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2017年8月 9日 (水)

たくさんの日々



年寄りと申しますのは同じ話を何度も致しますね。
い~え~。あなた様の事ではございませんわ。

ひとつ前に書いた「海の響きをなつかしむ」の話をどこかに書いていたかも知れない。
そんな気がして「前ブログ」の「チビたまカテゴリー」を見てきたのだけど、どうも無さそうなので、今日書きます。
前に読んだで~という方は知らぬ顔して、もいっぺんお付き合いください。どうせ、暑さついでです(関係ないけど)

4年生だった。・・もうすぐ5年生になるという春の日。
学校から家に帰ると玄関先で二人の修道尼と母が話をしていた。
当時、私が熱心に通っていたカトリック教会のマドレーでは無かった。
この方たちは数冊の本を携え、それを売りに来ておられた。

「このお話の主人公は中学2年生なので、貴女より少しお姉さんだけど・・」と一冊を取り出され、母はそれを買ってくれた。

Img_0771すっかり古くなり
汚れてしまった。

表紙をあけると
少女だった私の字で大きく
5年2組 ○○おたま

と名前が書いてある。

Img_0768 Img_0767


中学2年の女の子の春夏秋冬がさりげなく穏やかなエピソードを挟んでつづられている。
まだ見ぬ「14歳」へのあこがれだったのか、コンビーフの缶詰をスーツケースに入れてベルリン経由でパリに家出を企てる彼女の小さな弟に共感したのか・・
たぶんその美しい文章に惹かれていたのだと思うけれど・・

兎に角、わたしはこの本を大人になっても妻になっても母になっても引っ越しを繰り返しても、大切に手元に置いていた。

そしてこの作者が他にどんな本を書いておられるのか、どんな人なのか知りたいと、強く思っていたがその機会はなかった。

今ならパソコンの検索一発で出てくるのだが、
それどころか名前の読み方さえもわからず、これはうんと、大きくなってからだが、もしかしたらこの人は女の人かもしれない(それまでは男性だと信じていた)そして今では主婦になって、もう小説など書いておられないのかも知れない。などと思った。

Img_0769 Img_0770
挿絵も大好きだった。

40年の月日が流れ、図書館から借りてきた一冊の本
小沢昭一著「俳句武者修行」の中で「小長谷清実」という文字を見つける。
俳優・小沢昭一は「変哲」という俳号を持つ俳人でもあり、本では道場破りよろしく、あちこちの句会に出席する様子がエスプリの効いた文章で書かれていた。
其の中の一つ、詩人ばかりの集まりである、ある句会のその日の参加者の中に小長谷さんがおられた。

ああ。この人は「詩人」だったのか。やはり男性だったのか。そして(変なハナシ)ご存命だったのか。図書館にあった本で調べると日本現代詩人会に所属しておられた。
色々な思いが巡り、私は「現代詩人会」の住所に手紙を出していた。

「落手しました」と長いお手紙をいただいたのはそれから間もなくであった。

この本はまだ、学生だった頃に大学の先輩であった「いのうえひさし」氏にすすめられて書いた、ご自分にとっては初めての本であったこと。
手元には、数年前に神田の古書店で見つけた一冊があるだけで、書いたことさえ忘れていたこと。
40年もまえに読んでくれていた小さな女の子がいたこと。
その事に驚き「オロオロと途方に暮れています」と書いてあった。

私はこの時の嬉しさを夫・ひっちゃんに話した。
彼はうんうんと頷き、「おたまちゃん。良かったなあ。ほんまに良かったなあ」と一緒に喜んでくれた。

手紙と一緒に現代詩人叢書集や、ちょうどその年に出された絵本を贈って下さった。
小長谷さんは大学卒業後「電通」に勤務され、1970年「希望のはじまり」1977年「小航海26」でH氏賞を受賞されていた。
そして、詩集「わが友、泥ん人」で現代詩人賞を受賞される。
新聞記事で知った私は我が町の地元のお酒を送った。

御礼状が来て「酔っぱらっているので重複して出しているかもしれない」と書いてあったが、確かに2枚の葉書が来た。
そして、詩集「わが友、泥ん人」を贈呈していただいたわけだが
私が嬉しかったのは、本の最後に「著作集」が記載されており
沢山の詩集名のあとに子どもの本(絵本をたくさん出されている)、その子どもの本の先頭に
「たくさんの日々」が加えられていたことであった。


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コメント

こんちは〜 おたまさん!

余りの物持ちの良さに感心したり・・カゲの声(呆れたり)
いやほんとうに感心してます。またこの記事の少女らしい挿絵も珍しいな〜と見せてもらいました。そして思い立ったが吉日と、「現代詩人会」に手紙を書くとはすごいことですよ。色々と思われることがあったのでしょう!!私の方はこの記事がきっかけで
改めて検索して見ました。実は中々正体が見えないのでアレは「まぼろし」を現実と思ったのかと自分の記憶に不安をもってました。 H氏賞歴代受賞者に小長谷さんは1977年に、私の記憶に残った河原町御池「 ZEST」の詩人は2005年受賞の山本純子さんでした。銀座をスタートにして6大都市を巡回した模様です。
京都は2002年6/5〜6/30日に その後、兵庫・宝塚市「サンピオギャラリー」で開催されました。写真家の名前も判るのに何故か写真一枚も記事も出て来ません。でも、まだボケてなかっただけ嬉しいことです。8月15日でやっと一年の修行となります。
私ごとばかり書いて申し訳ありません。うふふ、”ひっちゃんがいっしょに喜んでくれました” クライマックス確かに聞きました。ごちそうさま、そしてありがとうサン。ペコリ

投稿: 風 | 2017年8月10日 (木) 16時41分

風さん
調べて下さってありがとうございました。
記事中の「希望のはじまり」は第一詩集で、H氏賞は「小航海26」で1977年の受賞でしたね。教えていただいてよかったです。
写真が出てこないのは残念ですね。
でも、PCの無い時代の私が「どんな人かな」と思い続けていて、その結果出会えたのですから、いつかどこかで写真に出会えるとおもいますよ。

投稿: おたま | 2017年8月10日 (木) 17時33分

おたまちゃん、この話はとても良いですね!
小長谷清実さんでしたか。
「海のひびきをなつかしむ」の記事を読んで、
体調不良にもかかわらず誰かしらとちょこっとネット検索してみたけど判りませんでした。

私も本好きな子どもだったけど、小学校の時に読んだ本をそんなに大事にはしなかったわ(><)
「現代詩人会」に手紙を書くのも凄いことだし、その後交流が続いていることも凄いこと。

投稿: 風のフェリシア | 2017年8月11日 (金) 15時16分

風のフェリシアさん
今、小長谷さんと交流が持てて居ることを思うとき「念ずれば叶う」という言葉を思い出します。それほど、子どもの頃から「どんな人かなあ」といつもいつも考えていました。
不思議なくらいに。

立原道造のような、小長谷さんの美しい初期の作品も好きですが、
その骨頂は(偉そうに書いています)漂うような不安定さ。つかめそうでつかめない裏切りのような、寄る辺ない着地点。のような詩に魅力を感じます。
また、ブログに載せたいです。50年以上前の作品なら転載できるのですよね。

投稿: おたま | 2017年8月11日 (金) 22時26分

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