« しんと明るき・・ | トップページ | あれから・・・ »

2020年1月16日 (木)

25年前のあの日の朝


  


今年は阪神淡路大震災から25年目に当たるという事で、テレビや新聞は年明けから特集を組んでいる。
あの日、1995年1月17日。
十分大人になっていたあたしや高校生だった長男は勿論だが小学生だった次男も当時の事をよく覚えているそうだ。

夫は早朝5時半に車で仕事に出た。
長男は朝食をとっていた。味噌汁の具は豆腐だった。
長男を車で駅まで送って行くのにあと30分ある。二階に上がってもう一度ベッドにもぐりこんだ。
当時、セミダブルのベッドで次男坊と一緒に寝ていた。彼は寝息を立てている。
姑は同じく、二階の隣の部屋で就寝中。
そして5時46分
ドカンと縦に物凄い衝撃があり続いて横揺れがきた。

とっさに次男の上に覆いかぶさった。
横揺れの時間の長さに
死に直面するような恐怖心を初めて経験した。
倒れたり落ちてくるような家具の配置ではなかった。その事をまず頭の中で思いめぐらせた。

・・・・・・

Dsc02428 Dsc02434

Dsc02435
(鎮魂の塔と碑・於 宝塚市)

 

  「鳥渡る地震に残りし塔ひとつ」
    (トリワタルナイニノコリシトウヒトツ)季語・鳥渡る/秋

 

   

どれくらいの規模でどのような被害をもたらした地震なのかその時は判らなかった。
ただ「大きい」と思った。
そして、(そう思う根拠はあるのだが)我が町の住民はココが震源地だと思っていた。


地震の直後は不気味なほどの静けさだった。


サイドバーのバックナンバーをクリックすると全記事がご覧になれます。
2009/9~2013/8 の記事はコチラです⇒http://nurebumi.cocolog-nifty.


 

|

« しんと明るき・・ | トップページ | あれから・・・ »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

あの日その国の言葉が分からなかった我々に友人から日本の地震を告げられ点けたテレビで大きな日の丸の旗の前で声高に話すアナウンサー、まるで戦地の爆撃を受けたような映像を恐ろしい思いでただただ声なく見つめていました。あれから25年、9年前にも恐ろしい震災、地球よお願いだからこれ以上暴れずに…と願うのみですね。

投稿: パコ | 2020年1月17日 (金) 02時45分

★パコちゃんへ
「天災は忘れたころにやって来る」というのは私の大好きな寺田寅彦の言葉です。
彼はレストランでビフテキを食べていた、ちょうどその時に関東大震災に遭遇します。
その後。天災と防災についての随筆を書いていますが非常に興味深いです。

天災はうべなえます。人間は自然には逆らえません。人が色々な事を学ぶのはそこからですよね。

投稿: おたま | 2020年1月17日 (金) 09時09分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« しんと明るき・・ | トップページ | あれから・・・ »