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2021年12月26日 (日)

たずねびとの時間



今年最後の句会を「納め句会」といいます。
それが、昨日でした。

Img_7636

昨日の句会の兼題は「炭」
暖をとるための「炭」として冬の季語になっています。

今の暮しの中では「炭」はお茶事やバーベキュー用としてしかお目にかかる機会がありません。

「炭の香や」を上五に置き、
かつてはラジオで「たずねびと」の時間があった。
というお友達の句が出ました。
(了解をとっていないので句を載せるのは控えます)

 

17文字の中から情景が浮かび上がるというのが俳句の面白さです。
暖をとるのは火鉢くらいしか無かったころ
茶の間の炭火鉢を皆で囲みました。
そして、たいていどのお家にも整理ダンスの上には四角いラジオがありました。


ラジオを聴いているのは一人でしょうか。
家族で火鉢を囲んでいるのでしょうか。
皆が炭を見つめてゐます。誰かが灰を均しているのかもしれません。
時々、炭が爆ぜます。パチパチと言う音。
炭が爆ぜるたびに炭の香りがするのです。

 

こちらの句会の最年少はなんと、この「わたくし」です。
炭火鉢、練炭火鉢は覚えていますが、「たずねびと」の時間は記憶にありません。
4歳上のトシちゃんは覚えているそうです。
夕方ラジオから流れてくる「たずねびとの時間」
戦争で帰らない、息子を夫を兄弟を、その所在、命のありかを
「どなたかご存じではないですか」と延々と名前のみが放送されたそうです。

俳句の作者K子さんは小学校に入るか入らないかの年齢だったそうですが
夕方にこの放送が流れるとわけもなく、寂しかったと言っています。

 

俳句で世相を詠むことは、あえてするわけではありませんが
人は間違いなく時代の空気の中で生きています。
K子さんの句に心打たれた我々は「たずねびとの時間」を知っている最後の世代かもしれません。
そしてその内「炭」という季語も無くなるのかもしれません。


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俳句・吟行」カテゴリの記事

コメント

おたまさん、今日はとても寒いです、公園を歩きに行けばいつものお年寄りたちが一人もいませんでした。実家には棚の上に木のラジオ、木のボンボン時計、その下に茶箪笥があり冬には堀炬燵そこに炭を入れてました、たまに足を灰の中に入れてしまい母親に怒られていました。
おたまさんのメリハリのあるこのブログシャキッとします。新聞で尋ね人とゆうのは聞いたことありましたがラジオでは知りません。「一丁目一番地」は聞いていました、歌えます。
おたまさんは深い人ですね。
私は田舎者で阿保ですが何故か頭のいい賢い人が仲良く遊んでくれるのです。
一人は東京芸大の受験チェックシート順番がずれていて一浪。一人は徳島一番の大学を一番で卒業したのに単車の免許を落ちました。そんな仲間たちに囲まれています。。七輪で焼くさんまは美味しいです。
若かりし頃のおたまさんの写真ミッケ、めっちゃ綺麗です拡大しなくてもわかります。

投稿: るる | 2021年12月26日 (日) 16時22分

おたまさん、こんばんは。

今年最後の「納め句会」を楽しまれたのですね。
炭となると南国の沖縄ではバーベキューに使う時ぐらいでしょうか・・・しかしながら私の子供の頃に父が居間のど真ん中に陶器で出来た火鉢を置いていました。沖縄でも昔は今より気温が低くてオマケに家も風どおし(😅)がいいので隙間から寒気が入り込んでいました。

私達にとって戦争は昔のように思いますが、少し前までは戦争を行っていたのですよね。 戦争を知らない世代でよかったと思いますし、これからの子供たちにも戦争のない時代を生きて欲しいと願っています。

