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2013年9月

2013年9月30日 (月)

おいしいごはんは最上のしあわせ


   


シャネルのスーツも

ヴィトンのバッグも

フェラガモの靴も

エルメスのスカーフも

 

   ・・・・・・・・・   持っていない 

 

ブランドにはこだわらない。

あたくし、こう見えて 庶民派 だ。

知ってた?あらま。

 

ちくわだって、紀文よりカネテツです。
レオナルド・ディカプリオよりレオナルド熊だよ(ウソ)

いいものはいい。安けりゃもっといい。

そんな「こだわらない派」を自認しておりますが
どうしても譲れない。これだけは・・というのがコレです。

01556
新潟県北部の農家から送ってもらう「コシヒカリ」
七分づきにして直送してもらっています。
もう。25年くらい前からのお付き合いです。

お米、一粒一粒に愛情をかけておられます。

ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ

コメ作りに対する真面目さといったら

 

ポンジュースを造る、愛媛のミカン農家と良い勝負です!

ブランドのお洋服は着られなくっても、

お米だけはいいものを食べたい

と言っても他と比較してもそんなに「お高くはない」ですよ。

 

いいものとは、安全で安心で美味しいもの。

Mei_182
町の米屋さんにも新米がやってきたようです
                     

あたしんちも、今晩から新米です

 「すなをなる育ちと新米届きけり」

 「新米の感触双手差し入れて」


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2013年9月29日 (日)

応援してくださった皆様へ


       


本当にみなさまありがとうございました。

NHK朝ドラ・「あまちゃん」無事、終了しました。

 

「わかる奴だけわかればいい」(by 花巻さん)
というコンセプトでやって参りましたが、意外や意外、

「わからないけどおがまいなぐ」という方や

「わからないのが口惜しい」という方も含め

大勢の方の応援をいただきました。
(あ。クドカンが随所にさしはさんだ、マニアック&ディープな小ネタのことです)

ありがとう ありがとう 蟻が十匹

笑いの取りこぼしを恐れるあまり、一日2回も3回も見てくださってありがとう。

「あまちゃん」最終回。
さりげない流れなのになぜか泣けました。
一人一人の、其々をなぞる演出が秀逸でございました。
トンネルを抜けると明るい光がありました。
爽やかな終わり方でございました。

そして、

一番うれしかったのは、あれを「アキ」ではなく、ワタクシ「春子」の物語として見ていただいた方が多かったことです。

アイドル冥利に尽きます。

年内には総集編も予定しています。その節はよろぴくね。

それでは。年末の紅白にむけて、ボイストレーニングに行ってまいります。
本当に半年間ありがとうございました。





と。私、おたまから幽体離脱したキョン×2からの伝言でした。

いまだかつて、

    キョン×2に似てる

 と言われたことは一度も無い。
無い・・・・・・が。

キョン×2

      小泉今日子

他人とは到底思えない。
あの。完璧なオカワユらしさ

だから時々自分のことを「キョン×2はねっ」って言ってみる。

会話の中に少しずつ挟んでやる。
サプリミナル効果ってやつだ。

世界中の脳内意識を変えてやるつもり。
「あ・・この人、もしかしてキョン×2かも・・・」って。

これは革命か!
はたまたイリュージョン(幻影)か!

キョン×2がおたまか。おたまがキョン×2か
もう・・わからない。

遠くでサイレンが鳴ってるよ。
あれは・・救急車!

白い車でお迎えか? でへ。

 

と、いうことで、NHK朝の連続小説「あまちゃん」が無事終了いたしました。

あたくし、最初から最後まで「重箱隅子」に徹して視聴いたしました。
後半は喫茶リアスの「半人前でもいいじゃん」の色紙。
よく、映ってましたね。

「えっ!ここで使うんや!」という伏線に次ぐ伏線。
わかる奴だけわかればいい。小ネタパラダイス。

面白うございました。

では。みなさまも「あまロス症候群」にお気を付になって下さいね。
年末の紅白歌合戦でお目にかかりませう。
ごきげんよう~~~~~

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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2013年9月27日 (金)

レイコちゃんのこと。


       


京都市南部のとある駅に降りる。
京阪電車とJRのそれぞれの駅が目と鼻の先にある繁華街。

踏切の傍に4階建ての古いビルがある。
間口二間ほどの小さなビルだ。

昔と変わらない。
変わったのは一階のシャッターが下ろされ
レイコちゃんが働いていた3階のS食堂が「スナックS」になっていたことだ。

Sという名前は同じなので経営者は変わっていないのかもしれない。

レイコちゃんは17歳。
中学生の私とは4歳ほどしか違わないのに
レイコちゃんは大人だった。

当時流行りの、植木鉢をひっくり返したようなヘヤースタイルをしていた。中尾ミエや園まりがしていたようなアレだ。

小さいレイコちゃんは少しでも背が高く見えるよう髪を大きくアップにし、逆毛を立てていた。

ケンちゃんという大工さんと暮らしていた。
ケンちゃんは19歳。

大信田礼子の「同棲時代」という歌が流行ったのが1973年だそうだが、それ以前の若者には「同棲」という概念はなかったと思う。

二人は、ケンちゃんの親方から三々九度の盃を受け、ケンちゃんの稼ぎでタンスや三面鏡や所帯道具をそろえた。

しかし、正式な婚姻関係は結んでいない。

レイコちゃんに戸籍がなかったからだ。

小学校には行ったが中学にはほとんど行かなかったと言っていた。

夏が終わり、ちょうど今頃の季節。
レイコちゃんはケンちゃんと別れて田舎の佐世保に帰ることになった。

私は子どもだったので事情はわからない。

ケンちゃんと母と三人で、京都駅までレイコちゃんを見送りに行った。

1964年に世界初の夢の超特急「東海道新幹線」が東京・新大阪間に開通するが
大阪以西は相変わらずの長旅だったはずだ。
列車の床の油曳きの匂いがしていた。

レイコちゃんもケンちゃんも母も泣いていた。

母はいつまでもレイコちゃんの手を握り、くどくどと「体に気をつけなさい」みたいなことを言っていたと思う。

私は、子ども心に「ケンちゃんと二人っきりにしてあげればいいのに・・」と思っていた。
相当ませた中学生だったのだろう。

それきり、レイコちゃんにもケンちゃんにも会っていない。
今、どこでどう暮らしているのかも知らない。

母がどこでどうしてこの二人と知り合ったのかも、もう聞くすべがない。

前のブログで「おじいちゃんの葬式」を一週間ほどかけて書いた。
ちょうど東京オリンピック前後のこと、
懐かしい風習やご近所とのかかわり方に思いがけない反響をいただいた。

その一番最初にレイコちゃんが出てくる。

あの日、おじいちゃんが死んだ日。
我々は伏見桃山城のキャッスルランドで花見をしていたのだ。

その時の写真が残っている。

レイコちゃんは植木鉢をひっくり返したようなヘヤースタイルで写っている。
満開の花の下で楽しそうに。幸せそうに写っている。

キャッスルランドも当時30代だった母も今は無い。

 

 

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2013年9月26日 (木)

イワシと恋の相関関係


   


昨日の記事のせいか、怒涛のインポイントUPだよ。

なーんだ。みんなやればできるじゃん(コラッ!)

