« ボルドー&異郷バスク⑲バル巡り | トップページ | ボルドー&異郷バスク㉑ゲルニカの意義 »

2018年11月24日 (土)

ボルドー&異郷バスク⑳ゲルニカへ


baseballbaseball


バル巡りでとってもいい気分heart04

Img_3425酔い醒めのコーヒーを飲む。

Img_3426清潔な雰囲気の店。

お腹いっぱい。
もう、買い物はエエな。
ホテルに戻って洗濯しよ!
Img_3402夜ご飯は・・・・・。
な~にも考えられない。
お腹いっぱい。

お腹こわしたときの為に持参していたアマノの鮭雑炊を食べとこっ!。
一個をたけもっちゃんにプレゼントして、Kゑちゃんはパンを買って来て、Sちゃんは午前中にスーパーで買った日清食品の「SOBA」(味付けはコチラ風)パッケージには安藤百福氏の似顔絵が描いてありました。凄いなJapanese food
集まって晩さん会をしていたら、隣の部屋から、町で買った葡萄とミニトマトの差し入れ・・・おいちかった。
他のメンバーは外で得体の知れない「寿司」を買ってきた。おいしかったって!
こうして、サンセバスチャン最後の夜は更けていくのでありました。

clover

翌日。sun予想気温9℃~18℃ エエ感じや。ついにセーターを着るgood
一日中気持ちのいい観光日和。
この日はサンセバスチャンを発ち、今回の旅行で最も印象に残った「ゲルニカ」
あと、小さな可愛い漁村ベルメオ村に立ち寄りながら最終の宿泊地であるビルバオへ入ります。ビルバオで2泊(まだ2泊します)の後帰国予定です

ゲルニカはバスク地方の小都市です。正確には?グェルニカと発音されるようです。

20世紀を象徴する絵画として名高い天才パブロ・ピカソの「ゲルニカ」
美術オンチのワタクシでも教科書で知っています。「泣く女」「太陽」「傷ついた牛馬」・・・
意味は解らないが「息が詰まるような絵」として強烈に印象に残っています。

Img_3513
街には壁画が再現されていました。
「スペインは白と黒。光と影。で表せる」と言う言葉を聞いたことがあります。
ふと思い出しました。

小さな町でした。駅舎も鉄路も当時のままだそうです。
当時の情景をイメージしながら街歩きのスタートです。
Img_3440 Img_3444
少し傾斜を進むと街のシンボル花時計のひろばです。
ココをぐるりと回り議会場や美術館のあるエリアへ

clover

当時・・1937年4月26日。この日は市場の立つ日でした。4:30PM ナチスドイツから派遣された軍団コンコルド。73機の編隊は3時間15分にわたり街を爆撃しました。
3回の波状攻撃です。史上初の大規模な無差別爆撃は子どもや尼僧の上にも容赦なく爆弾が落ちてきます。
Img_3510サンタマリア教会の鐘が鳴り響き空襲警報を告げます。

この時の町の人口は約7000人。
発表する側により死傷者の数は大きく異なります。
それはいつでもどこの国でも同じ事。
手元のパンフには死者1654人。負傷者1800人とあります。

翌27日になっても街は燃えていたといいます。
そして二日後の28日一人のジャーナリスト(第一報はロイター通信)によって、やっと報道が発信されます。
それまでは国際調査は阻止され「バスク軍自らが火を放った」などの噂が流布されるのです。

パリに居たピカソの元にこのニュースが入ります。
彼に在ったのは怒りだったのか嫌悪感だったのか、

凄まじい集中力でこのゲルニカを制作します。
現在、原画はマドリッドのレーナソフィアに移っていますが(ようやくスペインに戻ったという経緯があります)個人的には、この街に(ちょっと無理だろうから)せめてビルバオのグッゲンハイム美術館に置いてほしいと思います。

バスクの民がなぜ内戦と言う異常に加わったのか。
ゲルニカという地がバスクにとってどんなに特別な地であったのか
バスクの人にとってピカソの「ゲルニカ」は自らの抵抗と解放のシンボルであるという意味においても。
(この事とナチスドイツの関与については明日触れたいと思います)

>


tulipサイドバーのバックナンバーをクリックすると全記事がご覧になれます。
baseball
2009/9~2013/8 の記事はコチラです⇒http://nurebumi.cocolog-nifty.


|

« ボルドー&異郷バスク⑲バル巡り | トップページ | ボルドー&異郷バスク㉑ゲルニカの意義 »

旅・おでかけ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ボルドー&異郷バスク⑲バル巡り | トップページ | ボルドー&異郷バスク㉑ゲルニカの意義 »