それは白日夢です
私には兄が(たぶん)二人いる。
(たぶん)というのはそう聞いているから・・って意味です。
直ぐ上の兄の事は別れて暮らすようになった2歳半当時の記憶が自分にはあるし、最初から(2歳半から)貴女にはお兄さんがいるのよ。と言い聞かされていたので「そうなんだ」とおもっていました。
部屋の鴨居にハンモックが吊るされています。
寝かされているのは私。
小さい男の子が揺らしてくれています。
面倒になったのか自分も横になって今度は足で揺らし始める。
それが「兄」だったのだと思います。
・
「春の夢兄もわたしも幼くて」 おたま
・
もう一人の兄の存在を知ったのは私が18歳のとき。
わたしに初めての縁談が舞い込んだのです。
母にとって娘にそんな話が来るようになった。そんな年齢になったという事実がひどくショックだったらしく、自分のblackな過去を語り始めました。
驚きよりもこれで全てに合点がいったという気持ちが大きかった。
そういうことだったのか・・・という感じです。
あ。何か「身の上話」的な事を書いてますね。
グッ坊5歳。ヨカちゃん0歳。
兄は妹をよく可愛がっています。
巣立つまでの十数年間。仲良く暮らして貰いたいものだと思います。
すぐ上の兄も
戸籍上は無関係だったその上の兄も
3人は縁の薄い兄妹だったということです。
あちらの事は分かりませんが、ワタシには兄妹という感覚がわかりません。
もしかしたら、上の上の兄は自分に弟や妹がいることを知らないままなのかも知れません。
この事は夫ひっちゃんにも言ってないです。
息子たちには言っておいた方がいいのかな?
ある日突然莫大な遺産相続があるかもしれないからね
(注)白日夢:願望に基づく空想
・
「春の夢たしか波音したやうな」 おたま
・
サイドバーのバックナンバーをクリックすると全記事がご覧になれます。
2009/9~2013/8 の記事はコチラです⇒http://nurebumi.cocolog-nifty.
| 固定リンク
「家族・友だち」カテゴリの記事
- 画伯たのんまっせ!(2018.03.24)
- 竹輪とちがいますがな(2018.03.23)
- 涙・涙の卒園式(2018.03.22)
- ピカピカの入学式(2018.02.27)
- 出世魚(蟹)さん(2018.02.14)
コメント
何だか、グッ坊急に可愛く大人びたような・・
ヨカちゃん、可愛かったり、泣いてる時はチョット・・
花見時、あとは言わぬが花 アハッ(・・失礼しました)
それにしても、良い一句、
波音に託した時の流れを余韻ゆたかに感じます。
(・・失礼しました)
投稿: 風 | 2017年4月 7日 (金) 20時24分
私も一人っ子だと思っていました。
18歳の就職準備の時に戸籍を見せられました。
姉がいました。
後に異母兄弟や異父兄弟がいるらしいと分かりました。
でもね~。
息子や娘には伝えてはいますが、その先の事は私には分かりません。
投稿: Kana | 2017年4月 8日 (土) 01時17分
グッ坊、大きくなりましたか?いつも機嫌のよい子で助かります。ヨカ嬢は(美貌の)伸びしろにかけています^^身内があきらめてはいけないと思います
春はいつまでもだらだらと寝ていたいですね。
そういう事(兄弟がいる)はちゃんと言っといてもらわないと困ることもありますよね(韓国ドラマの見すぎですが)
長兄は戸籍のつながりがないので(昔はそんなことができたのですね)冷静に考えると「遺産」の心配はしなくてもいいのです。
取り越し苦労でした
血は水よりも濃しといいますが、次兄は私の息子たちを可愛がります。私には「兄」の感覚がないのに!不思議です。性格でしょうかね。
投稿: おたま | 2017年4月 8日 (土) 10時23分
幼い頃はずっと思ってました、今に本当の親が迎えに来る、こんな意地悪な兄達や姉ではなくて優しい人が・・・と、兎に角いじられました。当時の事は「可愛がってやった」と言いますが相撲部屋じゃああるまいし。でもそのうち夢破れて今につながります。一緒に暮らした年数は姪甥も兄達も短いですが歳の近い甥や姪は可愛いです、此方と兄弟の感覚です。ヨカちゃん富士額でおちょぼ口、日本的なしっとり美人の予感ありですね。
投稿: パコ | 2017年4月 8日 (土) 23時42分
夢は破れる
友人は老人兄妹になったのに二人でゴルフに行って遊んでいます。
もう一人の友人は係争中
兄弟の「情愛」が判らないのでへえ~そうなんだ~という感じです。
ヨカちゃん「富士額」に見えていますか?