どうも。ありがとうございました。

 

そ。そんな感じで(って上から目線)

あとしばらくお付き合いよろしくお願いします(ペコリ)

時計代わりに朝のワイドショーつけてました。

本日のテーマは「鰯・いわし」

今年はサンマがお高いらしいですわね。
だから、「いわし」がお勧めだよって。
築地魚市場のおっちゃんが言うてはります。

魚屋のおっさんが・・・

ああ。ここから先は歌えない。上品なアタクシです。

テレビでは料理人が「イワシの手開き」をしていました。

料理人の両脇には女性が二人。

進行役の女子アナがいちいち驚く。「ウッォーって。

もう一人のきれいなアシスタントさんが。
料理人に倣って、ご自分も手開き。

ネイルを気にしてるのか透明の手袋してるよ。
ファストフード店かいっ!と突っ込みをいれる。

まるで。理科の実験です。

キャーキャー言いながらなんとか手開きができました。

カメラが切り替わり

机を前にずらりと並んだ、コメンテーター達がが拍手する
合計6名もいる。

 ・・拍手・・   「いわしの手開き」にだよ。

  「鰯裂く指先二本安房育ち」 鈴木真砂女

波乱の恋に生きた真砂女の句の多くは、粘着力のないワタクシなんぞにはやや重いですが
これは好きな句です。

真砂女は西銀座にある「卯波」という小料理屋を切り盛りして生涯を終えます。

ちなみに「卯波」というのは卯月(陰暦四月)頃の波。
春から夏への変わり目に立つ白い波。
夏の季語です。

穏やかと思っていた海に、思いがげなく逆巻く波。

・・・・・・・

安住敦にこんな句があります。

 「人の恋あはれにをはる卯波かな」

安住敦は真砂女の師でありました。

真砂女さんが今朝のテレビをご覧になっていたらどうおもわれたのかな・・

イワシ一匹にきゃっきゃ言ってるようじゃいけません。
いい女にならなきゃ、いい恋なんてできないわよ!

なんてね。

 


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2013年9月25日 (水)

ブログランキング二位じゃだめなんでしょうか。


   


なかなか、ランキングポイントが上がらない。

二位でもいいんだけど。

す・すいません・・十分です・・

ランキングの二位がここしばらく固定している。
順位的にはこのあたりに居させてもろうたら御の字でっせ。

御の字やけど、

残念なのは、アクセス数に対するインポイントの割合です。


アクセス数はけっこう多いのです。増えています。

早い話、仰山読みに来てくれてはるのに、下のボッチが押されていないということになる。

めげるわ~~~

インポイントというのは「このブログからブログ村にインした数字」です。
すなわち、ブログ下にある
ボッチを押した数です。

絶対に、読んだ後に

 「しょ~~もな」

 って思われてるんや。

なんで押さなあかんねんって思われてるんや。

思われてもしゃあないな。

感動の嵐を呼ぶブログじゃないし・・・

アクセス解析を見ると
ほとんどの方がURLからの訪問です。

これは、その人がおたまのブログを「お気に入り」に入れてくれてはるということやね。

うううう・・・泣けてきたよ。
みなしゃんありがとう。

おたまのことが嫌いなわけじゃないんや・・・
            
                              
  (かすかな希望)

・・・・・・・・

ああ。わかった・・押し方がわからないんか・・
ほらほら。指一本で押せますのよ。

そういえば匿名でよくコメを呉れるさんが

「大丈夫ですか?押したら恐ろしいことになりませんか?」って尋ねてはったわ。

大丈夫です。
煙も請求書もおたまも出てきませんって!

勇気を出してください。

ま。順位より
アクセス数の増加のほうが嬉しいには違いないけど・・

・・・・・・・・

・・・・・・・ううん。何でもない・・・

以上。本日の独り言でした。

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2013年9月23日 (月)

サイン入り色紙の思い出


   


サインの練習してます。
おたまです。
おはようございます。

芸能人やスポーツ選手のサインって・・・。

ほとんど読めないですよね~。

大阪・北区の某酒処
マスターが鼻ふくらませて自慢げにおっしゃる。

「このサイン。米倉涼子ですぅ」

呼び捨てだよ!

 

「あっ!そこ。米倉涼子が座りましたっ!」

わたくし、思わずお尻を浮かす。

ワタクシ如きが座ってしまいましたわ。ごめんあそばせ。

 

有名人から初めてサインをもらったのは高校生のとき。

全然知らんおっちゃんに「住所」を教えてくれ。と言われた。

「先生にあとからサインを送ってもらいますので・・」

遠くを見ると恰幅のいいおっちゃんがこっちを向いて立ってはった。

「Who are you?」あなたはどなた?
いや!聞けないよ。そんなこと・・・

サインを送るっていわれてるのに・・・ 

通っていた高校はレスリング部が強く、オリンピック選手も排出していた。

ある時、大きな大会に行った。

選手じゃないよ。お手伝いです。

プラカード持ったり、アナウンスしたり、表彰状渡したりするの。

約束通り送られてきた色紙には墨痕鮮やかに

 

    「闘 魂」

 

と書かれていた。

「八田一朗」・・・・・・・Wikipediaで調べると、

 トンデモナク ビッグな人だったのね。

「日本レスリングの父」なのですって。
1931年同志社大学にレスリング部を創設したことが、日本レスリングの始まりであり、今日圧倒的な強さを誇る女子をはじめとする、レスリング王国を築き上げた。とあります。

