スグルおじちゃん
昨日の「澤村美司子に似た」おばちゃんの話だが
色んなことを思い出した。
おばちゃんは22歳。おじちゃんは26歳。
ひとみちゃんという生まれたばかりの赤ん坊が居た。
スグルおじちゃん。と呼んでいた。どんな字を書くのだろう。
子どもの目から見ても、おばちゃんは美人でおじちゃんは男前だった。
茶箪笥の上のミキサーが何かモダンで「新婚さん」という雰囲気だった。
兄妹のいない私は、ひとみちゃんが可愛くてたまらなかった。
夏休みの前に貰って帰って来た通知表を見せた。
(あ。そのころは通信簿と言っていたかもしれない)
おじちゃんはニコニコして、どこからか自分の小学生のころの通信簿を出してきた。
全科目が「優」だった。
優・良・可という評価の時代だったんだな。
よくわからないけどスゴイなあと思った。
そのうち、この家族はどこかへ越していく。
お別れの場面は全く覚えていない。
再会したのは「こたま」・6年生の終わりごろ。
おばちゃんが急に訪ねてきたのだ。
ひとみちゃんは3歳になっていた。
弟が生まれていた。3か月くらいの赤ん坊だった。
「あのカーテンが掛かっていたからおたま一家は引っ越していないんだと思った」と言った。
おばちゃんの実家のある熊本に住んでいたのだった。
お互いの実家が同業者でその仕事の関係だったのだろう。
そんな生活の中で、
おじちゃんが女性と出奔する。
あのおじちゃんならモテるだろう・・・。と6年生だったけどそう思った。
大阪で女性と暮らしていたが、ある朝、差し向かいでご飯を食べていたらお箸がポキンと折れたそうだ。
そのとき「これはいかん」と思ったおじちゃんは汽車に飛び乗り熊本に帰ってきた。
義父に激怒されやむなく、自分の実家の両親や後継のお兄さんに頭を下げてこちらに戻ってきたというのがことの顛末のようだった。
それにしても耳ダンボなチビたま時代のアタチ。
・中学に入学して学校のすぐそばがおじちゃんたちの実家だったのでよく寄り道をした。工場の隣に小さなお家を貰って住んでいた。
冷たい麦茶を出してもらい、おしゃべりしたりひとみちゃんと遊んだりした。
「もうすぐ大阪に行く」といったらおばちゃんは「寂しくなる」と言った。
わ~~~色んなことを思い出したわ。
おばちゃん。素敵な女性だった。
大人になった今ならわかるけどとても雰囲気のある人だったと思う。
美人はどこか寂しげで声のトーンが低い。という自分の定義はこの人から来ているのかもしれない。
スグルおじちゃんには一家が博多にもどってから一度も会わなかったと思う。
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コメント
素晴らしいです


ちびたまちゃんも、おたまさんの記憶力もだけど、
二枚目の写真、職人技というより芸術作品ですね
これは何? どんな所に? まさか屋外?
歴史の証明ですね
投稿: 熱烈 | 2016年5月25日 (水) 20時13分
京田辺市にある一休寺(一休さんが晩年を過ごされた)です。
中庭の渡り廊下と庭に面した塀。屋外です。
真ん中、の機能美
板の正目綺麗だけど節目も計算し尽したような配置ですよね。
こういうの何時間でも見て居られますわ
投稿: おたま | 2016年5月26日 (木) 07時35分