現物は「チャーリーブラウン」です。
投稿: おたま | 2017年4月 9日 (日) 09時25分
実の父が亡くなった時、司法書士から封書が来ました。
借地権付き店舗の登記所が同封されて、要は財産放棄の手続きを言ってきました。
姉が住んでいた住所は、今、空き地になっています。
投稿: Kana | 2017年4月 9日 (日) 20時22分
書類のつながりだけの血縁というのもあるのですね。
縁が薄かったと思うしかないですね。
お姉さまの事どんな人でどんな人生だったのかなとか思われますか?
よくテレビ番組なんかで離ればなれになった親兄弟を探すみたいなのがあるでしょ。私あの気持ちがよくわかりません。
やっぱり性格^^
投稿: おたま | 2017年4月10日 (月) 08時33分
養父母亡きあとの家に残っていた古いアルバムに、まだ一緒に家族だった頃の姉妹(私は2歳9カ月で他家の養女に)と実母らしき女性とその従姉妹とが写っている写真がありました。
60年以上経った今の姿など想像できないです。
実父の元に残った姉も、継母と異母兄弟との関係をどの様に生きのかと思う事があります。
養父が姉に会った事があったそうで、「妹がいた記憶はあるが、今は弟達がいるので会いたくない」と言ったと話してくれました。
それなりに苦労したのかもしれないですね。
多分、誰にも会うことなく時は過ぎていくと思います。
投稿: Kana | 2017年4月10日 (月) 11時30分
子どもは「大人の事情」で生きていくしかありません。受け入れる以外の選択はないですからね。
子どもの頃の嫌な思いや悲しかったことそれも含めて今の「婆さん」である私が作られたわけですから丸ごと諾いたいと思っています。
(面倒くさい書き方ですが早い話)人のせいにしないってことかな。
だから逆に言えば私の顔も知らない長兄やKanaさんのお姉さまもみんなそう。
どんな人生だったのかななど思わなくてもいいのですよねきっと。
お姉さまが「逢いたくない」と言われた気持ち判る気がします。
投稿: おたま | 2017年4月10日 (月) 20時46分
私は業が深いのか、
>丸ごと諾いたいと思っています。
↑この心境にはまだなれないでいます。
「親のせいでこうなった」とは言いたくはないけれど、
自分のある部分を変えようと真剣に何年も何十年も戦ってきて、
それがいかに困難かを思い知るとき、
「人のせいにしない」というのもしごく困難なような。
いまの自分を丸ごと諾せれば一番なのですが。
もう、それしかないのかな。
おたまさんは潔いですね。
投稿: 風のフェリシア | 2017年4月10日 (月) 22時10分
こんな小さなスペースでは書ききれないのですが
私はある時(40代の半ばでした)「本当の自分を生きたい」と思いました。
それまでの私は自分が自分ではない感覚。嘘の自分を生きているような気がしていたのだと思います。それが私の生き辛さでした。
ずっと靄に包まれていました。
自分のしんどさを誤魔化していたわけではないのです。そのこと(しんどいこと)すら気が付かなかったのです。
それで40ウン才まで生きてきました。
誰の人生でもない自分の人生を本当の自分で生きたいと思いました。
それが「自分を諾う」という事だったのです。足の爪先から頭のてっぺんまで他の誰でもない自分であるという事。
言い方を変えれば自分が自分を愛してやるということです。
私はどうしても自分が好きになれませんでした。自分の事が嫌いでした。
でも自分が好きになってやらなければ「私」って無茶苦茶可哀想でしょ?
これが自分だと自分を諾い認めた瞬間から私は生きるのが楽になりました。
己を全うせよ。私にそう言った人がいます。
)
私の生涯の師です。(変な宗教していません
「手放すこと」についてたまたまブログに書こうと思っていた時にいただいたコメントでしたので偶然に驚いています。
10時半に寝るのに・・遅くなっちゃったわ。
投稿: おたま | 2017年4月10日 (月) 23時42分
追伸
自分を諾うとは自分を変えるという事ではありません。黒いところは黒いママで。汚いところいけないところもそのままで「そうなんだ」と知ることだと思います。
変えなくてもいい。そうなんだと知ることです。
おやすみなさい。
投稿: おたま | 2017年4月10日 (月) 23時50分
三人と違いますか?
ほれ、房総方面にもう一人・・・
春の夢兄は妹より年下で
なんのこった!
投稿: NANTEI | 2017年4月11日 (火) 19時59分
そそ。忘れてまへんで!チバの兄ちゃん。
なにせ同じ日に同じNYタイムス読んでたくらいですから・・
なにか相続するモノがあったらお任せ下さい。アタチの方がう~~んと年下でしょ!
投稿: おたま | 2017年4月12日 (水) 09時01分