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2013年12月 6日 (金)

ストッキングの思い出・その2


baseballbaseball


戦後強くなったのは女性と靴下(ストッキング)
という言葉をよく耳にしました。

ナイロンの発明により女性の靴下事情は大きく変わります。
急速に普及したといえ、おたま達が子どものころはストッキングは高級品であり大切に扱われていたのではないでしょうか。

トシちゃん(おたまより4歳上)は「伝線一本5円」でストッキングの修理をしてもらっていたそうです。アッコさんは伝線したところをご飯粒で押さえて一時しのぎにしたそうです。

noteグンゼのナイロン靴下は~な~んともいえない素晴らしさ
というCMソングを覚えています。

clover

小学三年生だったと思います。
クラスにユミコちゃんという女の子がいました。

田んぼや畑に囲まれて一軒だけポツンとユミコちゃんの家がありました。
野菜や塩干モノやチリ紙や箒やタワシなどを商っていました。
軒の低い暗い家の中でおじいさん・おばあさんとユミコちゃんが3人で暮らしていました。

腰の曲がったおじいさんとおばあさんは、そこでひっそりと暮しているという印象がありました。

ユミコちゃんが学校をお休みした日に給食のパンやプリントを届けました。
おばあさんは、小さな背中をさらに丸めておたまに「ありがとね。ありがとね。これからもユミコと仲良うしてくんしゃい」と言われました。

ユミコちゃんのお休みが続いたある日、おばあさんが「これ、先生に渡してつかあさい」と言って四角い封筒のようなものを渡されました。

翌日、先生に渡すと、あら?何かしらという感じで(たぶん、不用意に)おたまの前で袋を開かれました。

出てきたのは「ナイロンストッキング」でした。

おたまは、ませた子どもだったので「見てはいけないものを見てしまった」と感じました。
親(おばあさん)が学校の先生に付け届けをするのは、なんとなく「イケナイ」ことだと思っていたのでしょう。

ユミコちゃんは元気に学校にでてきました。
その後も2・3度、ユミコちゃんが先生に封筒を渡し、先生が「まあ・・こんな高価なもの・・」と言っておられる場面を見ました。

clover

ずっと、ずっと、疑問に感じていたのですが。

ユミコちゃんは「混血児」ではなかったか・・と思います。

おたま達、キューピー体形の子どもと違い手足が長く、髪も目も少し茶色で。髪の毛はふわふわとカールしていました。

戦後から昭和30年代当時に使われていた「混血児」という言葉はナショナリズムに基づく排他的な国民性を表して興味深いです。
進駐米軍人と日本女性の間に生まれたGIベビーと呼ばれた子ども達は奇異の目で見られ
格好の被差別対象となりました。

板付米軍基地が近い我々の小学校には一級下にブロンドで青い目の女の子がいて「あいのこ・あいのこ」といじめられていました。

子どもの世界は大人社会の鏡です

「あいのこ」という差別的な蔑称を面白く囃し立て、少数者を排除してしまう。
差別意識は社会や人間の成熟度を測るものさしと言えると思います。

当時の子どもたちは残酷でした。

clover

沢尻エリカさんがさほどハーフぽっくないビジュアルであるように
ユミコちゃんにとって、ブロンド・青い目でなかったことは幸いだったのでしょうか。

おじいさんとおばあさんが必死にユミコちゃんを守り抜いておられたような気がしてなりません。

おたまは、その後大阪へ引っ越しますが、仲良しのハルミちゃんと文通を続けていました。
ハルミちゃんとユミコちゃんは同じ高校に進んだそうです。

物凄く綺麗な女の子になっているとハルミちゃんの手紙にありました。
ユミコちゃんの「秘密」について、チラリと触れていたことが一度だけありました。

clover

ストッキングにまつわる思い出は以上です。

ユミコちゃんのお母さんのことは何も知りませんが、あの「ナイロンストッキング」の向こうにはお母さんがおられたように思います。

 

clover

おたまのブログ村滞在も残り時間が迫ってきました。
早いものですね。
今まで、本当にありがとうございました。

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ちびたま時代」カテゴリの記事

コメント

なんだか映画「泥の河」の続きをみているような光景が浮かんできます。
私の街には混血児はいなかったけど、両親が在日という方が多くて
大人たちは蔑称で呼んでました。
卒業証書を筒に入れる手伝いをした時に、
日本名で名前を書いてなかったのを見てショックでした。
いじめもあったけれど、みんなたくましくて、学校休むことはなかったです。
給食だけが頼りだったのかもしれません。
家事全般をしている同級生や、屋根に穴が開いている家に住んでる子もいました。
みんな貧しくて、池田首相がガラガラ声で「所得倍増」って叫んでたのだけ覚えてます。

投稿: ばんび | 2013年12月 6日 (金) 10時57分

おたまさんのお話、いつも染入ります。
本になればいいのになぁ

投稿: るべる | 2013年12月 6日 (金) 12時14分

そうなんですね。
何だか、何とも言えず染み入る話です。
教えてくださってありがとう。

おたまさん、ブログやめちゃうんですか?