東京オリンピックの誘致に尽力し、プロレスの発展に寄与した。

おお。この方がいらっさらなければ、おたま、あこがれのキラー・カーンに会うこともなかったのね。(まだ、会ってないけど)

ウィッキペディアでエピソードを読んだだけでも無茶苦茶おもしろい。
魅力の塊みたいな人だったんだ・・

今更。遅いが
実家に(たぶん)あった色紙は母の死後(たぶん)処分されたと思う。

ちなみに「闘魂」は沖縄にて
《ハブとマングースの戦いをみて学ばれたらしい》
                        (ウィッキペディアより)

 

それにしても、あの時、なぜ・・
帰宅準備をしていた、女子高生おたまを呼びとめて「サイン」を送ろうと思われたのだろう。

謎。である。


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2013年9月22日 (日)

色紙に書く言葉


       


「好きな言葉」は?と聞かれたら
心から好きなわけでもないけど
「GET」と答える。

時間をかけず、努力もせず自分のものにする。
楽々ポイントゲットみたいな・・ちゃっかり気分。

欲の深い、あちくしにふさわしい言葉だ。

038

               (書家である知人の作品です)

 

[GET] 受け取る。手に入れる。取ってくる。

「取」の成り立ちは
首級を挙げることから発生している。

「又」は「手」を表し、「耳」を手に入れるという意味。

敵を討ち取った証拠として「耳」をそぎ取った。

「耳塚」というものもある。

あ。中国のおはなしですから・・・

色紙を求められたら

「取」はまずいな・・
「GET」も好感度低いかも・・

 そうね・・・

新人歌手なら「新曲のタイトル」
野球選手なら「夢」
武者小路実篤なら「友情」
みつをなら「にんげんだもの」

サイン用の色紙を差し出されて、パッと書けるように
しておかなきゃね。

おっと、いけない。
妄想の世界に入っちゃってたよ。

 


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2013年9月20日 (金)

秋の日・秋の陽・秋の灯


 


「秋の日」(アキノヒ)という季語は

秋の太陽についていう場合と
秋の一日を指す場合の、どちらにも使われる。

(秋の日)

Sicilia_647

秋になり空気が澄んでくると入日は一層鮮烈になる
一日の終わりに見つけた「秋の日」

 

 

(秋の日)

 

Sicilia_773_2

 

 

 

 

 

 

 

秋になると
美しいものに

 

 

出会いたくなる

美術展
二科展
院展

これらはみな
秋の季語になっている

 

「秋の日の画廊ヒールの音響き」

すでに秋になったはずなのに、日中の日差しは強い。
そこまで来ている涼気を感じながら使う「秋の日傘」も微妙な季節の移り目をあらわして好きだ。
 

「信号機待つ秋日傘並びきし」
「秋日傘預けて入りぬ美術館」
 

 

 

もう一つの「アキノヒ」。
秋灯(シュウトウ)・秋の灯(アキノトモシビ)

少し妖艶に、ぼんやり揺れる「春灯」ではなく
心静かに、懐かしさをともなう「秋の灯」

 

(秋の灯)

030

古い腕時計が壊れた。
オメガ社に修理に出すと5万円也らしい。

40年近く、とっても大事にしてたのに・・
Ohパーキャマラド・パーキャマラード・パオパオパオパ

今どき竜頭時計なんてね・・

諦めるまえに
町の小さな時計屋さんに相談してみよう。

 

  「客に背をみせて時計屋秋灯下」

 

 


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2013年9月18日 (水)

九月吟行・国宝・待庵


   


明智光秀が本能寺の変で織田信長を自刃へと追い詰めたのは1582年。

この時、羽柴秀吉は備中(岡山)でもめごとの対応に当たっていたのですが
「こんなことやってる場合とちゃうよ。」と京を目指して取って返すのであります。

この決断力とフットワークの良さが彼の運命を決定づけます。

 秀吉蜂起の報を入手した明智勢は迎撃のため(現在の)京都府乙訓郡大山崎町辺りに陣を構えます。その数1万5千。

一方。Uターン決定から5日をかけて山崎へ到着した秀吉軍。
根回しも怠りなくその軍勢は4万5千になったそうです。

 

これが、天王山・山崎の合戦でございます。
光秀が追われ追われなんと土民の前で果てたのは本能寺の変からわずか、11日目。

みなさま。ついてきてますか~。
ここ。テストに出るとこですよ。

Dsc01500Dsc01486

合戦のあと、秀吉は
一年ほど、この山崎の地に住んでいたと言われています。

 

Dsc01499


JR山崎駅前。臨済宗東福寺派妙喜庵の中にある、
「国宝 茶室 待庵」は秀吉に招かれた千利休が陣中の労を慰めるために建てさせたもので、
現存する日本最古の、また唯一の千利休の遺構であります。

元は天王山の城にあったものを、秀吉が大阪に移ったときにこの地に移築されたのではないかと考えられています。

見学は事前予約が必要です。
撮影も禁止されています。

妙喜庵やお庭はOKとのことでしたのでパチリと撮ってきました。
Dsc01478

妙喜庵書院に続く、右の建物が国宝・待庵です
茶室は二畳。
一畳の待合。一畳の水屋(おそらく)。床の間。
全てあわせて四畳半に満たない大きさです。

茶室といえば「躙り口(にじりぐち)」「数寄屋風」が一般に知られています。
その原型がこの茶室であり、
秀吉が実際に、この「躙り口」から入ったと思うと感慨深いものがありました。

亭主と客人が膝を突き合わせるほどの空間。
お互いの呼吸さえ感じる静けさのなかで、秀吉と利休何を思い何を語ったのでしょう。

「チョー地味!ボクさ~キンキラキンが好きなんだけど・・」

躙り口は淀川の屋形船の入り口を模したといわれています。

Dsc01498

 

 


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2013年9月17日 (火)

好意念(ハオイーネン)で生き抜こう


       


エンジェル・・

(年末になったら「ああ!恋がしたいわ!」と叫ぶ親友)が
結構前にブログを始めたのだけど

彼女はおたまと違って
「未亡人倶楽部」の設立とかの野心がないので
(第一、未亡人じゃないし)

ブログ村の不参加はもちろん。
pingの実行もしていないらしく、検索エンジンにも掛らない。
バーチャルの友達を求めていないし
周囲にブログの存在を知らしめていない。

ひたすら・・「思い出し笑い」をする自分のためだけにブログを更新している。
おたまは、数少ない選ばれし読者ということになる。

で、一言でいえば

「そんじょそこいらに、そんな人おらんで・・。
    そらぁ・・エンジェルの人生、
       思い出し笑いが満載
やと思わ。

(どこが一言やねん・・)

という彼女の最近のブログにちょいちょい出てくるのが

  《好意念》 (ハオ・イー・ニェン) という言葉

翻訳こんにゃくで調べると「良いアイディア」と出たが

おたまは、善なる解釈。
        良いイメージで。
           ボジティブな思考。
             なんでもエエほうに物事かんがえよう

と理解しているし、中国人の先生にそう教わった。

全ては意念から始まる。
意念は「言葉」
始めに言葉ありき・・

聖書と一緒やん


043

好意念の哲学は、おたまを慰め、励まし、少々のことでは動じない人間に育ててくれた。

見てくれたまえ!この 鈍感力 を!

