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2021年8月 9日 (月)

八月の記録⑨



 

 「八月がまたやつて来しまた祈る」

      (作者不明・ご存じの方教えて下さい)

 

8月になったので戦争の事を書こうとおもいます。
と言っても、私は実体験としての戦争を知りません。

戦争を知っている年長者の下で大きくなりました。
その人たちに直接に聞いたことを書き留めておきます。

小さかったけれど、あの日の恐ろしさはよく覚えています。
原っぱで大きな黒い掛け蒲団を広げ、その中で母子5人がうずくまっていた。
「南無阿弥陀仏」と念じながら焼夷弾の火の海の中、命からがら逃げ回りました。
雨の中(もしかしたら空襲の後の雨だったかもしれない)水浸しの防空壕へ避難した。
あの日、長柄橋(大阪市北区・東淀川区)の下に逃げなくて助かった事。
終戦の日の太陽と電球の灯りのまぶしかった事は母から何度も聞かされた。
父が戦地から帰ってきました。
真面目一筋の父だったのに、酒乱で明け暮れるようになり、戦後の辛くて、暗くて、重苦しい記憶が蘇ります。
(A・S 1939生女)

 

「真ん中に梅干しひとつ原爆忌」おたま

 

 

                  また明日。


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コメント

おたまさん、こんばんは。

8月の戦争の記憶を読まさせて貰っています。戦後生まれの私達は実体験の戦争は知りませんが、戦争の記憶が生々しい大人達の元で育ちました。その記憶を自分の子供たちに伝えるのは難しかったのですが、ある程度分かっていると考えています。

私の家は戦前学校の校長をしていた祖父、長男の叔父さんにまだ中学・高校生だった叔父さんを亡くし、戦後満州から帰国した父だけが男子として生き残りました。おばあちゃん子だった私は「戦争は全ての美しいものを奪ってしまう、戦争だけはやっては駄目だ」と教えて育ちました。

私が子供の頃、近所の大人がお酒を飲むとその中で暴れる方が何人かいて怖いと感じていました。恐らくおたまさんが書いてある「戦地から帰ってきた父が酒乱となった」と同様に心が荒廃したことが原因かも知れません。 おばあちゃんからは「戦前は飲んでいても酒の席で暴れる人はいなかったと」と言っていました・・・戦後の暗い記憶かも知れません。

戦争をやるのは平和を維持するより簡単です。しかし戦争が起こった時のことを想像することが出来れば、二度と戦争をする道は避けることが出来ると思うのです。

まとまりのない話になりましたが、戦争を経験した方の証言は私達の財産です。ブログに記載して頂きありがとうございます。

投稿: omoromachi | 2021年8月 9日 (月) 18時42分

★omoromachiさんへ
読んで下さってありがとうございます。
出来るだけ聞いたことを忠実に書いていますが、その方の「思い・感想・意見」はなるべく略しています。
この記録を情緒的に捉えて欲しくないからです。

私が15年戦争に関心を持ったのは大人になってからです。
学校ではヒロシマ・ナガサキ・空襲と被害者としての戦争しか習いませんでした。
沖縄戦の事も詳しく知りませんでした。
戦地から帰った男たちは多くを語らなかったし、
この戦争は誰が何をして始まったのか
何処で誰が何をしてきたのか全く知りませんでした。
その事が、大人になっていた自分にとって、とても恥ずかしいことでした。誰も教えてくれなかったではいけないと思いました。

「8月15日、どこで何をしていましたか」と質問すると皆さん、怖ろしく克明に覚えておられました。そこから聞き始めました。
私の周辺のごく平凡な市井の人達です。

実は、中に沖縄出身のかたがおられました。
ブログに載せることははばかられました。
あまりにも厳しい話だったからです。
米兵ではなく日本人の敗残兵の行為についてでした。

75年以上前の出来事に関心を持ってくれる人は少ないだろうと思いましたが、一度まとめて載せておきたいなと考えていました。
読んでいただき本当にありがとうございます。

投稿: おたま | 2021年8月 9日 (月) 23時27分

ずっと読ませていただいてましたがコメントは終わってからと控えていました。実体験こそありませんが終戦翌月生まれですので戦争中や戦後の話を聞いて育ちましたし身の回りには一杯ありました。夕方ラジオから流れる「尋ね人の時間」等は今でもはっきりと記憶にあります。食べる物が無く兄達が畑でまだ小さなジャガイモを掘り起こしていた所通りがかりの人にあと2ヶ月置けば大きくなるのに、と言われたけれど「今日食べる物が無いから」と答えたと。おたまさんは三船殉難事件(さんせんじゅんなんじけん)と言うのは御存じですか?終戦後の8月22日に樺太からの引き上げ邦人を乗せた船3隻が日本海でソビエトの魚雷に撃たれ1700名以上が亡くなってます。戦争はどんなことが有ってもやってはいけないと思います。

投稿: パコ | 2021年8月12日 (木) 12時15分

★パコちゃんへ
読んで下さってありがとうございました。
戦中、終戦直後、まだ子供だった人達にも聞き取りをしていますが、みなさん「尋ね人の時間」の事を話しておられました。
夕方は子ども心にも、何かに思いを馳せる切ない時間だったと。
パコちゃんの記憶にあるという事は、戦後10年近くは放送があったのでしょうね。

三船受難事件のことは初めてお聞きします。
この様に今を生きる日本人は多くの事を知らなさすぎるのです。
8月22日ですか!やっと戦争が終わったと安堵した人達が乗っておられたわけですね。
辛いことです。

私は、関西、特に大阪大空襲について少し勉強しましたが大阪造兵廠(大阪城のあるところです)を中心とした大阪市内に707トンの爆弾が投下され359名の死者、3000名近い被災者が出たのが「8月14日」でした。
この時、日米間では終戦が決まっていたのです。米軍は最後の最後に大編隊で来襲した。
という事です。米側は終戦を知っていたのにです。戦争って一体何なのでしょうね。

三船受難事件のこと図書館で調べてみたいと思います。

投稿: おたま | 2021年8月12日 (木) 16時27分

★パコちゃんへ
貴重なお話ありがとうございました。
どんなに貴重な歴史資料でも、どんなに立派な本でも。実体験に勝るものはないですね。
しかし、いつの時代も
ごく普通に暮らしている名もなき人たちの記憶というものは風化していきます。
そしてまた、人は過ちを犯すのでしょう。
残念な事です。

投稿: おたま | 2021年8月13日 (金) 07時56分

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