投稿: Ryoko | 2013年12月 6日 (金) 17時01分

はいこの間ははじめまして、、でした。よろしくおねがいしますね。
ストッキングの思い出、、そうそう!と拝見しました。シームレス禁止には驚きでしたがそんな時代もありました。なつかし~~。
最近はパンツが主流でソックスはストッキングもくるぶし上のを履くことが多くなり、「電線!~」と叫ぶことも少なくなりました。

最近おじゃまするようになったものですから、今年いっぱいでブログ村からお引越しとの事、びっくりです。
さっそくお気に入りに入れさせていただきました、「おたまさんのブログ」はこれからもお続けなのでしょう。

投稿: kazu | 2013年12月 7日 (土) 09時02分

baseballばんびさん
「泥の河」たしか白黒ですよね。なのに加賀まりこの口紅が真っ赤だという印象があるのはなぜなのでしょう。

舗装されていない道。泥んこの子ども。
貧しく懐かしい風景ですね。

私たちの世代は在日二世に当たるとおもいます。今は3・4世の時代。
帰化された人も多いでしょうが、ルーツを訪ねて韓国留学する若者も知り合いにいます。
時代は変わっていきますね。

baseballるべるさん
ありがとう。しみますか?ぷぷ。
年を取ると昔話が多くなりますね。ぷぷ。

baseballRyokoさん
8月、PCの変更とブログのリニューアルをしたときに、「ブログ村」というランキングサイトに参加しました。
当初から「年内」だけの参加と決めていたのでそれがそろそろ、終わる。ということです。
ブログはだらだらと続けます。coldsweats01
俳句に集中したいと思っているので、たぶん今みたいな形ではないとおもいます。

baseballkazuさん
kazuさんのように「ブログ村」から新しく訪問して下さる方があることは、参加して良かったな。と思うところです。
ランキングサイトへの参加は多少なりともコチラにカセをはめてしまいます。(それは個人の考え方なのですが)
それで最初から年内いっぱいと決めていました。
ブログは(たぶん)だらだらと続けます。
この、だらだらに飽きもせずお付き合いくださっている方々が沢山いてくださり、とてもうれしく思っています。
kazuさんもだらだらとよろしくおねがいしますね。

投稿: おたま | 2013年12月 7日 (土) 12時11分

とても懐かしい唄です。

♪ 白い粉雪 チラチラ囁いた

♪ 窓の灯りも 頷いた

(途中を忘れました・・・)

♪ グ~ンゼの ナ~イロン 靴(く~つ)下の~

♪ な~んとも 言~えない 素晴(す~ば)らしさ

でしたね。

投稿: ganjee | 2014年9月19日 (金) 15時17分

baseballganjeeさん
はじめまして。古い記事にコメントありがとうございます。嬉しいです。
昔のCMソングは、たぶんラジオで流す意味合いもあったのか、丁寧に作られているとおもいます。
名曲、ありましたよね。
グンゼのナイロン靴下といえば母の婦人雑誌などに載っていたモデルが吉村真理さんだったような記憶があるのですが・・
なにしろ遠い昔で自信はありません。

また、遊びにいらしてください。

投稿: おたま | 2014年9月19日 (金) 16時23分

【追伸】本件の正確な歌詞が見つかったのでソースを追記しておきます。

http://www.kyoto-seika.ac.jp/researchlab/wp/wp-content/uploads/10005.pdf
⇒p.35

冬の粉雪 チラチラ囁いた
小窓のあかりが うなづいた
赤い炎に 手をかざし
次々と語る あの人の
グンゼの ナイロン 靴下の
なんとも言えない すばらしさ

投稿: ganjee | 2014年9月21日 (日) 13時32分

baseball ganjee さん
ご丁寧にありがとうございました。
興味深い資料にのめり込んでしまいました。
1956年と言えばテレビ創世記。
うちにテレビが来たのが1959年皇太子ご成婚をみるためでした。

ナイロン・テトロン・アセテート・・化繊時代が到来して糸偏産業華やかなころだったのですね。
♪ロンロンローン。カネカロンとか♪
良いタッチ。カシミヤタッチのカシミロンとか・・思い出しました。
そういえば・・シャンソン風coldsweats01

投稿: おたま | 2014年9月22日 (月) 08時24分

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