そんな母を、息子の一人は「おおらか」と言い。
        もう一人は「ええ加減」と評する。

どちらも、褒め言葉として受け止めている。

好意念。好意念。

もしも宝くじが当たったら・・・

少し寄付をし、お友達全員に、お洋服とバッグをプレゼントし、残りは郵便局に預けようと思ってる。

そんな、おたまと違いエンジェルは

二分の一を日赤に寄付し、残りのお金でヨーロッパの古いシャトーを買う。鍵は渡しておくからいつでも使ってよい。と言ってくれた。

エンジェル。あんた・・大きいよ。大きい女だよ。

おたまは、エンジェルに長生きしてもらいたいと思ってる。
もちろん、自分も長生きするつもり・・

で。老女二人で古城に住む。

想像しただけで・・・・・・・・怖い?

好意念。好意念。

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2013年9月16日 (月)

時が育む魅力の街・YAMAZAKI


       


「政治に必要なものは独裁」とおっしゃるハシモッさんが
「新しい権力をつくる」ために州都OSAKAを目指して

 空回り 頑張ってはります。が・・

あの童顔が独裁者になったとしても、ここ、大阪府三島郡島本町だけは行政特区(構造改革特区)でございませう。
そうですとも。すなはち自主独立のひょっこりひょうたん町を貫かれると思います。

あたくし、この駅に降り立ちビビビときましたの。
そう。確信しましたの。

Dsc01475JR山崎駅前

 

JRの駅って可愛い。
積み木遊びを思い出させる駅舎

 

駅の所在地は
京都府乙訓郡大山崎町

 

大阪府島本町に隣接しています。

この駅から西国街道をぶらり歩きで約10分。
サントリー山崎蒸留所に到着します。

サントリーが納める潤沢な税金のおかげか
天王山・山崎の合戦という天下分け目の一大事を歴史に刻んだ風格か

このあたり、ほんまに威風堂々。われ小事に関せずって空気。
Dsc01534
トタンの看板にうっすら見える、「毎日グラフ」に「カメラ毎日」。終刊して何年経ってるんじゃろ!
Dsc01504Dsc01533

・・ホーローでもステンレスでも何でも来いの・・
タカラシステムバス

そして・・頼りになる すごい奴
それは ・・・クボタトラクタ
難点 南天の木に隠れちゃってる「大阪維新の会」のポスターさん。ごめんねごめんね
少なくともキャッチコピーの段階でトラクタに負けてるよ。

そして、個人宅の玄関先にはサントリーの英知の結集。
バイオテクノロジーのサフィニアがここに花開くのでございます。

Dsc01532
サフィニア

写真はございませんがこのあたりの街灯はキンピカです
なんというか説明しにくいけど・・キンピカなんです。

Dsc01505_2
線路が5本並んでいます。
大きな踏切を渡れば、サントリーが見えてきました。

 

  「萩こぼし貨物列車の過ぎにけり」 

 

貨物列車ってどうして郷愁を掻き立てられるのでしょう
線路脇にはヌスビトハギやオシロイバナが咲いていました。

懐かしく優しい町。ウィスキーのふるさと。
誰にも侵されず静かに熟成を待つ樽のような・・
そんなYAMAZAKI/島本町山崎でした。

 


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2013年9月15日 (日)

ウィスキーのふるさとサントリー工場見学


     


おたま世代のあなた様ならきっと懐かしく覚えておいででせう。

  テレビドラマ。「ローハイド」

フェイバーさんという渋いボスの下、屈強のカウボーイたちが牛をどこかに運ぶお話を・・
何処に運んだのか・・それは大人の事情だから知らないわ。
あたくし、まだお子ちゃまだったから・・

ロディという、にやけたハンサムボーイがいて、
それが、若き日のクリント・イーストウッドです。

印象に残ってるのはウィッシュボンという愛嬌たっぷりのおじさんが淹れるコーヒー。
そのカップがホーローだったこと。
何かね、野営してるとこでオオカミの群れやインディアンの襲撃にドキドキしながらコーヒーを飲んでいますねん。いつも。

大人になってからわかったこと。
ホーローのカップで熱いものは飲みにくい。
つーか、唇やけどする。

ウィッシュボンの声の人は磯野波平さんだった。

1507
番組提供はサントリー(当時・寿屋)
番組の初めに、サントリー/山崎工場の外観が映し出される

緑深い山裾に立つ煉瓦造りの工場。
どこか異国的な外観と、
きらびやかなエンブレムが印象的でした。

⇑こういうのと、違ってたと思うよ。もっとキラキラしてた。

と、いうわけで・・(いやいや。脈絡ないけど)
今月の吟行は、大阪府三島郡島本町山崎にある

「サントリー・山崎蒸留所」でした。

今回の第一の眼目は山崎駅前にある「国宝・妙喜庵」なのですが、ついでと言っちゃナニですが、幹事のMさんが「飲兵衛」なものでね・・・

すぐ近くにあるサントリー/山崎へ行きました。
日本で初めて国産ウィスキーが製造された場所です。

いや~。工場見学。楽しかったです。

519サントリーのみならず、世界中のウィスキーが並べられたウィスキーライブラリー。

 

ウィスキーの雨に打たれて、このまま死んでしまいたい。

 

 

 

1518見てください
この、琥珀色!

 

ウィスキーがお好きでしょ?

