« 八月の記録② | トップページ | 八月の記録④ »

2021年8月 3日 (火)

八月の記録③



 

 「母の八月潜水艦まだ浮上せず」

       (作者不明・ご存じの方教えて下さい)

 

8月になったので戦争の事を書こうとおもいます。
と言っても、私は実体験としての戦争を知りません。

戦争を知っている年長者の下で大きくなりました。
その人たちに直接に聞いたことを書き留めておきます。

 

「金融機関は徴用逃れが出来る特典があり、村の銀行に勤めに出た。
山奥やから空襲は一度もあらへん。
村で一軒だけ電話のある隣保のおばさんが「空襲警報だっせ~~」とおがり廻って走った(叫んで走った)
私ら行員は金庫室に鍵をかけ裏の部屋で昼寝をした。
しばらくすると、さっきのおばさんが「解除だっせ~~」と走り回る。
そんなのんびりした田舎でも、終戦前になると裏の山に兵隊がようけ入ってきて豪を掘りよった。
兵隊さんは村一番の大きな家に寝泊まりしていた。


村の中ではみんな兵隊に行ってようけ(沢山)死んだわな。
朝鮮人は弾(たま)除けに使われたというこっちゃ。
芋づるのお粥、南瓜の葉の雑炊、ぬかの団子を食べた。
8月15日は銀行に居た。みんな泣き回っていた。
支店長に「うろたえるな。うろたえるな。"さあ”というときは、女は髪を切って顔に墨を塗れ」と言われた。
月給を50円もろうてた。ひとつも使わんと貯金したお金450円。
戦後、山崎の街に出て、傘一本450円で買うた。
お向かいのおじさんが腹切って死んだ。
埋めていた国債やら証券が全部腐っていた。というこやった。
                (H・M1925生・女)

 

 

「日露戦争必勝祈願さみだるる」 おたま

私の住む町の小さな集落にも小さな祠があります。

 

                  また明日。


サイドバーのバックナンバーをクリックすると全記事がご覧になれます。
2009/9~2013/8 の記事はコチラです⇒http://nurebumi.cocolog-nifty.


 

|

« 八月の記録② | トップページ | 八月の記録④ »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 八月の記録② | トップページ | 八月の記録④ »