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2018年8月22日 (水)

ひょい と死ぬ


baseballbaseball


常々
死ぬんだったら(って必ず死ぬんだけど)
ふくちゃんみたいな最後がいいな。
と思っている。

だんだん弱って、皆に(そろそろか。と)予感させて
10日間だけ寝付いて、お世話してもらって。
最後に
思いっきり尻尾を振って(私には尻尾がないのだった!)
お礼を言って。

ポカポカと暖かい春の日に
明るい日差しの中で
皆にぐるりと囲まれて

静かに静かに目を閉じる。

clover

そんな事言うけど
そうは上手くいかない。人ってなかなか死なれへんねんで。
ドッタンバッタん。大騒ぎやで。
ってベベちゃんはいつも言ってる。
身近にいろんな場面を見てきた人だから。

ま。
アタシの理想は愛犬ふくちゃんです。

clover

ひょいと死にたいわね。
ひょいといなくなったわね。って思ってもらいたい。

clover

少し遠くの小さなお寺で今日はお通夜。

タダシさん。
ひょうひょうとした人だった。
家族にとれば決して「ひょいと」ではなかった。って知ってる。
でも、そう思いたい。

いい人が
ひょいといなくなったんだ。

天然の天性のいい人だった。

家族だけでと聞いていたから遠慮してたけど、
義兄さんが「行けるなら行ってやってくれますか」と言われる。

ひょいと起き出して「おお。おお。来てくれちゃったんか。悪いのお」と
生涯抜けることのなかったお国言葉で迎えてくれそうな気がする。


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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

dog 前にも書いたことあるかもですけど、
子どもの頃家にいた犬が「ふく」でした。
ご飯食べないなって言ってたら死んでました。
祖母は一生で食べる量が決まってるから食べなくなったらおしまいとよく言ってました。今は点滴で生かされちゃってるけど、口から食べられなくなったら終わり。老年科の医師は餓死が一番自然な死に方だから、姥捨て山へというのはある意味安楽死なのだと言ってました。義母が生きてるのが嫌だと言った時、私が山へ背負って行ってあげるよって言ったのですが、結局老人病院へ送っちゃいました。心の中ではこの病院が姥捨て山のつもりでした。

投稿: ばんび | 2018年8月22日 (水) 09時40分

師匠、ご無沙汰しております。
もう何十年も前に田辺聖子サンのエッセイで
「女は ひょい と生きていくべきである。目の前の水たまりを ひょい と飛ぶ時のように、軽々と自分の意思を持って飛び越すのである」なんて文章をよんでから、わたしは大きな水たまりも ひょい と声に出して飛んでみていました。
こちらではなかなか耳にする言葉ではないのですが、師匠もお好きでしたのね!嬉しいです。

投稿: kiyo | 2018年8月22日 (水) 10時22分

baseballばんびさんへ
そそ。「食べられなくなったら終わり」ってうちのばあちゃん(母の母)も言ってました。
人間ってヒトだってことを思い出すべきだと思う。謙虚にね。ワンコは謙虚。
高橋和己「邪宗門」では生きるためにヒト(母)を食べた主人公は、意志的に死ぬために餓死を選びます。
ああ。この本読み返してみたくなっちゃったわ。
ばんびさんは山へ捨てたのね。
私は姑が「いつまで生きてるんじゃろ」と嘆いたとき「一思いに楽にしてあげよう」といいました。「それじゃあ、おたまちゃんの手が後ろに回る」と言って思い直してくれました。夢の世界に居るのか正気なのかわからん姑さんでした。

baseballkiyoさんへ
「ひょい」と死にたいと思っていましたが、kiyoさんのコメで「ひょい」と生きることにします。
オッ気軽にオッ気楽に。何をどうしたいかは自分できめるぜい。なかなかエエ感じです。

で、死ぬのは「ふらり」にしようかな。
「ふらり」とあみだ様に導かれ(うち浄土真宗ですねん)陽気に誘われ・・
VIVA!他力heart
(ちょっと、本日のお通夜の説教に感化されています)

投稿: おたま | 2018年8月23日 (木) 00時09分

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