ちびたま時代

2022年4月22日 (金)

ロバのパン屋さん



春の旅・の続きですが

お山のてっぺんにある岐阜城はロープウェイで上ります。
ふもとの駅に「ロバのパン屋」さんが来ていました。

ロバはいませんでした。
なつかしの「♪ろばのおじさんチンカラリン」と曲がながれています。
ああ。ロバは「おじさん」やったんや・・・
この曲が流れると大慌てでバス通りまで走っていったものです。
私だけじゃないよ。
そこらへん。ご近所一円の子どもたちが飛び出してきました。
あのころ、子どもってウジャウジャ居たのね。
男の子は半ズボンで、女の子はたいていワカメちゃんカット。
今どき、そんな子いない。

パンを買ってもらった覚えはないんです。
でも蒸しパンだった記憶があるので、一度は買ってもらったのかな。


あ~涙がチョチョ切れる
看板を眺めていると、店のおじさん(人間)が「なつかしいでしょ」とおっしゃる。
「大体、昭和30年代に子どもだった方はなつかしい~っておっしゃいますね」

やだ!あたしのお年頃が見破られている。
「私、福岡に住んでいたんです」
「当時、福岡は(ロバのパンの)メッカでしたよ」

其ころ、400以上あったロバのパン屋。
現在は全国で4軒だけだそうです。

そうなんだ・・・
「♪ロバのおじさんチンカラリン チンカラリンとやってくる」

Img_7937

私以外にも懐かしそうにパン屋さんとおしゃべりしていくお客様がたくさん。
ノスタルジーの共有やね

平凡氏が「看板の所で写真撮ったげよ!」と言ってくれたけど
遠慮しました。
だって、そこにいるのはもう、ワカメちゃんカットの私じゃないし・・

みなさん。おじさん(人間のほう)と記念撮影されてたけどね

パンは蒸しパンで、いろんなお味があります
一人に一個。計5個お買い上げ。美味しかった(ルン)

 

 


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2021年10月 3日 (日)

誘惑のテーマ

突然ですが。
「うまこさん」ここ、見て下さっていますでしょうか
一度削除されてガッカリしていましたが
「誘惑のテーマ」がYouTubeにアップされていましたよ!
待ちに待っていました。

 

是非、一緒に聴いて下さいね。

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2021年9月 4日 (土)

コッペパン



コッペパン
Img_7432

切り込みがあります。開いてみましょう
Img_7433
中味は「木苺&ミルク」

コッペパン。懐かしい響き。
木苺といっても「木苺風味のゼリー」だけどね
ミルクといっても「ミルククリーム」だけどね

小学校の給食は決まって「コッペパン」だった。
もちろん、切れ込みも無ければジャムもクリームもついていない。
それと米軍払い下げの脱脂粉乳ね。

あたし、牛乳が飲めなくてね。
田中先生が残してはいけません。っていうの。
皆が帰っても一人、机の前で赤いコップとにらめっこして座ってた。

教卓で仕事をしていた先生がやってきて、あたしの頭をなでながら
「2年生になったらミルクの飲める子になろうね」とおっしゃった。
\(^_^)/やった~。帰れる・・
先生も困っただろうけど、あたしはもっと困ってたわ。
ミルクは飲めても脱脂粉乳はダメ。
大人がアレ(脱脂粉乳)はアメリカじゃ、ブタの餌だなんて吹き込んだからかもしれない。

給食の懐かしい話

 

中学校に入るとやっと脱脂粉乳から解放された。お弁当になったから。
で、コッペパンともさようなら。

私は中学校一年の一学期まで博多で暮したのだけれど
その1学期間というのは鮮明に覚えています。

英語の授業が脱線して「コッペパン」の話になった。
どうして「コッペ」って言うんだろうと先生は気になったんだって。
「コッペ」はフランス語の「クッペ」が語源で「切る。切れ込みを入れる」という意味だと教えてもらった。
もう一つ、「カレールー」の「ルー」も気になって調べたんですって。
「ルー」もフランス語で「茶褐色」のという意味なんですよ。って。

今でこそ。何でもかんでも検索すればすぐに答えが解るけれど
アタシが中学一年生。12歳のみぎりです。
今から何年前???計算が出来ないくらいの遥か昔。

 

「なぜ」や「知らないこと」を自分で調べて突き止めた喜びは、今の時代にはないですね。
何でもかんでもググって一発で答えを知る。
あの時の男の先生(名前は忘れた)の嬉しそうに話してくれた様子を思い出しています。

 

コッペパンを食べながら。


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2021年5月25日 (火)

奥様!タブレット純さんを知っていますか



出入りの(?)葬儀屋さんから月に一度「葬儀社ニュース」のようなものが送られてきます。
大体どんなことが書いてあるかというと
全国の火葬場の焼き具合とか?  コラッ!

