚相談所」その実態は娼婦あっせん所の事務所に。
という店子の構成であったとのこと。

テレビでは「オンリー」と言っていたがオンリーは特定のお相手が決まっている日本女性のことで、そうでない,不特定多数に春をひさぐ職業婦人は「パンパン」と言われた。(もちろんNHKでさような用語は使っていない)
もし、店子さんがオンリーだったら、休日にはダーリンが訪ねてきていたはずだ。

また売春禁止法が施行されたのは1956(昭和31年)のことなので、それ以前の話なら法的には別に問題がないのだとおもう。(違うかなあ?)

このユニークな住環境での少女時代の希林さんを想像する。

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翻って自分のはなしである。

3歳半から4歳のある時期。それは1か月だったのか3か月だったのか半年だったのかわからないけど、私は母と二人きりで、ちっちゃな部屋に、ひっそりと住んでいた。
「逃げて隠れて住んでいる。」という印象は子ども心にもあった。
二階家の一階の脇にちょこっとくっついているような細長い部屋で「電車の家」と呼んでいた。
母にとっては初めての土地であった。

大家さんは進駐軍に出入りしている大工さんで40歳くらい。
20歳になるかならないかの若い奥さんとの間に私より一つ年下の男の子。たかっちゃん。がいた。
大家一家の二階には(先日ブログに書いたが)戦争未亡人が住んでいて一人を毛糸の先生と呼んでいた。もう一人の若い女性。この人も進駐軍系のお仕事をしておられたのではないだろうか。
この女性の登場する話

表通りは砂ぼこりのするバス道路。裏は路地になっており、対面する裏向かいの二階が、いわゆる「パン助宿」だった。そこの大家さん一家は下に住んでおり、大家族だったような気がする。
二階は、そういうお仕事のひと達だったが、下の一間に製菓工場で働く姉妹が間借りしており、姉の方は口蓋裂であった。この姉妹にはたいへんに可愛がってもらった。
女性に限定して間貸しするというのは大家さん側にとっては安心できるものだったかもしれない。
母はこの時まだ20代。
ちなみに「そういう仕事」をしていたわけではない。
ある日、隣の工場の空き地で母が、これらの女性たちとキャアキャアいいながらゴムとびをしていた姿を覚えている。若かったんだな。

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裏向かいの二階のほっそりしたおばさんの所に巨大なアメリカ人が時々やって来た。
彼女のお相手が白人か黒人かは覚えていないが小さな子どもからすると巨大なガリバーであった。
アメリカ人が来るたび大泣きした。二階に上がる急な階段の後ろ姿に向かって泣き喚いた。
はた迷惑な子どもである。
だから、このほっそりおばさんはオンリーということだ。

ほっそりおばさんには、6・7歳の男の子がいた。日本人の子である。
小学校に上がっていなかったと思う。
ダーリンの滞在中、その男の子はどうしていたんだろう・・
(これは、大人になってから考えたこと)

或る時、ほっそりおばさんに映画に連れて行ってもらった
ディズニーの「ピーターパン」
暗幕に入ったとたんに大泣きをしたおたまを男の子は一生懸命になだめてくれた。
あんまり泣くのでたぶん、映画を見ずに外にでたのだろう。
「連れてくるんじゃなかった」というおばさんの独り言が聞こえた。
その間も男の子はなだめ続けてくれた。

後年、母に聞いたところによると、この母子はアメリカのナンタラ州というところに渡ったそうだ。(その時は詳しくきいたはずなんだけど忘れた)

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落ち着き先を見つけるまでをとりあえずという事だったのだろう、教育上よろしくないという事を母は言っていたが、それはたいした理由ではない。
とにかく、ここに住んだのは多分極めて短い期間だったはずだが
記憶は鮮明である。

隣に大きな洋館があり中のお部屋を見せて貰って驚いたこと
裏の家に空き巣が入ったこと。
表通りのマンホールの蓋がはずれていつも竿の先に赤い布を括りつけて突き刺してあったこと。
大家のおばさんが自分の子とおたまを代わる代わるに「高い高い」してくれたこと。

いつも、コーヒーの香りがしていたこと。
裏の二階からルイアームストロングの歌声が流れていたこと。

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自分の生い立ちについて少し書き溜めていたのを
なかなか出す気になれないで来た。
きっかけがあれば・・・また。
と思っています。


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2016年5月25日 (水)

スグルおじちゃん


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昨日の「澤村美司子に似た」おばちゃんの話だが
色んなことを思い出した。

おばちゃんは22歳。おじちゃんは26歳。
ひとみちゃんという生まれたばかりの赤ん坊が居た。

スグルおじちゃん。と呼んでいた。どんな字を書くのだろう。
子どもの目から見ても、おばちゃんは美人でおじちゃんは男前だった。
茶箪笥の上のミキサーが何かモダンで「新婚さん」という雰囲気だった。
兄妹のいないおたまは、ひとみちゃんが可愛くてたまらなかった。

