待つといふ寂しさ
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身のうちに種を蒔く。
蒔いたがゆえに喜びや寂しさを味わうことになるのだが
それらはみな「幸」である。「待つ」という時間の中で・・。
・
「蝮草」(マムシグサ)
秋に山を歩くと湿った斜面などで結実したマムシグサに出会う。
唐突で強烈な色の果実におもわずドキリとさせられる。
強い毒性があるそうだ。
俳句では晩春の季語になっている。
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コメント
まむし草の真っ赤な実、北大の植物園で見ました。野山で自然に生えてたらさぞやドキッとするでしょうね。待つことはあっても待たせてはいけないと祖母に言われました。
投稿: ばんび | 2016年5月26日 (木) 09時55分
そうですね、待つというのは楽しみであり、喜びです。
でも、待って叶わないと寂しさ、悲しみは大きく深いです。
又の楽しみに繋がると良いですね
投稿: 熱烈 | 2016年5月26日 (木) 20時38分
よく言われました。「人を待たせてはいけない」って。
待つのはこちらの都合だからいいのですがね。
春のマムシグサなかなかいいですよ。
どなたかの「自分では花だと思って咲いているのかなあ」という意味の俳句がありました。
「待つ」というのも一つの煩悩ですから^^
ホトケに近づいているので種を蒔くという煩悩も少なくなりました。なーむ。
投稿: おたま | 2016年5月27日 (金) 08時01分