金田正一「やったるで」
自分が自分で気付かないうちに「年をとっていた」ことに愕然とすることがあります。
たとえば、
野球選手やお相撲さんが自分より若いと知ったとき。
(結構、前なんですが)
子どもの頃。友だちの友だちのおとうさんが「おおした」でした。
青バットの大下です。
稲尾・中西・豊田がいた、西鉄ライオンズが最強だったころの4番バッターです。
優勝の市内パレードを見に行きました。
何歳だったか?それは秘密です。
ま。とにかくプロ野球選手は「おとうさん」の世代だったのです。
私がせっせと、旅日記ブログをUPしているとき
金田正一さんの訃報が入りました。
福岡の子どもにとって野球と言えばパリーグでしたが、「川上哲治物語」の映画も見たし
背番号34.国鉄の金田は偉大な投手でした。
ワイシャツの段ボール箱いっぱいにパッチン(ベッタン・めんこ)を持っていました。
金田は段ボール箱をしょっちゅう出入りしていました。取られても悔しくないくくりにはいっていたのです。
まだ、十代の頃と思いますが「やったるで」を読みました。
今Amazonを覗いたら15,000円(中古)していました。
町内の廃品回収の手伝いをして一番上に載っていたのを貰って来た記憶があります。
内容はビックリ仰天の連続でした。
彼の辞書には「正々堂々」とか「スポーツマンシップ」という言葉は無かったようです。
記録を作るために無茶してはりました。
チームプレイとしてそれはあかんやろと、思う事
それが、まかり通るのは、そして堂々と(後日談とはいえ)活字にするのは、それがどれくらい凄い記録であったかという事なのでしょうか。
職業としての野球のみならず、趣味のゴルフでも
「ずる」をしたと、堂々と白状しています。それはお父さんを喜ばせるためだったと。
わやくちゃでしょ
榎本美佐江さんを大好きになって彼女の日本髪のかつらが入ったケースをぶら下げてどこにでもついて行ったそうです。
長身の男が地方巡業の楽屋口をウロウロする姿がなんとも可笑しいです。
神経の図太い人のようでありながら彼は不眠症に悩まされます。
一般の人でも辛いことだと思いますがスポーツ選手にとっては大変な事です。
しかし美佐江さんの「眠られないのなら起きてたら?」の一言で彼は救われたと言います。
美佐江さんの言葉は絶対だったのです。
そんな大好きな奥さんでしたが彼はよそに女性を作ります。
彼の弁では女性を作ったのではなく「子」を作ったそうですが。
子どもが欲しかった。
それは男の詭弁だわ。と10代の私は思ったとおもいます。
オウカネダヒロオカ
子どもたちはこんな語呂合わせの言葉ではやし立てました。
お金にシビアであった。
それが悪い?今の私ならそう思います。
かなり昔の本で大方は忘れていますが。
金田正一さん。こんな人かなんわ~と言いながら、かいらし人だったのかなと思います。
自分を突き進んだ。よくも悪くも。
ご冥福をお祈りします。
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