違う方向になりましたが、炭は暖をとるものではなくてバーベキューと結びつく夏の季語になるのかも知れませんね。

投稿: omoromachi | 2021年12月26日 (日) 22時31分

以前も書いたと思うのですが尋ね人の時間、確か午後3時45分か50分の10分か15分位だったと思います。北国の冬のこの時間、どんよりとした中で聞こえてくる家族やお世話になった方を探すメモを読み上げるアナウンサーの声が幼心にも物悲しさがありました。又元は白かっただろうと思われる病衣を纏った傷痍軍人が街角に立ち物乞いをしてる姿なども見かけました。あう言うことは2度と繰り返えさないよう、しっかりと見て行かねばと思いますね。

投稿: パコ | 2021年12月27日 (月) 01時17分

★るるさんへ
(シート訂正しておきました^^)
色々な思い出を共有してくれる友人はやはりありがたい存在だと思います。
るるさんもよいお付き合いを続けてくださいね。
一丁目一番地。あれも夕方の放送でしたね。
この先、AM放送がFMに一本化される時代がくるそうです。茶の間でラジオを囲むというのが歴史上の物語になりそうです。
わたし顔出ししてました??
血迷っていたのでしょうね。
忘れちった(;^ω^)汗


★omoromachiさんへ
沖縄で暖房具をつかっておられたのは驚きです。九州博多でも子どもの頃の冬は寒かったです。それでも気温が0度になるまでは教室の水拭き掃除をしていましたよ。
いまではしもやけやあかぎれの子はいないですね。
戦争を知らない子どもと言われた世代。
戦争は悲劇しか生まないし悲劇を被るのは結局、名も無い弱者ですものね。
次世代のためにも賢い大人でありたいものだと思います。

バーべキューが夏の季語になっている歳時記もあるんですよ。「炭」は無くならないで欲しいなあ。とおもっています。


★パコちゃんへ
「たずねびと」の話、したことあるかしら?と前記事を探しました(ココログって優れものでWordで一発検索できるんですよ)2015・2・11に今は解散した「呑み会」でトシちゃんたちと古いラジオ番組の話をしていました。
そこにパコちゃんもコメントを下さってました!(記憶力がすごいですね)
アタシはやたら「李承晩ラインと拿捕」の話をしています。今じゃ、ラインと言えばあっちのラインですよね。誰が李承晩ラインがわかるねん!!
傷痍軍人さんをお祭りの神社の境内などで見かけたのはいつごろまでだったでしょう。アコーディオンを弾いたり、松葉づえをついたりしておられました。
片方の手足の無い方や、銭湯に行くとヒドイやけどのお姉さんなども見かけました。
戦争の傷跡はまだ生々しかったのですね。

投稿: おたま | 2021年12月27日 (月) 12時53分

あの頃を思い出しましたが毎晩のようにモスクワ放送が入ってました「こちらはモスクワ放送です」と女性の声で。あれはもしかすると岡田嘉子さんだったのかしら?と。内容は記憶にないのですが少し高めの声が今でも耳に残ってます。やーですね、昔々の事ばかり思いだされて夕べ何食べた?忘れてますよ。

投稿: パコ | 2021年12月27日 (月) 21時30分

★パコちゃんへ
さすが、北国ですねモスクワ放送ですか!
博多では雑音に交じって朝鮮語が飛び交っていました。短波放送というのもありましたね。モールス信号(よく知らないけれど)みたいなのも聞き取れました。なにか秘密めいていました。
岡田嘉子さん。「美しいって罪」みたいな波乱の人生を生きられたのですね。人ごとではありませんわ。
極寒の樺太からシベリアへ恋の逃避行!!
もう・・ドラマですね。祖母(母の母)が同い年だと言っていたような記憶があります。
印象的なお声だったのでしょうね。パコちゃんの記憶にあるのですものね。2・3年前の話じゃないですものね。
あたしだって(と張り合う)竹脇昌作さんの声覚えてるもんね。
だから二人とも当分大丈夫だと思いますよ。何が??

投稿: おたま | 2021年12月28日 (火) 12時07分

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