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2016年6月24日 (金)

大いなる永田耕衣・部長の大晩年



好きな俳人の一人に永田耕衣がいる。
俳句の中に哲学を持ち込んだ人と評されることがある。
難しい論評はよくわからないが好きになったきっかけは俳句よりも、
むしろ「部長の大晩年」(城山三郎・新潮社)という評伝を読んでからである。
もう15年くらい前になる。

55歳で定年退職をし97歳で没するまでの42年間を「晩年」と呼ぶのなら、なんという大いなる充実の日々であろう。
「人間であることが職業。出会いは絶景」と言い切る。

阪神淡路大震災の折は全壊した家のトイレに閉じ込められた。
その時の句が

 「白梅や天没地没虚空没」

御年95歳の作。
未曾有の天災でさえも耕衣にとっては「絶景なる出会い」なのか。
ブッとんだ爺様だ。
トイレから救出された後、たしか大阪/寝屋川あたりの老人ホームへ入られたと記憶している。
この方がまさかそんなに著名な俳人だったとは・・と、また聞きのまた聞きで聞いた。

好きな句は沢山あるが、そのひとつ

  「踏切のスベリヒユまで歩かれへん」

切なくて可笑しくて悲しくて涙が出そうになる。

線路は少し上りの傾斜にある。踏切を越えると同じ分の下りである。踏切は見えているのにこの小さな坂がしんどい。ちいさな駅舎までの道。
手を携えて歩いた妻はもういない。足が覚束ないのではない。心が覚束ないのだ。
嘆息の独り言が俳句になる。スベリヒユがなんともいい。

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(画像・ウィッキペディア)

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あこがれのスベリヒユで作りたいと思っていた。

   「妹がまた勝ちましたすべりひゆ」 おたま

自解は・・・やめておきませう^^
我が結社では絶対に採って貰えないと思うが、
本日、宝塚の句会ではまあまあありがたうございます。

・・・・・・・・・・

年をとってからも、日々得るものがある。日々新なり
自分にその気さえあれば、大いなる晩年への充実の道はつづく。

やって来ました。晩年が・・と自覚する昨今。
もう一度。「部長の大晩年」と耕衣の俳句を読みなおしてみたいと思う。


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