 

はい。好きです。

 

1523


可愛い形の蒸留釜

 

一つ一つ形が違います。

 

釜の形を変えることで味に変化をつけて行くそうです。

1526
こんなに、仰山、飲めと言われてもよう飲みませんわ。

ここで、何十年も熟成されます。
熟成期間はもちろん。樽の置かれる位置・・高さや。出入り口に近いか遠いかなどで味が変わっていくのですって!

見学のあとは、おしゃれな「試飲会場」へ
きれいなオネイサン方がバーカウンターの向こうで微笑んでいらっさいます。

え~~ほんまに無料でエエの?

まずは、シングルモルトのハイボールう・旨いぞ。
さらに、「山崎」12年の天然水割り華やかな円熟の味わい。
そして、爽やかな「白洲」

もちろん。氷も水もここ、山崎の名水です。

ああ。楽しかった。

で。俳句は?それはもう、それなりに・・・
明日へ続く・・の巻きだ~~~

 

 

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2013年9月13日 (金)

楽しいなブログの効用


       


ああ。なんかもう・・・嬉しいわ

おたまちゃんのブログ。広告が載ってませんねん

しかも、無料

へ・へ・へ・へ

可笑しかったら腹から笑え
って村田(英雄)先生も言うてはった。

ブログ,おしっこ おひっこししてホンマによかった。


Dsc01470(今日のお花)

LAリリー/威厳

リンドウ/正義感

ハイブリッドスターチス/
          いたずらな心

出たよハイブリッド(ほにゃらら)
人工のお花・・

ごめんね。ごめんね。

他人様に(ブログ村)のボッチ押してくれ!押してくれ!って言ってる割に、あまり人のブログを見に行きませんねん。

おたま、自分だけが好きなんやと思う・・・

あ。でも

「おたまの性格」は嫌いになっても、
 「おたまのブログ」は嫌いにならないで
                  下さい。

&忘れずにボッチ押して帰って下さい。
神のご加護があなた様にありますように・・・インシアラー

そんな、人のことはどうでもいい おたまでも
「お気に入り」のブログがあります。

それは、何かの検索中にたまたま見つけたものだったり
本当に偶然に出会ったものだったり・・

  役に立つ。美しさに感心する。琴線にふれる・・

ここまで書いて、あたいのブログが・・・・
上記三つに全然当てはまらないことに、早々と気が付いているわけだけど・・
ここは、一つ気が付かないふりをしてくだはい。

本人も「しまった!」って思ってます。

ま。もともと、役に立つとはどなたも思っておられないでしょうし
ああ。それで(そう思ってくださって)

よかです。本望です。望むところです。

遊びをせむとや・・・で始めたブログ。
楽しい旅日記になったブログ。
忘れていた思い出をなぞれたブログ。
備忘録としてのブログ

おたまにとって、ブログの効用はこんなところです。

そうそう。それと大事なこと
人との出会い・・

  名前も知らない あなたと私
  なのに不思議ね 胸がときめく・・・・・・・・

いやいや。ときめいてはいないけど。

なんか・・・エエ人ばっかりや・・と思ふのでございます。

だから押して帰ってね
インシアラー

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2013年9月11日 (水)

ついに満願.。高野山明王院・南院


          


(8月おでかけの続きです)

 

これでおしまいです。
お付き合いいただきありがとうございました。

前記事(9/2)の奈良県/吉野の如意輪寺から和歌山県/高野山までは
1時間40分(あくまでもナビの計測です)

じゃ。行っとこか!

という明星氏の軽い掛け声でこの日一気に
近畿36不動霊場巡りの満願成就を果たすことになりました。

最近目立って道路工事が増えていると感じます。
それは首都圏や都会のみならず、こんな山奥でも・・

そんなこと位で経済状況の好転を実感するほどノー天気でもないけど
先日の夕刊では「設備投資3四半期ぶり増」のおおきな活字が踊ってた。

ふふん。と低い鼻がなるぜ。
見せかけ(一過性)のデフレ脱却モードで一気呵成に消費税率引き上げって
ことなのね・・・・

こちとら、
アベノミクス効果のおかげで1時間40分のところ、

2時間半もかかっちゃったよ。

空海が高野山を開いて1200年。
平成27年(2015年 )には高野山御開創1200年記念大法会が営まれます。

海抜千メートル。こんな山のてっぺんにポッカリと大きな町があることに驚かされます
高野町は天空の都市です。
ST


第35番 明王院     第36番 南院

35番明王院は日本三大不動のうちの不動で有名です。
御開帳は毎年4月28日。それも晴天の日に限ってということです。
機会があればお参りしたいと思っています

 

滋賀・園城寺(三井寺)の不動
創建以来初めての御開帳のあった京都・青蓮院の不動
どちらも、奇跡の一般公開といわれましたが、こちらは既に拝観をすませています。

明王院は宿坊もされています。
玄関を上がって本殿までの長い廊下を案内していただきました。
隅々まで掃除の行き届いた廊下・客間(すべて開け放してありました)
非常にすがすがしい空気が流れていました。

宿坊泊まりは一度経験したことがあります。
高野山の別の御坊でしたが
ここで出されたお食事は、私の旅の記憶の中でベスト1と言えます。

ついに36番南院です。

参拝後、満願の証を授与していただき、
明星氏が記念写真を撮ってくれました。

 

丸5年をかけた、
36不動霊場巡礼がこれにて無事終了しました。

 

信仰のない身でも不思議な縁に導かれたとおもっています。

↓は2009年1月に知り合った男性(現在84歳)が書いて送ってきてくださったものです。
Dsc01446_convert_20130905205935


寺務所の方が、今年は高野山も暑かったが、山風が吹いてきたから
もう、秋ですよ。と言っておられました

8月21日
この日、高野山の気温(午後4時)27℃

大阪市内では37℃でした。

 


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2013年9月10日 (火)

若狭鯖街道・熊川宿


       


もう。9月も三分の一をすぎました。
あっという間の人生ですわね。

なんて、しみじみしている場合ではございません。

8月のお出かけ記録がまだ残っておりますの。

 

あなた様にはかんけーねーよ。でございませうが・・
ああ、あれはいつのことでしたっけ・・・とならないために少し遡って書いておきませう。

帰省中の次男坊電化殿下と奈良/吉野&高野山から帰った夜
「おたまちゃん。明日どこか行きたいとこある?」と訊きます。

「いや~。もうエエわ。今日行ってきたし・・」

・・・優しい明星ちゃん
母の下手な俳句が出来るからと考えてくれているのです。

「じゃ。行きたいところ考えといてな。「あまちゃん」見てから8時半の出発やな」
と言って、自分は友人のところへ夜遊びにいきました。

で、翌日は、わたくしの好きな「鯖街道ドライブ」ということになりました。
京都から北上してわけもなく走り
若狭の海を意味もなく「でん」してUターン。という計画です。