そんなことではありません。
私が楽しみにしているのは連載されている小さなコラムです
「タブレット純」という方が書いておられます。
名前は古典的な手品師やけど
見た目は汗を流さないロックンローラー風です。
「アルフィー」の高見沢さんかと思って「大丈夫ですか?」と声を掛けたらタブレット純さんやった
みたいなハナシは・・・あると思います

 

wikkipedhiaによると1974年のお生まれだから、
お若いんです。あたしからみたら・・

東京オリンピックも・大阪万博もご存じない・・・はず
なのに。物凄い博識!
ジャンルは「昭和歌謡史」です

 

先日NHKのにちようカルチャーラジオで初めてお声と歌声(ものまねを含む)を聞きました。
お上手です。

ほんまに、よう知ってはる。
お好きなんやろね。
この方、昭和歌謡史に関しては学者レベルやと思います。

 

 
「う~すむらさ~きの藤棚の~ 
     下で歌ぁったアベマリア~」

クラスメートのみっちゃんが何時も歌っていました。
安達明 キラキラ輝く青春スターの中では地味~~だったけれど
「推し」とか「担」という言葉があの時代にあれば、結構な数だったと思います。

私は「安達明」といえばすぐに思い出すのは「みっちゃん」です。
あねごというか、親分気質で正義感の塊のような女の子でした。
なぜが担任(男)にあからさまな反抗をしてましたね。

大人になった「みっちゃん」は
毛嫌いしていた昔の担任が「校長」になっている中学校に「教師」として赴任するの。
あたし達の母校です。
何くれとなく、目にかけてもらっていたようです。恩師というものは有難い。
同じクラスメートで18歳でママになったAちゃんの娘のクラス担任になった「みっちゃん」は、
「どないしょう。Aちゃんの娘にあからさまなえこひいきをしてまうわ!」と言っていました。
同級生というものは有難い。

その後「みっちゃん」はちょっとした波乱の道を歩むんだけど、以下省略。
 
「きみ~はかわいい女学生~~」

タブレット純さんのラジオで、なつかしい「みっちゃん」を思い出しました。

 

安達明さんは本当はジャニーズのメンバーになるはずだったそうです。
ジャニーズ・・奥様ならご存じよね。
ぼく、良!オチャミ!輝彦!ヒロミ! の仲良し四人です

この初代ジャニーズの5人目のメンバーとしてデビューするはずだったそうです。
青春ソング「女学生」のヒットが無ければ日本アイドル史も又違っていたかもしれませんね

そゆこと。ググっても出てこないんだぞ。
恐るべし。タブレット純さん。

 

ちなみに、安達明さんは10年前にお亡くなりになっているそうです。


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2021年5月12日 (水)

パセリ再び



13歳まで福岡市に住んでいました。
「博多」と言われる地域です。
今では「博多区」と地名になっていますが当時は地図のどこを探しても「博多」という地名は載っていませんでした。
駅名だけは「博多駅」築港は「博多湾」だけど。
そんな事は、どうだっていいのですが。

 

家の隣に広いパセリ畑がありました。
自分が小さかったからそう感じたのか、広い広い畑でした。
わが家との境界線には有刺鉄線が張られていました。

夕方、母親が「ちょっとパセリ貰って来て!」といいます。
コタマ(小学生の私)は花壇の横から有刺鉄線に触らぬようそーっと腕を伸ばしてポキポキとパセリを折ります。
窃盗罪です。
「生活に困った親が幼い子にスーパーで万引きをさせる」そんな映画がありましたね。
まあ。それはそれとして
わが家はパセリに困らない暮らしをしておりました。

 

外国の人が「日本人はパセリを食べないのか?」と不思議がられるそうです。
昨日見つけた俳句でも、
「秋祭りが終わって辺りを見渡したらいくつもの大皿がパセリだけを残している」というのがありました。
日本人にとって、パセリってそんな扱いなのか!

