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2018年12月26日 (水)

ではでは



と、いうことで今年のブログ納めです。

3月末にG坊と二人旅をした後に大風邪を引いたけど、それ以外は元気に過ごせた一年でした。歯医者さんでは検診の度に虫歯が見つかりちゅらかった。

ブログを始めて丸9年が過ぎました。
人と人が見えない世界で結ぶ「縁」の不思議さを今年ほど思ったことはありません。
春にヘルブラウさんにお目に掛かりました。
初めて会うのに懐かしい人。居心地がよく自由になれる間柄
良い時間を持ちました。

Img_3703

夏にはスマイルさんとの訣れがありました。

そこからは、その人との思い出を積み上げることができない。
残る者にとって、人が死ぬということは
そういう事なのだと思います。

もう彼女からコメントが届くことはありません。

Img_3708

私はずっと前から思っていることがあります。
うまく言葉に出来ないので、誤解を招くかもしれません。
(嫌な気持ちになられたら、ごめんなさい。)

人は自分で「死のう」と思ったときに「死ぬ」んじゃないかな。

ということです。
遺されたものにとって理不尽と思えるような死でさえも。
突然に消えてしまった私の夫も、けっして無自覚ではなかったと思うのです。
まあ、本人に聞かなければわかりませんが。
そして、そう考えたいという願望なのかもしれませんが。

悼 スマイルさん

。    「青岬時刻表手に立ち上がる」 おたま

今年の締めの句にします。
季語は「青岬(アオミサキ)」。夏の岬の事です。

一年間読んで下さってありがとうございました。
皆さまにとって来る年が明るく希望に満ちたものでありますよう
心からお祈りしています。


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ごあいさつ」カテゴリの記事

コメント

お久し振りです、読み逃げ?でしたが楽しませていただきました。今年も色々有りました大好きな兄との別れが有りその数ヵ月後には寂しいからと呼んだのでしょうか兄嫁までも。葬儀には間に合いませんでしたが9年ぶりの日本でした、若しかしたらこれが最後かもと言いながらの友との別れ、そういう年代になってきました。>人は自分で「死のう」と思ったときに「死ぬ」んじゃないかな、これは同じ様な事を考えていました。

投稿: パコ | 2018年12月27日 (木) 13時29分

おたまちゃんもどうぞ良いお年をお迎えくださいね!
課題はただいま考え中~。
ですが、答は出なそうな予感。
死者の声が聞けたらな。

投稿: 風のフェリシア | 2018年12月27日 (木) 23時52分

今年もありがとうございました
とりあえず生存確認の為コメントを
おたまさんの
>人は死のうと思った時に
そうだったらどんなに良いか。。。
長生きしている人は「死のう。。」と思ってないということになる?
これは私の誤解釈でしょうか?
気になります。

投稿: 熱烈 | 2018年12月28日 (金) 11時20分

さんへ
今年も読んでいただきありがとうございました。さんのコメントを楽しみにしています。なぜ非公開なのか、ようわかりません。
ワタクシ、殿方にはいつも優しく親切にを心がけているのですが、なにかキツイこと言ったかしらと反省していますペロリ。
懲りずに来年も読んで下さいね。

パコちゃんへ
そうでしたか、お辛かったですね。
前へ前へと進むだけが人生と思っていた頃がありました。今は時間を人を大事にしようと思います。「限り」のあることに私もやっと気が付き始めたのでしょうね。

さあ。もうこれでよし!じゃ、行くね。
という心持はカッコイイです。
夫は何か予感があったのか、不思議な言葉を残しています。
スマイルさんも同じでした。とても満ち足りておられました。まさに時刻表を手に立ちあがり、次の旅に出られたようでした。

日々を明るく楽しく暮らせばお兄様も安心されると思います。来年良い年でありますように。

風のフェリシアさん
いつも軽やかなフェリシアさん。
そんなことないよ!とおっしゃいますか?
フェリシアさんは精神の軽やかな方だと私は思います。私もそうありたいとおもっています。自由で軽やかに。そして自立した心。私の目標です。

熱烈さんへ
言葉が足りなくてごめんなさいね。
こんな事書いたら余計にややこしくなるかも知れないけど、
死ぬ「覚悟」「決意」みたいなものは死の直前に人は自覚するのではないかなということです。
⇑言いたいことの半分も言えてませんが。
「死のう」ではなく「死ぬ」です。

年の暮れに不景気な話ばかりしていますね
笑っちゃう。これも生きているという事です。私は「生きよう」と思っています。「死」の直前まで
熱烈さんも生きて下さいね。大きなお世話だなんて言わないで
100%の「生」を全うしましょうよ。お互いに。

投稿: おたま | 2018年12月28日 (金) 14時02分

>「死のう」ではなく「死ぬ」です。
ぼんやりとなんとなく理解できますが。。。
勿論死の直前まで「生」をまっとうしますが、
「もう充分だな。」って思った時に死ねたらと願います。
(↑こう言っている人に限って往生際が悪い!?
この件はおたまさんと来年じっくり話あいたいです。
良いお年を~~!

投稿: 熱烈 | 2018年12月28日 (金) 21時25分

>死ぬ「覚悟」「決意」みたいなものは死の直前
>に人は自覚するのではないかなということ

↑あゝ、そういうニュアンスなんですね。それなら少し納得できそうです。
私はすでに「覚悟」はしていますが、これはまだ第一段階。
近づくほどに「覚悟」を固め、直前になったら強く「決意」する気がします。

おたまちゃんが言わんとしていることと合っているかなぁ?

とりあえず、お互い良い新年を迎えませう。

投稿: 風のフェリシア | 2018年12月29日 (土) 13時44分

熱烈さん・風のフェリシアさんへ。

まとめて、お返事でごめんなさいね。
なかなか、ココで上手く言い表すことがむちゅかしい。
さあ。死にましょう。という決意ではなく
「死」が判るという事をいいたいんだ。
受け入れるという事とも少し違う。
「わかる」ということ。「知る」ということ。
見て、聴いて。「知る」という事ではなくおのずとわかる。という事です。
「悟る」と言うのが一番近いかもしれない。
自分で覚悟するのではなく自分の中の潜在意識、普段は働いていない93%の脳が教えてくれる。
まあそんな風に思ってます。
年末にややこしやですみませんでした。

お二人の幸いを祈っております
あと6時間で新しい年だよ~。

投稿: おたま | 2018年12月31日 (月) 17時05分

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