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2020年9月15日 (火)

お茶の間にはラジオがあった



お久しぶりのSNS(サザエさんのナイスな昭和)であります。

かつてラジオは家庭の最大の娯楽でした
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                1952年(昭和27年)


夏の夜。お風呂上がりでしょうか、浴衣姿のフネさんが泣きながら聞いているのは「浄瑠璃」
艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)ですね。
夫(半七)はのっぴきならなくなって遊女と心中することになるの。
それはもう、よくできた妻のお園が柱に片手をついて遠くに目をやりながら嘆いてます。
「一旦、殿御の半七さん・・・未来までも夫婦じゃと・・」

歌舞伎「酒屋」の名場面です。
(もうね、1月から全く歌舞伎観劇に行けていません)

はあ。あたしまで泣けてきますわ。

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                1957年(昭和32年)

こちらは火鉢を囲んで落語に笑い転げるサザエさん一家。
同じ年には電器店の街頭テレビで相撲を見るカツオの姿が描かれていますが一般家庭にはまだまだ高嶺の花だったようです。

落語・浄瑠璃・講談・浪曲・・・日本の芸能が庶民の暮らしに浸透してたのですね。
ああ。この時代に生まれたかったわ。
生まれてた?奥様?いいわねえ。

 

この頃ラジオのクイズ番組も人気があったようで
カツオは「話の泉」に問題を出そうとしています。葉書職人になれるわ、カツオちゃんなら・・
サザエさんとマスオさんは火鉢を囲んで「二重の扉」形式でクイズごっこ
どちらもアメリカのクイズ番組をモデルにしたそうで、特に「二重の扉」はGHQの指導の下に制作されたと後ろページの注釈にあります。
「それは動物ですか?植物ですか?鉱物ですか?」
たしか番組の始まりは「ギイ~~~」と扉の開く音がしましたね。

え!おたまちゃん。生まれてなかったんじゃないの??
はい。どちらも長寿番組でしたのでね。もちろん後半ですよ記憶にあるのは。(必死の弁明)

「とんち教室」も人気番組でした
「イシグロケイシチ君」「ナガサキバッテン君」そして
「青木先生」

NHKラジオ
「話の泉」      昭和21年(1946)12月~昭和39年(1964)3月
「二重の扉」 昭和22年(1947)11月~昭和35年(1960)4月
「とんち教室」昭和24年(1949)1月~昭和43年(1968)3月

ラジオを囲んで小さな部屋に一家が集った時代でした。
そういえば「お茶の間」ってもう言いませんね。

・・・・・・・・・・・・・・・

 

  「ほどきゐる妣の銘仙秋灯下」
(ホドキイルハハノメイセンシュウトウカ)季語/秋灯・三秋

 

ラジオを聞きながら手仕事をしたくなる季節になってきました。
妣は「亡き母」のことです。↑ は姑さん。

 


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コメント

うちのラヂオは講談か浪曲が多かったかもしれない。ちゃぶ台は丸でした。お昼間は足をたたんで部屋の隅に立てかけてあり、祖父は夏でも冬でも火鉢の前に座っていて…何してたんだろう。
母の銘仙は受験勉強する頃に綿入れの丹前にしてもらいました。今でも実家の母の箪笥に眠ってます。

投稿: ばんび | 2020年9月15日 (火) 10時40分

★ばんびさんへ
火鉢と座布団でお客様を迎える客間に。
卓袱台が出ればダイニング。畳んでお布団を敷けば寝室に・・。コンパクトで合理的な暮らしをみんなしていたのですよね。
家族がくっついて・・。
サザエさん一家は三密もいいとこ。そして誰も口に手を当てて笑わなくなった。
重箱の隅をほじくり返しながらサザエさんを読んでいます^^
お母さまはきっとラジオを聴きながら手袋じゃなかった。。綿入れを縫って下さったのですね。「綿」って貴重品だものね。
受験勉強!なんと懐かしい響き!
ほとんど深夜ラジオ聞いてたけど(ペロリ)

投稿: おたま | 2020年9月15日 (火) 18時41分

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