夏休みの前に貰って帰って来た通知表を見せた。
(あ。そのころは通信簿と言っていたかもしれない)

おじちゃんはニコニコして、どこからか自分の小学生のころの通信簿を出してきた。
全科目が「優」だった。
優・良・可という評価の時代だったんだな。
よくわからないけどスゴイなあと思った。

そのうちこの家族はどこかへ越していく。
お別れの場面は全く覚えていない。

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再会したのはおたま・6年生の終わりごろ。
おばちゃんが急に訪ねてきたのだ。
ひとみちゃんは3歳になっていた。
弟が生まれていた。3か月くらいの赤ん坊だった。
「あのカーテンが掛かっていたからおたま一家は引っ越していないんだと思った」と言った。

おばちゃんの実家のある熊本に住んでいたのだった。
お互いの実家が同業者でその仕事の関係だったのだろう。
そんな生活の中で、

おじちゃんが女性と出奔する。
あのおじちゃんならモテるだろう・・・。と6年生だったけどそう思った。
大阪で女性と暮らしていたが、ある朝、差し向かいでご飯を食べていたらお箸がポキンと折れたそうだ。
そのとき「これはいかん」と思ったおじちゃんは汽車に飛び乗り熊本に帰ってきた。

義父に激怒されやむなく、自分の実家の両親や後継のお兄さんに頭を下げてこちらに戻ってきたというのがことの顛末のようだった。

それにしても耳ダンボなチビたま時代のアタチ。

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中学に入学して学校のすぐそばがおじちゃんたちの実家だったのでよく寄り道をした。工場の隣に小さなお家を貰って住んでいた。

冷たい麦茶を出してもらい、おしゃべりしたりひとみちゃんと遊んだりした。
「もうすぐ大阪に行く」といったらおばちゃんは「寂しくなる」と言った。

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わ~~~色んなことを思い出したわ。
おばちゃん。素敵な女性だった。
大人になった今ならわかるけどとても雰囲気のある人だったと思う。
美人はどこか寂しげで声のトーンが低い。という自分の定義はこの人から来ているのかもしれない。

スグルおじちゃんには一家が博多にもどってから一度も会わなかったと思う。


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2016年5月24日 (火)

澤村美司子


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もう一度聴いてみたい曲。思い出せない曲名。懐かしい歌手。
鼻の奥がツーンとするような曲がある。

そしてそれらはPCやブログのお蔭で思いもよらぬ再会を果たしてきた。

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夢醒めて仰ぐその朝の光・・
おぼろげな黒いオルフェの歌詞を「通りすがりのオルフェ」さんに教えてもらった。

松尾和子のまぼろしの名曲「メランコリー」
YouTubeにあったよとURLを貼りつけてもらったことがある。

荒木一郎のほらほらあの歌の曲名は・・とやり取りしていたら「ファンです」と名乗る(きっとハンサムな)方が「海」ですよと教えてくださった。
記事ではなくコメントのやり取りだったのに其のご親切に感激した。

マイナーなので知られていないと思っていた映画音楽
「誘惑のテーマ」
を紹介した時には、嬉しい驚きのコメントが入った。その方も長い間ずーっと好きでいた曲だったとのこと。

最近ではもう一度聞いてみたいと思っていたカンツォーネ
「アモーレミオ」
のオリジナル曲を教えてもらい、なつかしさに浸った。

clover
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音楽は突然に追憶の扉を開ける。
そして、今回は「澤村美司子」さん。

子どもの頃。たぶん8歳か9歳の頃、澤村美司子さんのファンだった。
出始めのテレビに出演されていたのだろう。

おたまを可愛がってくれたお隣のおばちゃんがファンであったことも大きい。
おばちゃんと言っても当時20代前半。若きママだった。
おばちゃんは澤村美司子さんにどこか似ていた。

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きっかけは、ボーカルのレッスン曲である「アクエリアス」だ。

ウィッキペディアを読んでいたら川添象太郎氏に行きついた。
世界初のロックミュージカル「ヘアー」を日本に持ち込み1969年の舞台にあげたのは音楽プロデューサーである川添氏であった。

おたまの記憶が正しければ、そしてそれはどこを探しても載ってはいなかったけれど
澤村美司子さんは川添氏と結婚されたことがあると思う。

川添氏は数回の結婚・離婚をなさっている。
其の中のお一人が風吹ジュンさん。
お二人。な~んとなく似ている。
男性が好むタイプというのは不変なのかもしれない。

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ネットサーフィンをしていて、12歳・天才少女と言われた頃の動画を見ることが出来た。
上手い。うますぎる歌唱力。
江利チエミが国内でメジャーなジャズ歌手になったのに、同世代でより大きく海外で羽ばたいていた澤村美司子が後手に回ったのは納得できない。

残念なことに2008年に亡くなっておられた。
鼻の下の少し目立つほくろも懐かしい。


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2016年4月21日 (木)

あはれ花びらながれ


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峡にあるotamaが在所のそのまた山深くに咲いていた桜が
とうとう、散っただよ。

