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2013年9月 3日 (火)

峠を越えてみえてきたもの・・


           


自分が生まれる前の「親のこと」は案外知らないもので
生まれていないのだから当然といえば当然なのだけど・・

・・・・・・・・・・

帰省していた次男・明星氏と吉野へ向かっていた車中のこと。
「やっぱり、お母ちゃん最後は博多で暮らしたい」と申しますと

「なんで博多なん?」と尋ねます。

そういえば。母親がどこでどんな子ども時代を過ごしたかなど
話したことがなかった。

おなじく、私は夫ひっちゃんの子ども時代のこと・・・・
色々話はしてくれたけど、
それは私の直接知らない部分なわけです。

明星氏は父親の子ども時代を聞く機会がなくなってしまいました。

「僕がもう少し大人だったら良かったのに・・って思う」
といいます。

父親との永別の時期です。

「せめてあと二歳、大人だったら色々なことが理解できた」って。

当時彼は21歳。数字の上では大人だけど、
自分が何者であるのか。何をもとめているのか・・もがいていました。

今まで歩いてきた道を振りかえることができる。
そして未来を見据えようと思う。
そんな年齢があります。

自分で言えば30歳のときでした。
既に子どももいたけど、
自分がやっと「大人になった」と自覚できたのは
このころです。

彼も今、遠くを見はるかす峠に立ったのでしょう。

 


R_3                   第30番 如意輪寺/難切不動尊(奈良県吉野町)

男の子は口数が少ないので
父親のことを口にすることはあまりないけど

「こんな時、お父さんだったらどういう意見か
          聞いてみたいと思う場面がふえた」

と言います。

ま。仕方ないわね。仕方ないけど・・・

今出会ってる色んな人たちに聞いてみるといいよ。

いろんな人にね。

 


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家族・友だち」カテゴリの記事

コメント

自分がその年齢にならないと「親のありがたみ」(その他)がわからないものだと思いました。
そしていろんな経験を経て親にも他者にも優しくなれるのだとも思いました。

私の「大人への第一歩?」は24歳の時でした。
そしてそれだけではなく第二歩目、第三歩目もありました。
だからこれからも第○歩目が来るのでしょうね。
そして一生そうやって何かと出会って成長し続けるのだろうと願っています。

息子さんにとって今は埋もれているにすぎない記憶が必ずあると思います。
それにそのほかの大人、目標とする人物との出会いも何度もあるでしょう。
でもそういう出会いが必ずあるから、これからも息子さんの成長を楽しみにしましょうね。

投稿: こごろう | 2013年9月 3日 (火) 15時47分

じ~んとくる いい書き込みだなぁ~

投稿: 海子 | 2013年9月 3日 (火) 18時02分

私はまだまだ気持ちは20代 そう子どもなんです~

投稿: poo | 2013年9月 3日 (火) 20時02分

お今晩は!

私自身、両親を亡くして、早20年が過ぎ、息子達もその時の私の年齢に近づいてきました。
親元を離れて15年以上経った頃の惜別であったため、明星氏と同じく、親との大人の会話は少なく、その分、子供達には多くを語りました。

「お父さんはこう考え、こう言うと思うけど、僕はこうしたい。」と次男坊に言われたのは、彼が高校生の頃でした。
今、思うと多くを語りすぎた気がしないわけではありません。

私自身がそうであったように、親が居なくとも子は育ちますし、親の知らない色んな影響を受けながら育ちます。
親の役目は、小学校に入れるまでで、それ以降は、周りの環境が大きな役目をするんだとも思っています。
親は、道標程度であって良いと、今は思っています。

峠に茶屋があるのは、そのためで、親が峠で待っているのではなく、見も知らない峠のお婆ちゃんが待っていてくれるのです。

明星氏にも多くの峠の茶屋があり多くの手を差し伸べてくれる暖かい手があるのではないでしょうか?
これからもその多くの手に委ねて歩いてくれることを望むまでです。


「秋風に 吹かれし越える 峠かな」
                   御仁

投稿: OJIN | 2013年9月 3日 (火) 21時23分

何か、諦めのような、受け入れる覚悟のような
そんな気持ちになってきました。

大人になったのかな?

※おたまさん、ランキング2位ではないですか!

投稿: るべる | 2013年9月 4日 (水) 00時55分

こごろうさん。
今にして思うもの・・ですよね。お互い「今」だからわかることありますね。

親ばかを差し引いても、「思慮の深さ」「心の置きよう」では母親より大人です。
彼は(父の死)以上の試練を経験しています。
今にして思うこと・・ですが。それらは彼の糧になっていると思います。

暖かいコメントありがとうございました。

海子さん
ありがとうございます。
時には子どもの中に自分の人生をなぞっていると感じることがあります。
自分にもピュアな時代があったのだと・・
今はよごれちまっていますが
viva中也です。山口です。
この息子。丸一年間「山口」を放浪して再生しました。

pooさん
心の中に少年が住んでいるのが、いい男の条件です。
ヨッ!いい男!(よいしょっと)

OJINさん
OJINさんと夫は真逆ですね。
父親が大好きで十分な愛情を注いでもらった夫でしたが
家族への愛は「妻9:子ども1」でした。(重かったぜ
大体、子どもが何年生かもうろ覚え。
でも。よくしたものでなぜか、子ども達は父を認めています。
そんなの、ずるいと思いません?

るべるさん。
スタンスを狭めることは「あきらめ」ではないです。
手法です。遠くを見すぎて足元でこけないための・・
わけわからんこと言うてますか

ランキングね。ボチボチでしょ。うふ
順位より、出会いに期待やね。
ポイントUPのテクは色々あるらしい。
でも、おたま自然分娩で頑張るよ。
年内いっぱいやから、因果と思いしっかり押してやってくださいまし。

投稿: おたま | 2013年9月 4日 (水) 10時12分

泣きそうになったやん。

両親が亡くなり小さな家を相続登記する時に
古い古い戸籍抄本を取り寄せたら
根っからの京女の筈の母のルーツは徳島。
戦前の戸籍制度って複雑で、
本当に知らない人しか載ってなかった
多分母に聞いても知らなかったと思うけど
話題には、したかったなぁ
Google地図、周りは全部山ばかりでした。

投稿: youko | 2013年9月 4日 (水) 19時20分

youkoさん
今は自分の好きなところに本籍をおけるので、先のひとがルーツを知りたいと
思ったときわかりにくいですよね。
ご先祖は富士山のてっぺんとか甲子園球場とか尖閣列島に住んでいたんやって・・。

仏壇の過去帳を整理する必要があって、古い戸籍を取り寄せたことがありますが
それも70年間の保管だそうですね。

投稿: おたま | 2013年9月 5日 (木) 10時39分

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