本年の年頭あいさつで申しましたように
今年のキーワードは「滋賀」ですねん。
わけも意味もなく「行こうぜ滋賀」「VIVA 滋賀」

鯖街道は
京都から滋賀を通り福井へ抜ける「若狭街道」のことです。
豊臣秀吉の時代に栄えた宿場町がここ。
《福井県若狭町・熊川宿》
Dsc01387
宿場町の面影を残す町並み

Dsc01399若狭の海で採れた「鯖」が、この街道を走りに走って運ばれ、
京の都につくころには、丁度よい塩加減になったそうです。

京の食文化を支えていた「鯖街道」

 

鯖寿司の看板の下でお昼寝。

 

393


どこかしら
可愛い形の消火栓

8月の
暑くて、静かな昼。

 

 

宿場は北川という川に並行する長い道に添っています。
番所跡、大きな商家、妻入りの町屋・・
まるで時代劇のセットのようです。

Dsc01401
小学生がお揃いのはっぴ姿で、自分たちで調べた事柄を紙芝居形式で大きな声で発表します。
町のポイントに二・三人に分かれて待っていてくれました。

この日は、学校の先生の研修会のようなものがあったのではないかしら・・
先生方らしきグループがポツリ。ポツリと・・

おたま親子はきっと「ついでのお客様」だったと思うけど
小学生のみなさんは、一生懸命発表してくださいました。

この建物は伊藤忠商事二代目社長・伊藤竹之助の生家だそうです。

とっても暑い日でした。
河原に降りて、家から持ってきた梨を剥いてたべました。

う~んと。それから・・・
アカン。記憶が薄れてる・・・

 

 


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2013年9月 9日 (月)

あこがれの人との一期一会


       


天地茂といえば日本一トレンチコートの似合う俳優だ。
って誰かが言ってた。

うまいこと、言うなあ・・

ニヒルなハードボイルドの役柄でマダムキラーの異名をとったとウィッキペディアにある。
旗本の子孫だそうで、世が世ならお殿様なんだ~~~

・・・・・その昔

我々が結婚を決めた翌月から
ひっちゃんは毎月25日に6万円を渡して呉れた。

まだ、お給料が10万円に遠く満たない頃だ。
そのころの、お給料は現金支給で、実家住まいの彼は
お給料袋から家に2万円の食費を渡し、フィアンセに6万円を渡し
残ったお金で、昼食代やたばこ代を賄った。

私は、もらったお金を
味付け海苔の瓶の中にせっせと貯めていき
一年経つと結構な額になり

それを、新婚旅行の費用に充てた。

私にとっては初めての海外旅行。
東南アジアの旅。ホンコン・シンガポール・バンコクに決めた。
一ドル・360円が変動相場制に変わって間のない頃で。
あの頃、海外旅行の費用って高かったんだ。

ひっちゃんは会社から行かせてもらった「フィリピン」で見た夕陽を、私に見せてあげたいとロマンティックなことを言ってたけど。
本当はアメリカやヨーロッパに行けるほど、お金が貯まらなかったのだ。

その旅行で
「天地茂」ご夫妻と一緒になった。

アチラは東京発。コチラは大阪発の同じ旅行社の同じコースだったので、行く先々でお目にかかった。

エメラルド寺院だかどこかで
「写真を一緒に撮っていただけますか?」

ひっちゃん(東映・任侠映画大好き人間)の申し出に
気持ちよく「ああ。いいですよ」と言ってくださった。

さっととられたポーズはさすがに俳優さん。
肘を脇の石塀に置き腰に手を当てられた。

・・・・

隣に直立不動で立つ25歳のひっちゃんの写真がどこかにあるはずだ。

この秋、ベトナム・バンコクを旅行することになり
その時のことをふと思い出した。

天地さんは1985年54歳で亡くなられている。
あの時ごいっしょだった、
優しくて美しい奥様はお元気だろうか

 


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2013年9月 8日 (日)

酔った勢いに任せた結果


       


飲めと言われて素直に飲んだ・・
肩を抱かれてその気になった・・・・・

先日の飲み会。
勢いで

   「ベトナム」に行くことになった。

じゃあ。三人でどっかに行こうよ・・・・。

                ということになった。

「じゃあ」って何やねん・・

 

三人というのは
「超お嬢様・奥様の」アッコさんと
「超テキトー・マイペース」のトシちゃんと
「最年少・しっかりものの」おたまです。

いや~~な予感がしたけど

当然のごとく・・・・・・幹事が決定。
(言い出しっぺじゃないのに)

翌日

みつけたのは。
「旅行社フェアがらみの超格安パック」
     ベトナム・バンコク6日間の旅です

お姉さま方に電話をする

意外や意外。
酔っぱらっていても、覚えてたみたい。

「うんわかった。じゃあ○月○日に関空に行けばいいのね」

「じゃあ。パスポートだけ持って行けばいいのね」

「じゃあね」

じゃあ。じゃあ。じゃあ。

《じゃあ or じゃ・・
(接続詞)それでは。さようでござれば。そんなら。ほんなら。へたら。ほな。と同義語》

あの時(飲み会の時)

どうせ死ぬんやし・・・みたいな話をしていた。
その少し前に、お顔のシミ取りの話をしていた

それが、なんでベトナム旅行になったのかわからんけど

・・・・・・・・・

ま。そんなわけで、行ってまいりま~す。

 

じゃあね

 

 


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2013年9月 6日 (金)

北浜・レトロビル


       


涼しくなると同時に出かける機会が増えます。
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「どなたかは
     知らぬ銅像
              鳥渡る」

              

 

 

 

 

大阪・北浜の大阪証券取引所前。

 

この日は天満で開催される
俳人協会主催の俳句講座を受講しに行きました。

講座の受講は三年ぶりです。

今回は4回講座のうちの第一回のみを受講。
講師は、
三村純也(山茶花・主宰)
片山由美子(狩・副主宰)の両名です。

人気の講師陣に満席の大盛況でした。

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大阪証券取引所ロビーにて待ち合わせ。
早めのお昼をということで近くのお店に行きました。

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「五感」・・百貨店にも店を出している有名な洋菓子店です。
二階のサロンで簡単な「お昼」をいただけます。
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朝食かと見まがう「ランチ」

マダムはこれでよろしいのでございます。

食後にプチケーキがついています。
チョコレートケーキとマロンの入ったロールケーキの
どちらにしようかな?

