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2015年11月11日 (水)

小糠雨にぬれながら御堂筋



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淀屋橋ってこんなに短かかったっけ・・
娘時代(アタシにもあったよ。ふ。)毎日通勤していたのに・・記憶があいまい

正面に見える緑の屋根がポンギンこと(日本銀行)。
御堂筋を挟んだお向かいに大阪市役所があります。
夜8時かな?9時かな?市役所の澪標(みおつくし)の鐘が聞こえてくるんです。娘っ子なのに遅くまで残業してたわ(遠い目)
写真右が三菱ビル。
このビルが建った時は何て高層!!!とおもったものでした。
今ではおチビさんね。
そのお隣にはフィルムビルが見えます。


年に一度は旅行しようね。と言っていたベベちゃんが心臓の手術をしてからはもっぱら「大阪歩き」「京都歩き」「神戸歩き」をしています。

「天王寺七坂」「京都三条・延長東海道」「北浜レトロ街」「京都島原巡り」・・・・
京阪神。うちらのテリトリー
と、おお威張りしていましたが、いえいえ街は奥深い。変化もしてるし「知ってるつもり」になってるだけかもしれません。

今回は中之島・中央公会堂の特別室見学を目玉に御堂筋を歩くことにしました。

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相場師として財をなした「岩本栄之助」は現在の価値にして100億とも200億ともいわれるお金を大阪市に寄付をし、この中央公会堂を建設します。
今から100年ほど前の事です。

その後、多額の損失を出したとき
「あんさん。大阪市からちょっと返してもらいなはれ」と勧められもしますが、

「そんな事をすれば大阪あきんどの名が廃る」

と頑なに拒否。
38歳の若さで自死の道を選んでしまいます。

そういえば淀屋橋も個人が作ったものです。

通天閣や大阪城も大阪商人によって再建されています。
お金儲けだけではなく社会に還元する気概と気風が大阪の人にはあったのでしょうね。
(公会堂の素敵な写真は又UPしませう)

さて、御堂筋歩きです。

御堂筋が南行き一方通行になった時、この淀屋橋全体に横断歩道の白線が引かれたのですよ。そう言えば今は無いわね。

坂本スミ子「たそがれの御堂筋」はミナミからキタに向かい、この「淀屋橋」が終点になっています。
この曲の数年後にヒットした欧陽菲菲(オウヤン・フイフイ)の「雨の御堂筋」は本町や心斎橋をさまよって南下している?
前回(3年前)の御堂筋歩きは銀杏並木が美しく色づいていましたが、今年はまだまだ。
そのかわり、小糠雨の歓迎を受けなかなか趣がありました。
この日は淀屋橋からミナミに向かって歩きました。

かつてはどの町にもあった喫茶店。コーヒー店。
どこに入っても「雨の御堂筋」が流れていたっけ。
今では「喫茶店」を探すのも一苦労。大容量のカフェばかり。

そう言えば、ミズノのお隣、石原時計店?のお隣に美味しいコーヒー店がありましたね。(おたまもベベちゃんも)名前がどうしても思い出せないのです。どなたかご存知の方がありましたら、教えてください。


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コメント

MJBです。
石原時計店の社長に何度かごちそうになりました。昨年まで私が代表で主催している会の法人会員でしたので親しくさせていただいていたんです。
隣りというより、石原時計店のビルの地下です。
そのお店は昔、上本町にもあったそうで、うちの旦那は上本町の方のお店を高校時代よく利用したと言っていました。
レトロな、懐かしい良いお店です。

ところで「雨の御堂筋」は私が北海道時代に流行っていて、かってに「土の並木道」のような小さな道のイメージを持っていましてね、大阪へ来て「ここが御堂筋」と車バンバン色気なく走っていて、大きな声で大阪弁が飛び交うところで、教えてもらって驚きました。
ま、こっちがかってにイメージしただけの話なんですけどね。ふふふ。

投稿: ユウコ | 2015年11月12日 (木) 14時53分

ユウコさんへ
うわっ!やっぱりユウコはんや
ありがとです。
やっぱり、MJBですよね。友人が「いや違う!ブラジルとかアラビアとかコスタリカとかそんな名前やった・・」と言い張るのです
そうそう。地下に下りて行くんです。今も営業されているのですね。交差点のこちらから見ると白洋舎の大看板がありました「ここらも変わっちゃったね」とすっかり「なきもの」にしてしまいました。
MJBでBFと待ち合わせをすると、必ず顔見知りに出会うので困りました。

そら、北海道と比べたらあきませんわムードなんてあらしません。でもお金がない頃はただただ歩きましたね。
公職退かれたのですね。おちゅかれ様でした。

投稿: おたま | 2015年11月12日 (木) 17時40分

あはは、職はまだそのままです。
私の書き方が悪かった。
はしごを外されてしまっている状態なので、そろそろ降りたいのですが降りられないんですよ。降りるか会自体を無くするかで、踏ん張りながら半病人が続けています。
石原時計店の方が法人会員を降りたんです。

ちなみに、石原社長は手塚治虫の小学時代のクラスメイトで親友でした。手塚を調べる方は石原社長の所へも必ず取材に行くような関係です。

あ、そうそう、この記事ではなく「50歳」の記事でね、私も一言。
林芙美子の戦後に書かれた小説を読んでいて「50歳の老婆」という表現があって、これは今の時代なら石が飛んでくるだろうな、と笑ったことがありました。
私が18歳の頃は、25歳はすっかり大人、結婚した人は「奥様」の恰好で、30歳こえたら若いなんてまったく思えない、私の祖母は私が物心ついたころには「お婆さん」以外の何者でもなかったけれど、50歳をちょっと越したくらいだったんですわ。
世の中変わりました。www

投稿: ユウコ | 2015年11月13日 (金) 00時02分

ユウコさんへ
ご無礼しました。
昨年まで・・と言うのはユウコはんではなくシャチョさんだったのですね。
身体に無理のないように、何しろ「立板にユウコ」ですからね。屁のツッパリにもなりませんが応援しています。

50歳=老婆。そういう感覚だったのですね。
失敬やわ
以前は新聞記事で「老女」という言葉が使われていましたね。あれって何歳からやったんやろ・・


投稿: おたま | 2015年11月13日 (金) 09時43分

ここまで来たのなら東洋陶磁器美術館にいきなはれ…と言っている私は東女ですが、大阪の公会堂のレストランのオムライスはおいしいです。

投稿: ヴェルデ | 2015年11月17日 (火) 01時41分

ヴェルディさんへ
お。コアなところよくご存じですね。
あそこはジモティは「安宅美術館」って言いました。
あきんどコケても宝を残しはったんですね。
おかげで庶民でも見ることができるようになりました。
オムライス。お隣の中央図書館の地下の方が美味しいですよ
大きな声では言えませんが・・(ここに書いてるがな!)
公会堂の写真。またUPしますね。

投稿: おたま | 2015年11月17日 (火) 08時48分

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