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2015年11月 3日 (火)

高山右近の郷へ



先月は忙しくて、なかなかブログにUP出来なかった
のですが・・

10月半ば

高山祭に行ってきました。と申しましても、
飛騨高山の絢爛豪華なあのお祭りではありません

大阪府豊能(とよの)郡豊能町は大阪府の最北部に位置し、兵庫県と京都府に隣接しています。
Dsc05221棚田の様子からもわかるように、山間部にあり「大阪のシベリア」などと言われるくらいの寒冷地です。



ここに、「高山」という地域があります。
キリシタン大名高山右近の生誕地です。

Dsc05197碑が建立されていました。
大きさが判るよう、人物(私らの歴史勉強会の先生)を入れてみました。

20数年前に一度訪れたことがありますが、その時は無かったですし、ここが右近の生誕地であることも「知ってる人はしってるいるけど・・」という感じでした。

右近は日本国内より、海外での評価が高い人物といえます。

その理由は、大名という体制側の人間でありながら上に屈せずキリシタンの道を選んだという事。
大名という立場でキリシタンの教えを広め国づくりを進めたということでしょうか。

足利の配下から戦国時代信長・秀吉の時代さらに江戸幕府になってからも一貫して改宗に応じなかった高山家と右近。

1615年。家康により追放されたマニラ(ルソン)で生涯を終えています。

数年前にはバチカンから国のお使いの方が来られ上の写真の碑にお花を捧げられたそうですよ。
右近をキリスト教の聖人に・・という関係者の運動が実を結び今年の夏にはその調査に入られました。

来春にはローマ教皇庁から認定を受ける見通しだいうことです。


右近の没後400年に当たる今年。
この日はにぎやかに「右近の郷フェスタ」(第3回)が行われていました。
自衛隊音楽隊の演奏や「世界一」の梅花女子中高等部によるチアリーディングなどなど・・

田畑を風に乗って渡って来る楽しそうな音楽をききながら、ボランティアガイドさんに周辺を案内していただきました。

北摂・高槻藩の領主となった右近は領民の3分の2をキリシタンに改宗させたそうですが。この高山地区。キリシタンの末裔の方を特定するのは難しいようです。
右近の離任により、また元の宗教に戻っちゃったのかしら・・

ただし、(現)高槻市には「隠れキリシタン」であったことがはっきりしている地区があり、我々が教科書で見た・・誰でも一度はあのポーズをとってみたことのある・・フランシスコザビエルの肖像画が発見されたのも、そこのお家であるということです。

右近の魅力。人物像についてはまた、ゆっくりお勉強したいなあと思っています。
もひとつ。高山氏と飛騨高山の関係。
右近のお父さんは、ここ高山荘の在地領主だったということなのですが、なまえが高山飛騨守(ひだのかみ)っていうんですよね
カンケーあるのかないのか気になります。どなたか詳しい方があったらおせーてね。


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コメント

高山右近さん、没後400年でしたか?
飛騨高山との関係はよくわかりません。
あちらは小京都と呼ばれるくらいいい街です。
そういえば徳川家康も没後400年で、盛大な行事があったようです。同じ三河でも私の街では何もしてないけど…松平健さんは頑張っています

投稿: ばんび | 2015年11月 3日 (火) 16時50分

ばんびさんへ
飛騨高山は大昔にサッと通ったことがある?ような記憶がある?ようなないような。
死ぬまでに一度行ってみたいです。

ケンさん。そちらで暴れてはるんですか?
わけもなく海岸線を馬で走ってはるんですか?頑張ってほしいです。

家康さん。「長生き」という事を我々に教えてくれる偉大な方だと思います。
色々なイメージがつけられていますが
最近、冬の陣を勉強してこの方はやはり武将であり豪胆なひとだったと認識をあらたにしています。

投稿: おたま | 2015年11月 4日 (水) 08時59分

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