マロンちゃんを選びました。

「五感」北浜本店が人気なのは「味」だけではありません。
大正末期に建てられた、そのレトロな建物(外観も内部も)にもあります。

・・・・・・・・・・・

もう、覚えておいでの方は少ないかもしれませんが
ここは、以前、N証券の建物でした。

堺筋を挟んだ向かい側に新たに自社ビルを建てて移られたあと、このレトロビルは一時、社長の趣味、発案で「天麩羅」の店をしていました。

N証券に勤めていた友人は「おさぼり」の名人で
「仕事せんのなら天麩羅でも揚げてこい!」といつも叱られていたそうです。

その後の移り変わりはよく存知ませんが
リーマンショックの頃に社名が変わり、そのN証券は
今はなく、隣の三越百貨店・北浜店もありません。

今では「五感」の洋菓子とともに
この美しいビル自体も脚光を浴びるようになり嬉しいかぎりです。

 


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2013年9月 5日 (木)

大名跡の復活というニュース


       


先月からのお出かけを整理しておきたいのだけど
(おたまにとっては)大きなニュースが飛び込んできた。

「中村福助」の歌右衛門襲名だ。

ふ~~む。

どさどさと巨木が倒れる中、歌舞伎界の命運をかけた決断。
松竹が大勝負に出たという印象。

つーか。安直やねん。やねん・やねん・やねん・・
山のコダマだよ。ハイジじゃなっくてハイビちゃん

福助は芝翫を継ぐものと我々はもちろん。
ご本人もそう考えておられたのではないか。

当代福助にとって六世中村歌右衛門は大叔父にあたる。
歌右衛門に養子がおられるとはいえ、
申し訳ないが見渡したところ立女形を継ぐ力のあるのはこの方かもしれない。

とはいえ、
日本の至宝といわれた六世中村歌右衛門が没して12年。

大名跡が空席でも、おたまは全然かめへんねんけど・・・

 

今の福助がどうこう言うてるのとちがいます。
なんと申しましょうかか。ロマンですねん。
歌右衛門の余韻にまだ浸っておきたい・・・みたいな。

 

それを、松竹の算盤で・・・・むにゃむにゃむにゃ

 

福助はおたまにとってはまだ若さいっぱいの「児太郎」ですねん。
見目麗しく艶のある、頭のてっぺんから声のでる・・

 

名前はその人が大きくしていくものだから
福助さん。頑張りはると思いますけど、大プレッシャーやろな。

 

あーた。何様?というお声もきこえてきそうですが
ま。許してたもれ。ファン様やし・・

以上、おたまの好き勝手な言い分でございます。
反論がございますれば・・どうぞ・・・

きかせてもらおうか。びびびのび~~~

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只今(9/5 15:00現在)
テンプレートの変更により、前記事がデザイン崩れをおこしています。
そのうち修正予定です。

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2013年9月 4日 (水)

美術鑑賞マナーの基本


       


女だからとか
おばちゃんだからとか・・
まして、大阪のおばちゃんだからとか・・

ひとくくりで判断してはいけないことはわかっています。

わかってるけど・・
なんやろな~~~ 大阪のおばちゃん。

聞いたわけやないから、もしかして和歌山のおばちゃんかも、兵庫県南東部のおばちゃんかもしれないけど

ここでは「大阪で見かけたおばちゃんのこと」を言うてます。

Dsc01447_convert_20130905210041




大阪に出たついでに、難波の高島屋で
「宮廷画家ルドゥーテ・花の美学」展に寄ってきました。

車が3台で「とどろく」。牛が3頭で「ひしめく」・・・
最近の新聞歌壇でこのような短歌をみかけたけど

何でも、3つ集まったら、暑苦しい感じがしますわね。
その究極が  「女」3人 ではございませんかしら・・

かしましいのなんのって・・

楽しくお過ごしの様子は千歩譲って微笑ましいにしろ
ここは、美術展。

はしゃぎすぎやろおばちゃん

絵の下に小さな説明がしてあるでしょ
アレをいちいち、読みはります。しかも声がでかい。

「ロサ・オドラスタ・スルフレアやて。舌かみそうやな。アカンわ、この頃舌がまわらへんねん」
「あんた、首もまわってないのと違う?」
「いや!よう言わんわ」

「よう、こんな小っちゃいとこまで描いてはるわ。この人神経質な人やで絶対」
「私ら、描いてるうちに花がしおれるわ」

 

「ひゃ。これ匂うてみ。マリーアントワネットの香水やて・・」
「う~~ん。マンダム

⇑ ⇑ いえいえ。それ”マンダム”とちゃうし・・・

そんな調子です。
大きな美術館ならエキセントリックな眼鏡をかけた美術館員のお姉さんが
注意なさるのでしょうが、

ここは、高島屋七階大催場の隅っこに肩身の狭~い感じでひそっとある
グランドホールでございます。
やたら、空調か送風機の音が天井で鳴っている・・
そんなところでございます。

凸凹保障から今日だけ派遣された警備員のお兄さんがパラパラといらっしゃるのみ。

おたま、これが「有料」なら、この3マダムと戦ってたと思う。

朝日メイト会員のサービスで入館してますねん(普通なら¥800)

宮廷でっせ。マリーアントワネットでっせ。
愛・・それは甘く 愛・・それは強く 愛・・それは尊く・・
でっせ。

もう少しエレガントに鑑賞なさいませ。

ヒールの高い音の出るような靴は履かない。
扇子はつかわない。
ボールペンは使用しない。
ケータイの電源は切っておく。

ここに、まさかの  《お静かに!》

 

これも、知っておいていただきたい。

閉店前のガラガラのホール内部でしたので
とっとと、出口付近まで進み逆回りにゆっくり見てまわりました。

真ん中で3マダムとすれ違う・・・
軽く会釈したら、ニッコリ笑い返してくださいました。

エエ人達やねんけどなあ・・

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2013年9月 3日 (火)

峠を越えてみえてきたもの・・


           