中学校(これは大阪です)の修学旅行で東京タワーに登った時だったか
私の前に座っていた林さんがお昼ご飯をきれいに召し上がったのです。
もちろんパセリもです。
隣に座っていたグッたんがあとで私に言いました。
「林さんって、きちんとお行儀をしつけられてはるんやね」
グッたんも「林。パセリを食す」の景にハッとさせられたのでしょう。

こたま(このころは中たまかな)はそれからパセリを食するようになりました。
な~んや。食べてもエエんや・・・てなもんです。

元々、香りの物はすきなんです。
セリ・三つ葉・紫蘇・木の芽・生姜・ミョウガ・・・

 

Googleearthっていうんですか?
画像で地図が見れるやつ。ずっと前ですが、平凡氏が私の子ども時代に住んでいた辺りをみせてくれました。
パセリ畑の在った辺りは大きなマンションが建っていました

パセリ畑に来ていたアゲハチョウ。何処に行ったのでしょう。

昔の面影今何処です。

 


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2021年3月24日 (水)

廃墟の女王・旧摩耶観光ホテル



神戸市の「旧摩耶観光ホテル」が国の登録有形文化財になる
という新聞記事を見た。

以前から「廃墟の女王」と呼ばれマニアには垂涎の場所で、テレビで取り上げられていたこともあった(その時は心霊スポットとして)

新聞によると女王のプロフィールは次の通り
1961年開業。6年後に豪雨災害で休業。
その後合宿施設などに使われた時期もあったが93年頃閉鎖

実は、私はここに宿泊したことがある。
今から、何と半世紀近く前である。
「その後合宿施設などに・・」の時期だ。
先輩(女性)に連れられてきたのだが、一緒にゐたのがどういう人達なのか、何の活動をしていたのか全く知らない。
ただ、10人くらいの若者の中で先輩が唯一の女性だったので好奇心の強い口の堅い(?)私が誘われたような気がする。
決して非合法なグループではないと思うのだが
先輩は詳しく教えてくれなかったし、私も聞かなかった。

摩耶山の中腹にあるその建物は、当時も寂れてはいたが使用に耐えていたわけで、
その外観の面白さや内部の装飾の豪華さ見事さに圧倒された。
「大正時代の大金持ちの別荘」だと聞いた。
建物全体が客船のような造りで、船窓には碇(イカリ)の意匠。部屋もそれぞれ〇等〇号室と表示されていたように思う。

たった二人の女子には最上の部屋が用意されていた。
記憶にあるのは部屋の中心にあるベッドのすばらしさ。こんな美しいベッドに寝るのは勿論、見るのも初めてだった。
管理人さんが「明日はこのベッドでシーツ一枚だけを使って女性ヌードの撮影会がある」と言っていた。
そして、窓から見える夜景は息をのむ美しさだった。
「よく、六甲の夜景は100万ドルっていうでしょ?摩耶の夜景は一千万ドルだよ」

食事を出してもらったと思うのだがよく覚えていない。
ただ、食事の後にレコードで古い曲を聴いた。
広いダンスホールで。だったかもしれない。
翌朝はさらにケーブルカーで山頂へ行った。
光りの下で見る、グループの人達はとても素敵だった。

4・5年前、数十年振りに先輩に再会した時、この摩耶観光ホテルの話題がでた。
「廃墟マニアの人気スポットになってるらしいよ」

「そうそう。おたまちゃんと一夜をともにしたなあ・・」
先輩は遠い目をしたが、それ以上の話はしなかった。

・・・・・・

青春の日々ははるか、とおくとおく。
先輩も色んなものを乗り越えて(たぶん)今日にいたる。
そして、私も(たぶん)

 


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2021年2月24日 (水)

「おなべふ」と「アキストゼネコ」



綺麗な青空。風は冷たいけれど気持ちの良いお天気です
しか~し
今夜からまた寒くなるそうです。
今年最後の寒波になる模様。

これだけ、細切れに寒暖が交互にやって来たのは観測史上130年ぶり
2月の平均気温は(一番って言うたかな?)高かった。と気象予報士のお兄さんが言っておられました。

間違いなく温暖化が進んでいますね。


ああ。私に何かできることはないかしら・・と
小さな胸を痛めています。

ほんまですっ!

