六甲・神戸大学①
六甲駅に降り立つのは実に19年ぶり。
敢てこの町を避けていたような気がします。
19年前の阪神淡路大震災の直後、六甲小学校に通いました。
我が家ではガスがまだ止まっていましたが、神戸市内の惨状を見聞きするにつけ動かずにはおれない状況でした。
とにかく、電車の動いているところまで行き、そこからは歩く覚悟でした。
震災後しばらくして奇跡的に六甲小学校では水が出ました。
有難かったです。
「火が迫ってきてここで止まった」という「ここ」は墓地。
墓石がことごとく倒れていました。
瓦屋根の家屋は全壊。
マンションは2・3階部分が押しつぶされていました。
残った建造物はすべて傾き平衡感覚を失うほどでした。
どうしても六甲に足が向かなかったけれど、忘れていたわけではありません。
あの震災を忘れてはいけないと思います。
あの時、誰が、どの組織がどんなグループがどこの政党がどんな人たちが黙々と動いていたのかをしっかりと見ました。
ボランティアを声高に叫び「群れている」人に限って、指示待ちでした。
行動に理屈はないのに・・
私も長い間かかわってきたグループと一線を引くことにしました。
(大ゲンカしたんやけどね)
「平和」を掲げながら頭でっかちになっていた組織は・・・ああ。もう書かんとこ。
それより、水が復旧するまでの小学校のトイレをデッキブラシ片手に貼りついていたオッチャンのほうが「見事」やったわ。
ということで、吟行レポートは駅前でまだモタモタしています。
(カトリック六甲教会)
「藤棚にパソコン開き測量士」 おたま
この教会も震災後すっかり変わったそうです。
聖堂はコンクリート打ちっぱなしのモダンな建物に変わり、イースターのためのご受難の額が掛けられていました。
そうそう。「しじみ」やっぱりイマイチでした。
「語尾長く伸ばして過ぎぬ蜆売」
「食卓に正座せし日々しじみ汁」
回想の句は弱いですわ。チャンチャン。
;2009/9~2013/8 の記事はコチラです⇒http://nurebumi.cocolog-nifty.com/
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コメント
〈蜆〉が気になっていました。おたまさんの句を読んで、丸いちゃぶ台で家族揃って食事していた幼い頃がよみがえります。若い父や母のことも。
投稿: おけい | 2014年4月23日 (水) 20時27分
そう言っていただくと嬉しいです。
背筋を伸ばせ。とか、足を崩すな。とか
言われましたね~~~
そうやって、お行儀を身に着けたはずなのですが・・あな恐ろしや今の自分・・
投稿: おたま | 2014年4月24日 (木) 10時01分