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2016年6月 2日 (木)

真田丸・北条氏の滅亡


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天下分け目の「関ヶ原の戦い」は西軍8万VS東軍7万。と言われています。
それに対して北条氏制圧の「小田原合戦」

 秀吉軍22万 に対し 北条軍5万

数だけで言うと、どんだけ大規模な戦やろ!ということです。
関白であるところの秀吉の命に従わないのは謀反であるぞよ!ってなものですわね。
世に豊臣の威信を見せつけます。
小田原城を見下ろす石垣山に大阪城も顔負けの城をつくり千利休や茶々殿を呼び寄せて、余裕のよっちゃんぶりです。持久戦?かめへんよ。僕らこっちでお茶飲んでるから・・というわけです。

clover

全ての大名が「ここら辺が潮時やな・・」と屈服していったのに北条氏はなぜにあんなに強気だったのでしょう。
「AFOやから・・・」そんなこと言うてあげたら可哀想です。
一つは我が守りに絶対の自信があった。
あの戦上手の上杉謙信をもってしても落とせなかった「忍城」(おしじょう)。北条が絶大な自信を誇る「忍の浮き城」です。

氏政は子どもの頃その戦を目の当たりにしていますのです。守りこそ勝利の要という考えがあるのです。

現実に知恵者・石田三成が水攻め戦略を試みるも失敗しています。
三成君、官僚畑の事務方やから戦を知らんかったんとちゃいますか?
いえいえ。それは違います。山本耕史さんを贔屓するわけじゃないけど攻めるに困難なうえに不運が重なったんです。
大谷吉継。中塚正家。佐竹義宣らの軍勢をつけてもらったのは秀吉の親心やったのでしょうか、そうではなくそれほど攻略に難しい城だということです。
さらに、水攻め作戦は秀吉のアドバイスがあったのかもね。
「備中高松城では成功したで~~」って
だからこそ。三成軍の失敗を秀吉は咎めなかった。

北条氏は小田原城を中心に山中城・八王子城・忍城・鉢形城という中核の城がありそれ以外にも砦と言われる出城を250も作っていました。いかに守りの戦法をとっているかが判ります。防備さえ固めればっていうものでもないのですがね。

もう一つは♬ひっとりじゃないって~素敵なことね~と思っていたから。でしょう。
今やラスボス化した秀吉に歯向かうのは僕だけじゃないんだ。
あの東北の雄。伊達政宗君だって・・・・

両家にはどんな約束があったのでしょう。何かあったら援軍だすわね~なんて言ってたんじゃないの?盟友だもの。
あなただけはと信じつつ、それが一縷ののぞみだったのに・・・

氏直が秀吉に追い詰められていたまさにそのとき・・・
伊達政宗は秀吉のもとに参陣します。死に装束を身にまとって・・
「遅くなってごめんね・・・」って、ねえあーた。あざといわよ。
北条に味方してあげてよ!孤立無援じゃないの。あかんわそんなの・・。秀吉が許しても、武将・おたまは許さん。約束破るな~~。

このとき、秀吉は正宗の首に刃を当てたままニッコリ笑うんやて!

clover

そんなこんなで「小田原合戦」は終わりを迎え、北条氏は滅亡するのでありました。
そして。それは秀吉の天下統一の達成を意味しました。

(余談)
秀吉は氏政とその弟、重臣二名に切腹を命じますが
氏直には蟄居を命じます。
当主である氏直を許したのはなぜ???
ご存知の方、詳しいかた。ピンときた方は教えてください。

真田が攻めた北条氏の城の一つに「佐野城」があるのですが
ここは、後年、真田親子が決別するときに対面する場所となります。
ドラマチックですね。


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