これが ⇓ ⇓ 嘘をつく顔に見えますか???

Img_7084
                 (by  ヨカ画伯)

赤銅色のお顔。血色のいい唇。
メッセージはお兄ちゃんに書いてもらいました。

Img_7092 

お部屋に飾っておきましょう。

次に、ヨカちゃんに会ったら「おなべふ」をしてあげましょう。
きっと、「りこうさん」のはずです。

相手の手首から順に「お・な・べ・ふ」と一つずつ抑えながら肘まで上がってストップです。
止まったところが はい!あ・な・た
「おりこう」 「泣き虫」 「勉強家」 「不良」
子どもの頃の手遊びなのですが、YouTubeにたくさんあがっていて驚きました。
所によって少しずつ変わっているのが面白いです。

・・・・・

「おなべふ」を思い出したのは
先日、とんでもなく懐かしい言葉を聞いたからです。
「アキストゼネコ」
こちらは、wikkipedhia に詳しく載っています
発祥がなかなか興味深い

昭和の小中学生に流行した とありました。

うちら。どんどん歴史の生き証人になっていく。

 


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2020年10月12日 (月)

懐かしいもの・じゅず玉



爽やかな朝の空気。
一年中、こんな季節だったらいいのに・・・
でも、一年中自分にとって心地よい環境なら私は何も学べない

何がいいたいか?
任官拒否

話。次いきます。

じゅず玉

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  「数珠玉や雨に迂回の通学路」
  (ジュズダマヤアメニウカイノツウガクロ)

 

Img_3949

 

 「数珠玉へ石段ふたつみつ下りる」
  (ジュズダマヘイシダンフタツミツオリル)

 

長く生きていると、自分の中に「遥かなもの」が増えていく。
「遥かなもの」って「懐かしいもの」と言ってもいいかな。

数珠玉もそのうちのひとつ
つやつや光る灰色の小さな実を採ってきて、糸を通して腕輪にして遊んだ。
ブレスレットなんて言葉知らなかった。
針と糸を持った初めての経験だったかもしれない。
お手玉を作ったのはたぶんもう少し先。

歳時記によると
イネ科の多年草。水辺や湿地に自生する。高さ1~1.5m
・・略・・晩秋、実を結ぶと小果の色は緑から黒、灰白色となり堅く光沢を帯びるようになる
とあり、晩秋の季語になっている。

子どもの頃、さしてきれいでもない川が町なかを流れていた。
我が国の下水道事業が本格化したのが1963年頃からだそうなので
そのあたりまでは、川の傍の数珠玉を採って遊ぶことが出来たのだろう。

今や川には蓋がされ道路になり、汚水は地下に潜った。

 

 

 「数珠玉やどぶ川といふ遠きもの」
  (ジュズダマヤドブガワトイウトオキモノ)

 

 


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2020年7月24日 (金)

東京オリンピック



カシャカシャとプラスチックごみをまとめて表に出ると
今日は収集日ではなかった。

誰も出してはらへん。
あたしだけか?
今日が祭日って知らなかったのは・・

「東京オリンピック開会式」やったんや・・ほんまなら。

 

この日のために 鍛えた技と
この日のために ふんふんふんふん(忘れた)

運動会で歌ったのに・・

そら、忘れるわね1964年。今から56年も前のことやもの
(今 ひっ算しました。ずいぶん錆びていますあたくしの脳)

しかし、56年も前から生きているなんてすごいぞ自分
化石っぽいね。愛の化石 なんちゃって。

そうそう。お昼休みには運動場にぞろぞろ出てきて大きな輪になって踊りの練習をしました。
「東京五輪音頭」(こんな題だっけ?)
歌うは国民的大歌手・三波春夫大先生です。
校長先生もでてきはった。
運動会の本番で踊らなきゃいけないのでね。

    