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桜はもう「満腹だ」といいながらも、「散る桜」はいいものだ。
と思ふ。今まさに落花盛んなるアタクシ。イェイscissors
(最近、謙虚。)

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高校に入学してすぐに美しい詩に出会った。

      甃(いし)のうへ

                        三好達治

   あはれ花びらながれ
   をみなごに花びらながれ
   をみなごしめやかに語らひあゆみ
   うららかの跫音(あしおと)空にながれ
   をりふしに瞳をあげて
   翳(かげ)りなきみ寺の春をすぎゆくなり
   み寺の甍(いらか)みどりにうるほひ
   廂廂(ひさしひさし)に
   風鐸のすがたしづかなれば
   ひとりなる
   わが身の影をあゆまする甃のうへ

                  「測量船」1930年

これは、教科書に載っていたと思うが
先生が別に伊東静雄の詩も(あの当時はたぶん)ガリ版で刷って渡してくれた。
その時の震えるような感動はいまでも思い出せる。
流麗で深く。静かで美しい詩だった。

勉強が好きなわけではなかったが、「高校生なったらこういうことを習うんや・・」ととても嬉しかった。

伊東静雄は大阪府立住吉高校で教鞭をとっておられたそうで、現国の先生はそう言った意味でも思い入れがあったのかもしれない。

学校はどこでもそうかもしれないが、我々の通ったところは特に桜が美しいことで有名だった。満開の桜の下でクラス写真を撮ってもらった。

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三好達治の死後、萩原朔太郎の娘・萩原葉子によって書かれた「天上の花」(これは芥川賞の候補になった)を始業前の図書館に通い詰めて読んだのも懐かしい記憶だ。

男女の機微などわかるはずもない高校生にとっては、「思い込みと執着心の激しい。ああ詩人って面倒くさい人種ね」くらいの感想しか持たなかった。

天上の花・・・達治の詩の中にある「こぶし」
この「こぶし」にあこがれ、31年前に今の家を建てたとき真っ先に庭に植えた。

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私にとって散る桜は達治の詩と結びつき、なんだか嬉しくて明るくて美しくて・・そうそれを「希望に満ちた」って言うんだろうな・・15歳の自分と結びつく。

達治忌は4月5日。まさに爛漫の桜のころだ。

そうそう、我が家のこぶし。30年のうち見事に天上に花を咲かせてくれたのは2年ほどで、あとはさっぱり花をつけず・・そした枯れた。
昨年の秋、ついに切り倒してもらった。


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2015年11月12日 (木)

50歳


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「50歳」・・・おたまの事ではない。

最近、50歳の女性とお話をすることがあり、自分の50歳はどうであったかは置いといて、
「50歳ってこんな感じなんや・・」と感じ入った次第であります。

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ほぼ一人っ子として育ったので、母はどこへ行くのにも子どもを連れて行きました。
一人で留守番をさせて置けなかったのでしょう。

その代り、約束させられていたことがありました。
「大人の話には入ってこない」という事でございます。

人の100倍くらいマセていたので話の内容はよく理解できます。
しかも、興味深い話ともなると、お菓子を食べたり本を読んでいるフリをしながら、黙って全神経を耳に集中していたものです。

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ある人の引っ越し先に、母ともう一人のおばさんがお祝いを持っていくのにくっついて行きました。市電に乗って、住所を書いたメモ書きを見ながらずいぶん探し回りようやく家が判りました。
一息ついて落ち着くと女性三人のおしゃべりがはじまりました。

「私、来月で50歳よ!もうおばあさん。自分が50歳になるなんて考えもしなかった」

これは、その引越し先の方のセリフ。
当時、おたまは7歳くらいだったので母は30代前半。もう一人のおばさんも母と似たような年齢だからこの方は少し年の離れたお友達だったのでしょう。

50歳のおばさんは和服を着て上品な、とてもきれいな人でした。
丹阿弥谷津子さんに似ていた。そんなことまで覚えています。

話は佳境に入り、50歳マダムのご主人様が浮気をしていらっしゃり(敬語を使う事もないか)お相手が「娘と同い年なのよ!」ということでありました。

こらいかん。子どもに聞かせる話じゃない。
それくらいの事、マセた子どもにはすぐわかりまする。
眠たくなったフリをする・・・・。
「お座布団の上に横にならさせておもらい・・」ということで
大人たちは安心しておしゃべりを続けるのです。

薄目を開けると母はもらい泣きなんかをしています。
大人って・・めんどくせー。

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50歳。50歳。50歳ってそんなにおばあさんなんだ・・
だから、だんなさんは浮気をしたのか・・
そして男の人というのは若い女性が好きなんだ・・・

という事を学習する。

clover

母は何かにつけて、我が子がしっかりした子で、子どもながらに「口が堅い」のを自慢にしていました。
「人に言ったら駄目よ」と言われたことは絶対に言いませんでした。

って、こんな話。7歳の同級生に言えますかいな!

Dsc05342

という事で

何十年も経ってこんなところに書いてます。


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