自分が生まれる前の「親のこと」は案外知らないもので
生まれていないのだから当然といえば当然なのだけど・・

・・・・・・・・・・

帰省していた次男・明星氏と吉野へ向かっていた車中のこと。
「やっぱり、お母ちゃん最後は博多で暮らしたい」と申しますと

「なんで博多なん?」と尋ねます。

そういえば。母親がどこでどんな子ども時代を過ごしたかなど
話したことがなかった。

おなじく、私は夫ひっちゃんの子ども時代のこと・・・・
色々話はしてくれたけど、
それは私の直接知らない部分なわけです。

明星氏は父親の子ども時代を聞く機会がなくなってしまいました。

「僕がもう少し大人だったら良かったのに・・って思う」
といいます。

父親との永別の時期です。

「せめてあと二歳、大人だったら色々なことが理解できた」って。

当時彼は21歳。数字の上では大人だけど、
自分が何者であるのか。何をもとめているのか・・もがいていました。

今まで歩いてきた道を振りかえることができる。
そして未来を見据えようと思う。
そんな年齢があります。

自分で言えば30歳のときでした。
既に子どももいたけど、
自分がやっと「大人になった」と自覚できたのは
このころです。

彼も今、遠くを見はるかす峠に立ったのでしょう。

 


R_3                   第30番 如意輪寺/難切不動尊(奈良県吉野町)

男の子は口数が少ないので
父親のことを口にすることはあまりないけど

「こんな時、お父さんだったらどういう意見か
          聞いてみたいと思う場面がふえた」

と言います。

ま。仕方ないわね。仕方ないけど・・・

今出会ってる色んな人たちに聞いてみるといいよ。

いろんな人にね。

 


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2013年9月 2日 (月)

奈良・吉野/如意輪寺


          


テンプレートを変えてみました。
言わなきゃわかんない方のために言っておきますだ。

どうでもいいよ。と思っておられる、あなた様。
あなた様はそうでも、おたまはあなた様の健康が心配

いや。ほんまですって・・・信じて下さい。

少しは目にやさしくなったのではありませぬか?

今度もグリーンです。
「グリーンは人間にとって一番大事な色です。平和の色ですよ。」
と茶道裏千家第15代家元・千玄室(せんげんしつ)さんがおっしゃっています

どうよ!
って、あたしが威張ることはないけどね


9月に突入しちゃったですが、8月のお出かけ記録を記しておきます。
(こうやって残しておくと、あとで便利なの。ほんと、ブログは日記です)

え~っと。まずは近畿36不動・第30番如意輪寺  ⇇クリックで見られます)

奈良県・吉野町にあります。開基は今から1050年前と言われます。
一千年の歴史に触れる機会が多いのは関西圏に住む者の幸せと言えるかもしれません。
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吉野の歴史は南北朝時代を抜きにして語ることはできません。

ついに京都へ戻ることのかなわなかった後醍醐天皇の御陵が京都の方(北)を向いて
この如意輪寺の境内にあります。

南朝側の武将であった楠木正行(まさつら)らは負ける戦とわかりながらも足利軍を迎え撃ち四条畷で非業の最期を遂げるわけですが、その出発に当たり、ここ如意輪寺の御陵にお参りにきます。

お堂の扉に矢じりで書かれた辞世の歌が今なお、残っています。

こんな話をしたらやめられない止まらないのですが
ひとつだけ!
後年、楠木正成・正行親子が尽忠報国の精神として
軍国教育に用いられたのはどうしても納得できない。

(と、これだけは申し上げておきませう)

肝心の「お不動様」です。
ここにおられるのは「難切不動」と言って

ワタクシや、あなたの困難を切って下さるお不動様です。
毎年11月28日のご縁日には護摩焚きなどで多くの方が参拝されるそうです。
そのとき「難切(ナンキリ」にちなんで「かぼちゃ(ナンキン)」を振舞われるとか。

「シャレですか

ご住職に、余計なひと言。言っちゃったよ。トホホ。

 

「峡深く稲刈る音の吉野かな」 
   (カイフカクイネカルオトノヨシノカナ)

 


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2013年9月 1日 (日)

タマゴ屋


          


Dsc01430_convert_20130830211313まるで昭和30年代にタイムスリップしたような店のかまえ。

「履物とタマゴ」意表をつくチョイスだ。

開けようとしているのか降ろそうとしているのか・・・
開けている最中に用事を思い出して途中でやめてしまったのか・・
いや。もしやしたら・・・これは・・計算されつくした意匠なのかもとおもわせる

理解不能・意味不明のシャッター

中ではコンクリートの床に直置きでミカン箱様の木箱が並べられ
「なにか」が載っている。(売り物)

それはナイキのスニーカーでもなければ生みたてたまごでもない(と思う)。

「なにか」を確かめる勇気がない。

小さい小さい小さい・・おばあちゃまが腰を丸めて店番をしておられた。
そっかあ・・このおばあちゃまではここまでしかシャッタが届かないんだ・・・

《これはもう・・・ファンタジーだ》と思った。
あまりに、素敵で泣きそうになる。

子どものころ。公設市場の中に「タマゴ屋」があった。
間口半間ほどの小さな店で
同級生のAさんのお母さんが商っておられた。
Aさんと同じクラスになったことはないが、
かけっこの早い女の子だった。

お母さんはいつも着物に割烹着姿で、
髪をひっつめているせいか顔がタマゴに見えた。
Aさんもつるっとしたタマゴのような顔だった。

客がくると、もみ殻に埋もれたタマゴを取り出し
裸電球の光に一個ずつ透かす。

それは。なにかおごそかで儀式めいていた。

何かをチェックされたタマゴは
10個ずつ、麻雀パイのようにならべられ、新聞紙にくるまれた。

入院のお見舞いにタマゴを持って行った時代のハナシである。

の「マルキ」さん。
先日、大阪空港へ行った帰りに寄り道した商店街にあった。

「履物」・・・きっと「下駄屋さん」だったんだ。
市場には必ず一件か二件「下駄屋さん」があった。
色とりどりの鼻緒が吊るされた店の奥で、ご主人がもくもくと
鼻緒をすげ替えていたっけ。

和服を日常着にする人がいなくなり、下駄屋も廃れていく。
だからタマゴをサイドビジネスにしたのかな?「マルキ」さん。

鼻の奥がツンとするような懐かしさ・・・

あてもなくぶらり歩きをすると、こんな風景に出合う。

 

 「町になほ残る鋳掛屋花八つ手」 
                                                         
おたま

 


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