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2019年6月10日 (月)

姑とゐた日々



もうすぐ姑の法事をします。17回忌です。

我々夫婦の家が完成した一か月後に舅が亡くなり
姑は49日を済ませて私たちと同居をすることになりました。


同居を想定せずに家を建てたので不便なところが多々あります。
姑に一人暮らしをさせるという選択肢は我々夫婦には在りませんでした。
本人はどうだったのでしょう。
後から聞いた話では、迷ったそうです。
「一人の方が気楽よ」と周囲からもアドバイスを受けたそうです。
60歳。まだまだ元気です。
考えた末の決断だったのでしょう。住み慣れた家を処分しました。

「この家に来たとき、おたまちゃんが、お茶碗とお箸を買って待っていてくれた。」
亡くなるまで、何度もその事を言っていました。
まだ赤ん坊だった下の子の世話をよくしてもらいました。

Img_4708

 

我が家を出て、右手が登り坂になっています。
5分ほどで丘のてっぺんにつきます。
我が家を建てた数年後、そこに有料老人施設が出来ました。


姑は週に二回ほど、その施設にお花を活けに行きました。
ボランティアというほど大層なものではありません。
前の家では、お花を教えていたので家に花器が沢山あり
庭の花を剪っては、一個ずつ花器を運んでいました。

喜んでもらっていたようです。
その内そこで働く人たちが、自宅に咲いた花を持って来られ
施設内のアチコチが花でいっぱいになりました。

新しい施設はピカピカで、働く人たちはみなさん優しいと言っていました。
「あんなところに入れてもろたら幸せじゃ」と言っていたある日、事件が起きました。
入居して間もない一人の女性の姿が見えなくなったと館内は騒ぎになったそうです。

まさかと思い職員さんが外に出てみると、車いすのその人は坂の頂上で下をみつめていました。
急こう配の突き当り、コンクリート塀に激突するつもりだったようです。

多分、姑はちょっぴり、このホームをうらやましく思っていたようだけど
その後、「いいところだ。いいところだ」とあまり言わなくなりました。



入居者の中に、頑固で意地悪で口やかましいおじいさんがおられました。
みんな、その人を煙たがっていたようです。
ある日、車いすの女性が入所してこられました。結構なお婆さんです。
すると、そのおじいさんが女性のお世話をこまごまと焼くようになりました。
食堂へ行くときや散歩などいつも車椅子を押しながらニコニコとおしゃべりをされています。
他の人に対してもとても優しくなって・・・人が変わったようだと言っていました。

姑は「幾つになっても”想う人”が居るということは素晴らしいことだ」と言っていました。

「おばあちゃん!もし、いい人が見つかったら、いつでもお嫁に行っていいよ。立派なお仕度をしてあげるから」と良く、言ったものです。

施設の玄関だけは業者さんが入り、豪華な花を活けておられたのですが
その知りあいの「華道の師匠」と言う人が、やって来られ館内の生花を一手にされることになり
姑はボランティアを終わらせることにしました。
多分10年間くらい通っていたと思います。
親しくなった人も沢山出来て楽しかったのではないかな。

Img_4706

姑とは18年間同居しました。
最後の一年は夢の世界で暮らしていましたが、それも遠い思い出になりました。
最後の最後、病院のベッドなのに
「おたまちゃん!丹後ちりめん!」といいます。
お気に入りの縮緬のブラウスを持ってこいというのです。
「なんで?」ときくと、「今晩パーティーがあるねん」といいます。

そのブラウスと白いスカートを持って行くと、子どものように嬉しい笑顔を見せてくれました。
(思い出すとなんか・・泣けてきたわ)

もちろん着替えることはできません。最後はお棺に入れました。
おばあちゃんが最後に私に掛けてくれた言葉。
前に、ブログに書きました。
こっぱずかし過ぎるので、もう書きません。(*ノωノ)

法事が近づき、おばあちゃんの事を色々思い出しています。

     


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コメント

ギガンチュウムの花が嫁と姑の度量の大きさを現わしているような…羨ましくなるお話です。
ネギの匂いがするので顔を寄せたくはないのですが、この花をモチーフにした蒔絵の箱が伝統工芸展で賞を取って、TVで紹介された時から好きになりました。http://bit.ly/2ZkU0Fh 「球花」
ギガ=でかいっていうのもこの花で覚えました。

投稿: ばんび | 2019年6月10日 (月) 19時14分

お姑さん幸せな老後でしたね。
お嫁さんがいいからお姑さんも優しくなれる。
お互いが相手を思いやる気持ち。
いいお話を聞きました。
誰にもできることではありません。

投稿: anemone | 2019年6月11日 (火) 08時12分

(ばんびさんへ)
蒔絵に描かれるものと言えば古典的な図柄しか思い浮かびませんでしたが、とても斬新でモダンなものですね。花(?)が開くとほわほわと淡い色になってゆきます。丸い形も宇宙っぽい^^
お蔭で単なる「色付き葱坊主」からイメージが変わりました。
花屋さんのメモによると花言葉は「正しい主張」だそうです。
私。器小さいです^^


(anemoneさんへ)
おばあちゃん。しあわせだったのかなあ。
甲子(きのえね)の生まれなので60歳から人生が良くなると本人は言っていましたが。
私の友人たちは、ここ(我が家)はお姑さんが良いから・・と言っていました。
おっしゃる通り!でした。

投稿: おたま | 2019年6月11日 (火) 08時58分

いいお話ですね。
私は姑と25年同居しました。
お世話にもなりましたが、入り込ませない壁を持った人でした。最後は私の介護で自宅で老衰死しました。寝付いてからは、自分の娘や息子もいりません。貴女がいてくれたらいいです、と言われ頼りにしてくれました。
私のような者が介護できたのは、姑が偉かったからだと思います。現在嫁と同居していますが、姑のようになれるかしら・・・

投稿: コキリン | 2019年6月11日 (火) 23時56分

(コキリンさんへ)
「入り込ませない壁」^^
距離感が大事なのかもしれませんね。実の親だと「感情」が先行して熱くなってしまいますから。
距離」をたもつという事はお互いを尊重する
ということなのかもしれません。
誰かが、ヨメシュウトメは「当りはずれ」といっていましたが、コキリンさんも私も「当り!」だったことに感謝ですね。

投稿: おたま | 2019年6月12日 (水) 07時37分

・・・泣きました。
ステキな御話をありがとうございます・・・・。

投稿: ぱるちゃん | 2019年6月12日 (水) 15時34分

おたまさま
はじめまして。リブラと申します。
親の介護後は、病気・怪我と重なり、遠出もままならず、皆様のブログを拝見して頭の老化を防いでおります。
お姑さまのこと、お話を伺い心が和みます。田辺聖子さんの本を読んでいるようです。

投稿: リブラ | 2019年6月12日 (水) 16時07分

(ぱるちゃんへ)
ひとつ思い出すと色々思い出します。
昨日、たまたま出会った人に「お宅のおばあちゃん”おてんば”だったわねえ」と言われました。
おばあちゃんのおてんば話。また書きますね^^


(リブラさんへ)
初めまして。コメントありがとうございます。
うちの姑さんはよく「その場その場の絵を描くしかない」と言っていました。
親御さんの介護、その後のご自身の不調。
でもリブラさんはその時その時で、きっと良い絵を描いてこられたと思います。
順送りですものね。
これからの時間をご自身の為に楽しく使ってくださいね(あ。自分に言うてます)

投稿: おたま | 2019年6月13日 (木) 09時31分

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