みんな楽しそうやったなあ。
オリンピックを楽しみにしていました。
授業そっちのけで「体育の時間」と称して講堂でテレビ
「ニチボー貝塚」をみた。
あれは、先生が見たかったんやろな。

自分達の運動会でもオリンピックの真似をして、「入場行進」なんかもやった。
朝礼台の前で「校旗」をピャッと掲げたりして・・

なんで自衛隊がやるんや。という先生もいてはった。
強かったぞ日教組。

    

戦争のない平和な国になったこと。
世界の人と仲良くしなきゃいけないこと。
スポーツマンシップについて。
先生がいっぱい、話をしてくれた。
そう言えば、アマチュア精神というのも教わったけど
今じゃ、オリンピック選手もいろんなコマーシャルにでてはるね。
スポンサーに応援してもらわなきゃ成り立たないスポーツの世界になってるのね。

オリンピックがおわったら、みんな講堂にいすを並べて映画の鑑賞会
もちろん 市川崑監督「東京オリンピック」

すてきだったな。1964年

    

それが どーよ 奥様!
56年たったら、プラスチックごみ持ってウロウロ
「今日は、何の日だっけ???」 ですわよ。

私が変わったのか、オリンピックが変わったのか・・
コロナがなくても全く盛り上がっていなかったのはなんで?

 

 

 「六甲の水ペットボトルに汲んで夏」
   (ロッコウノミズペットボトルニクンデナツ)季語/夏・三夏

 

清涼飲料用にPETボトルの使用が認められたのは1982年の事だそうです。
東京オリンピックから16年後のことです
(ひっ算しました。合ってる?)


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2019年6月 6日 (木)

誰かヨウコさんを知りませんか?



今朝の朝刊「武士のサムライ」の文化文芸欄に
「人生の贈り物」という10回のシリーズものがあります。
今、バレリーナの森下洋子さん。

あたしが牧美也子や渡辺まさこの少女バレー漫画によだれを垂らしていた頃の、あこがれの天才少女です。
必ず、お金持ちの意地悪娘と貧乏な可愛い子が登場するのよね。
金持ち娘は札びらにものをいわせ、主役の座・オデット姫を勝ち取ろうとする。
しかし、しょせんそいつ金持ち娘は「黒鳥」の役がまわってくる。

え?違ったっけ?そんな話ばかりだったよね。

以下は2010・3・7に書いた、前ブログのコピーです。
タイトルは「少女雑誌2」

Mrg196305193

左は大原永子(のりこ)さん。そして右はバレー界の
至宝、森下洋子さんです。
なぜ、菜の花畑に海なのか意味が解りませんが、この本持っていました。(カラー劇場というのが時代を感じさせます)
おたまの計算によると、森下洋子さん15歳くらいです。

この、週刊マーガレットに「三人の天才ようこ」という特集がありました
もうおひとりは

Photo 佐藤陽子

天才少女バイオリニストとして,当時ソ連へ留学中。
大人になってからは、池田満寿夫氏のパートナーとしてTVにもよく出ていらっしゃいました。

・・・

そして、残るもうひとり・・・
もちろん名前は「ようこさん」です。小説を書く少女だったと記憶しています。
とても賢そうな女の子でした。この方、今どうなさっているのでしょう。

ご存知の方は。「あの人は今」おたま係りまでご連絡お待ちしています

以上コピーでした

(話が横に逸れるけど、他人のブログ記事を完全コピーして、自分のブログにあげているケースがあります。
私の場合、自分で気付いたのが1件。人に教えて貰ったのが2件ありました)

それでもって、本日の本題です。(忘れるところやった 

この3番目の「ようこさん」のことをどなたか、ご存じではないでしょうか。

怖ろしく昔の事なのにそのようこさんが強く印象に残っています。
写真のお顔も覚えているし、こけしを抱いたポーズや美智子さまから褒められたエピソードなども覚えています。
どんな女性になっておられるだろうな・・ってよく考えていました。
あたしより、ちょっとお姉さんのはずです。

マーガレットの創刊号から50号くらいまでバックナンバー揃えていました。
その中の一冊に載っていたと思います。

以上、あの人に逢いたいシリーズ(シリーズかい!)でした。
ご協力よろしくお願いします。

  

ヒマか?

うん・・・・。

     


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